脱衣遊戯
「こんにちは!」
勢い良く開けられた扉から元気な声が聞こえ、雲雀は胡乱な視線を投げた。
「…誰?」
冷たい表情と声音の先では、西洋の甲冑が動き辛そうにヨロヨロと応接室内へと入って来ている。
良く聞く声ではあったが、残念ながら兜には彼女の面影一つすら見当たらない。
扉を閉めた所で、くすんだ金色に光る甲冑は、ガシャコンと硬質な音を立てて立ち止まった。
「ハルです」
相当な重さがあるのか、手を上げるだけの簡単な仕草にも苦労している様だ。
フラフラとした危なっかしい動きで、必死に自分をアピールしようとしている。
「残念ながら、僕に甲冑の知り合いなんて居ないよ」
一体何処で手に入れて来たのやら。
前々から奇妙なファッションで人を驚かせる女子ではあったが、今日は更にその上を行っている。
「はひー、ちょ、ちょっと待って下さい!」
後僅かでサインの終わる書類に再び視線を落とすと、甲冑は慌てた様に兜を脱ぎ始めた。
しかし、留め具がギッチリと挟まっているらしく、一向に外れる様子が無い。
「あれ?変ですねー…」
ガシャガシャと耳障りな音を掻き立てる甲冑に一瞥をくれると、雲雀は最後の一枚にペンを走らせ、全ての書類を纏めて引き出しに仕舞い込んだ。
そろそろ下校の時刻である。
草壁に任せたきりの巡回経過報告も聞かねばならないし、なかなか帰らない生徒を帰宅させねばならない。
群れた草食動物を咬み殺す為のトンファーも、既に学ランの下に忍ばせた。
準備は万端だ。
未だに兜と格闘している甲冑は放ったまま応接室から出ようとすると、突然金属の指に袖を掴まれた。
「ひひヒバリさん、置いて行かないで下さい!」
「何」
泣き声交じりの声に、しかし雲雀が動じる事は無い。
一応立ち止まってはいるものの、甲冑の手が離れれば直ぐにでも部屋を出て行ってしまいそうだ。
「はひっ。こんな状態のハルを置いて帰ってしまうんですか?」
「君が勝手にそんな状態になったんでしょ。僕には関係無い」
「酷いです!」
「酷いのは君の格好だと思うけど」
「ハルだって、好きでこんな格好をしている訳じゃありませんっ。ヒバリさんの見回りのお手伝いをしたいと言ったら、ツナさんがデンジャラスだから止めろって言ったので…それで、これを着れば危なくないかと……」
もごもごと口を動かしている甲冑を上から見下ろすと、金属の面と視線が合った。
細長い縦穴の中から届く震えた声が、如何にも哀れさを催している。
が、雲雀恭弥という男はそれで同情する様な人間では無かった。
溜息を一つ深く吐き出し、馬鹿にした様な顔で甲冑の指先を簡単に外すと、トンファーを兜目掛けて振り下ろした。
「はひー!!」
直ぐ耳元で何かが破壊された音に、甲冑が素っ頓狂な悲鳴を上げる。
軽い衝撃が頭全体を襲った筈だが、それ以上に雲雀が全く変わらぬ表情で武器を振るった事の方が恐ろしかったのだろう。
「君、煩いよ」
「だだだだって、ひ、ひ、ヒバリさん、今…、ぶつ、ぶつけ…っ」
「日本語で喋ってくれる?それに、何時までそれ被ってるの」
上手く言葉が出ないらしい甲冑の兜をトンファーでつつくと、留め具が見事に粉々になったおかげで、それはズルリと少女の顔から外れて床へと落ちる。
重い音が室内に響き、漸く見知った顔が視界に現れた。
「あ、…有難う、御座います…」
呆然とした様子で床上にある兜を眺め、ハルはへなへなとその場に座り込んでしまう。
とはいえ、実際は重い鎧のせいで、引っくり返る様にして尻餅をつく状態となっていたが。
「それも脱がせてあげようか?」
再びトンファーを構える少年の姿に、ハルは盛大に首を左右に振って断りを入れた。
「いえいえいえ、結構です!これは自分で脱げますので、ノープロブレムです!!」
「そう」
ズルズルと床に座り込んだまま後ずさる少女に、雲雀は愛用の武器を収めて改めて扉へと向かう。
「はひ…」
ハルは一人部屋に残される事を悟ると、ガックリと項垂れて兜を持ち上げた。
その頭上に、廊下に出たばかりの雲雀の声が静かに掛かる。
「一時間程で戻って来るよ。それまで此処で大人しくしているんだね。尤も、その状態じゃそう簡単には外には出られそうにないけど」
「え?」
ハルが顔を上げた時にはもう、雲雀の姿は扉の向こうに消えた後。
見た目に反して分厚い板の向こうから、甲冑に負けず劣らずの硬質な靴音が聞こえて来る。
それは徐々に遠くなり、程無くして消えた。
「ハル、此処に居て良いんでしょうか?」
少女はポツリと呟いて、手にした兜をまじまじと見つめる。
後にこの事を草壁に話せば、雲雀はハルの身を案じてそうしたのだろうと語ってくれるが、今のハルはそれを知る由も無かった。
風紀委員の巡回といえば、度々乱闘も伴う行為だ。
一般人であるハルを、そう簡単に連れて行けるものではないのだ。
結局ハルは雲雀の巡回についていく事は出来なかった訳だが、それでも後に彼が戻って来てくれるというのだから、此処はじっと待つ事しか出来ない。
「あ、これ脱がないと…」
兜を床にそっと置き直し、ハルは未だに身に着けている甲冑に視線を落とした。
着てみたは良いものの、脱ぐのはなかなかに困難を伴うそれと格闘する事一時間。
きっかり一時間後に戻って来た雲雀が、絶叫を上げるハルを無視して、彼女の手助けをしたのは言うまでも無い。