初めの言葉
そういう意味では、彼女は確かに異邦人だった。
肌の色も髪の色も、目の色さえ、この国に住まう自分達とは異なっていた。
それもその筈、彼女は生粋のイタリア人。
日本人と異なる容姿をしているのも当然の事だ。
そんな彼女を見初め、熱烈なアプローチを毎日の様に送った三浦氏には、心の底からの賞賛を送ってやりたい。
彼女の素性を知っても尚、その真摯な想いは変わらなかったのだから。
「カルラ。その子がハルか?」
彼女の腕の中、スヤスヤと健やかな寝息を立てている赤ん坊を覗き込む。
ふっくらとした頬はまさに薔薇色で、母親と同じ白い肌に良く映えている。
「えぇ、そうよ」
ついこの間母親になったばかりの彼女は、クスリと小さな笑みを漏らして此方を見上げて来た。
一時期この自分でさえ惹かれそうになった悪戯な目に、軽く肩を竦めてそっと指先を伸ばす。
そのまま人差し指で赤ん坊の頬を軽くつついてみると、予想以上に柔らかな感触が返って来た。
擽ったかったのか、ふにゃぁ、と小さな声を上げて赤ん坊は目を覚ます。
泣くかと思われた瞳は、しかしじっと自分を見つめるだけで涙に濡れる気配は無い。
「カルラに良く似てるな」
「ふふ、あの人もそう言うわね」
愛しそうに赤ん坊をあやす姿に、自然と妻の顔が思い出される。
どうやらそれが顔に出ていたらしく、カルラは柔らかく目を細めた。
「奈々も、後半年ぐらいだったかしら?」
「あぁ。予定通りなら、後3ヶ月だな」
「貴方に子供が出来るなんて、思ってもみなかったわ」
「良く言われるよ。報告した時は、9代目にすら驚かれた」
「当たり前よ。貴方が結婚した時だって、組織の誰もが驚愕したくらいだもの。あの『若獅子』が家庭を持つのか!?ってね」
「あー…まぁ、そうなんだが」
当時の記憶を掘り返すのも気恥ずかしく、言葉を濁して視線を逸らす。
自然、此方をじっと見上げているハルと目が合った。
どうやら母親と同じく、全く人見知りをしないらしい。
きゃっきゃと笑いながら、小さな両手を此方へ差し出している。
力加減に注意しながらその手を片手で包み込み、握手とも呼べない挨拶を交わした。
「宜しくな、ハル」
あぅー、だーと返って来た挨拶に、思わず顔が綻ぶ。
これから生まれてくる自分の息子も、こんなに可愛く話し出すのだろうか。
もう直ぐ会えるであろう我が子に期待を寄せつつ、小さな小さな手をそっと離す。
「家光」
「ん?」
「9代目は、貴方を後継者に望んでいた。それは知ってるでしょ?」
唐突に切り出された問い掛けに、一瞬だけ動きが止まる。
「知っている」
返答に要した時間は1秒。
然程不自然ではない時間だが、戸惑いは彼女に見抜かれているだろう。
僅かな動揺すらも見逃さない、その鋭敏な洞察力はボンゴレ随一の代物だ。
誤魔化しや嘘は、彼女には決して通じない。
「もしかしたら、貴方の息子が10代目に選ばれるかもしれないわね」
真っ直ぐに向けた視線を受け止め、カルラは小さく笑った。
冗談めかした台詞に、苦笑して首を振って見せる。
「いや、9代目には甥が3人もいるんだ。それはない」
「あら、解らないわよ。この世界、何があるか解らないんだから」
「彼等は有能だぞ…?」
「それでも、よ。死なない人間なんて居ないのよ、家光。それは貴方も良く解ってるはず」
「………」
ボンゴレボスの座は注目の的だ。
トップになれば、それこそ権力も金も何もかもが欲しいまま、全て手に入るのだから。
そしてその首も、同等の価値がある。
「気をつけなさい。貴方の息子、何れ狙われるわ」
潜められた警告に、開きかけていた口を閉じる。
恐らく彼女は何某かの情報を掴んでいるのだろう。
門外顧問という身分である自分でさえ知らない、とてつもなく重要な秘密を。
「解った。カルラ、君もボンゴレの血をひいている身だ。用心しろよ」
「私は平気。ダニエラの孫だなんて、貴方しか知らない事だもの。証拠だって残っていない。大丈夫よ」
「だが、絶対とは言い切れない。そうなれば、ハルの身にも危険が迫るだろう。注意しておけ」
カルラの肩を叩き、離れる。
僅かに伏せられた彼女の目に過ぎった光を、この時の自分は気付けなかった。
もしもあの時、どれだけ嫌がられても彼女を引き止めていれば…そうすれば、自分は親友を失う事はなかっただろう。
「…そうね。そうするわ」
明るい笑顔で別れた彼女の最後の言葉が、今でも頭にこびり付いている。
カルラは知っていたのだ。
自分の命が長くはないであろうという事に。
もしかすると、自分が子供を庇って死ぬという事すらも解っていたのかもしれない。
倒れ伏した母親の下で、ハルは泣き声を上げる事なく目を見開いていたという。
自分を守ってくれた母親の意を汲み、敵に気付かれる事のない様に。
赤ん坊にそんな真似が出来る筈も無いと、誰もが口を揃えて笑う中、自分だけは口を引き結んでいた。
ハルはカルラの娘だ。
赤ん坊であっても、子供であっても、ボンゴレの血を引く娘なのだ。
何があってもおかしくは無い。
例えその頭脳が驚異的に優れ、大人の言葉を既に理解出来ていたとしても。
「ツナ…綱吉」
膝の上に乗せていた息子を抱え、視線を合わせる。
ハルより5ヶ月程遅れて生まれた子供は、まだ眠っている時間の方が長い。
今も熟睡しきっているのか、多少身体が揺れたところで目を開け様とはしなかった。
「綱吉。早く大きくなって、大事な人を守れる様になれ」
眠り続ける息子に、静かに語り掛ける。
睡眠学習とは良く聞く言葉だが、ある種、自分のしている事はそれに近いのかもしれない。
「自分が大事だと思える人を守れるぐらい、強くなれ」
自分の様に、奈々の様に、そして…カルラの様に。
これから先、綱吉がどんな人生を歩むのか、それは息子にしか解らない。
彼が生きていく中で、どんな人々と出会うのかも、ずっと傍についていてやれない自分には解らない。
けれど、出来ればその人生の中に、ハルという存在も含まれていて欲しかった。
自分とカルラが出会った様に、綱吉とハルもまた、同じ血に惹かれて出会うだろうから。
家光が日本を離れて十年と少々。
綱吉とハルは、リボーンという存在によって引き合わせられる事となる。