愛し愛され失われ
「最初は目だね」
真っ直ぐに一人の男を見つめるその目。
喜びに輝くその様が、憎らしいぐらいにハッキリと記憶に残っている。
「僕を見ない目なんて、必要ないんだよ。だから――」
だから、抉り取った。
クスクスと笑いながら、白蘭は頬杖をつく。
まるで子供の様なその笑顔に、正一は軽く息を呑んだ。
「白蘭サン…」
悲痛の色を帯びた呼び掛けは、しかし白い青年には届かない。
狂気を宿した彼の目は既に正一を見て居らず、部屋の隅に置かれた豪奢なソファに向けられていた。
「次は、…何処だっけ。あぁ、口だったかな」
視界を失っても尚、彼女は彼だけを求めていた。
以前よりも更にその名を口にする機会が多くなり、それは白蘭にとって非情に不愉快極まりない事だった。
だから、喉を潰して二度とその名が呼べない様にした。
これでもう、彼女の口から忌まわしい単語が聞こえて来る事も無い。
「その次は、耳」
喉を潰した翌日から、彼女は白蘭の呼び掛けに反応しなくなってしまった。
脅しても賺しても、何をしても無反応の無表情。
まるで何も聞こえていないその様子に、白蘭が痺れを切らしたのがその二日後。
「僕の声を聞こうとしない耳なら、あっても仕方がないよね」
形を壊しても意味は無いから、鼓膜だけを綺麗に切り取った。
それだけで、彼女の耳は用を為さなくなる。
「次は、足」
「次は、手」
「次は、………」
喋り続ける毎に白蘭の表情は穏やかに、正一の顔は逆に強張って行く。
「白蘭、サン…」
出した声が、知らず震える。
まるで一気に何十年も歳を取ってしまったかの様に、しわがれた音として正一の口から零れた。
心臓の音がやけに耳につく。
ドクドクと血の巡る音が、ハッキリと彼の頭に響いていた。
「ハルもなかなか手強いよね。早く僕のモノになってくれないと、もう取る所なくなってしまうんだけど」
嘆息交じりに呟く白蘭の台詞に、正一の背筋を悪寒が一気に駆け抜けて行く。
「………っ。それじゃ、あのソファにいるのは…まさか………」
「うん。ハルだよ」
自分の背後にあるソファを勢い良く振り返り、その上に被せられている真っ白な布を正一は凝視する。
ピクリとも動かない布は、確かに人1人分の高さに盛り上がっている。
但し、その体積は明らかに、成人女性のそれよりは少ない。
まさか。
冗談でしょう?
白蘭サン、何時もの冗談ですよね?
笑い飛ばそうとした言葉は、しかし喉の奥に貼り付いてしまって出て来ない。
足もまた同じく、床の上に根を生やしてしまって、動けなくなっていた。
「ねぇ、正チャン。ハルはどうしたら、僕だけを見てくれると思う?」
困った様に笑う白蘭に、正一は何も答えられなかった。
答えられる訳が無いのだ。
何せ、ハルの想い人というのは、他ならぬこの自分なのだから。
「………ハル」
気付けばソファまで移動していた白蘭の手が、ハルであろう身体に被せられている布を撫でていた。
愛しそうに、大事そうに。
壊れ物を扱う仕草で、そろりそろりと動くその手に、正一は白蘭の言っている事は全て真実なのだと理解せざるを得なかった。
「どうして…。白蘭サン、どうしてこんな…」
足に力が入らず、その場に崩れ落ちる様にして床に座り込む。
白蘭は変わらず、布に視線を落として笑んだまま。
そんな二人の間を、取り戻しの利かない時間ばかりが、ただただ無情に過ぎて行く。
項垂れた正一は、一人拳を握り締めて嗚咽を堪えていた。