白日時計
「…スパナさん、これ何か入れました…?」
「ん」
口元を押さえたままのハルを振り返り、スパナは彼女の手元にある箱へと視線を落とした。
薄紫色の箱の中に綺麗に詰まっているのは、バター色をしたクッキーの数々だ。
当初は某有名菓子店で買う予定だったのだが、メカの材料費に全財産を注ぎ込んでしまった為、今のスパナには手持ちが一切無い。
後一週間もすれば、既に納品した分の代金は振り込まれる予定ではあるのだが、それから買ったのでは遅いと気付いたのがつい昨日の事。
結果的にクッキーを自分の手で作る事となったのだが…。
「不味かった?」
味見をしない男の手作りである。
見栄えは良くとも、舌映えまでもが良いとは限らない。
「はひ…。不味くはないんですが………」
多少言いにくそうにハルは俯き、食べ掛けのクッキーをじっと凝視している。
それ程までに妙な味だったのだろうか。
「一つ良い?」
ハルの膝上に乗せられた箱に手を伸ばし、一応の確認を所有者へと取ってみる。
が、実際は彼女の返答を待たずに一枚を摘み上げ、スパナは躊躇無くそれを一口食んでいた。
「え、あ、駄目です…!」
ハルが慌てた様に顔を上げるも時既に遅く、クッキーの半面はスパナの胃袋へと納まってしまう。
「………」
「………」
無言の刻が流れたのは1分程度。
効果は直ぐに顕れた。
「…あれ、ウチこんなの入れたっけ」
「…ハルに聞かれても解りません…」
不思議そうに首を捻るスパナに、ハルは再び顔を俯かせて呟く。
じわじわと身体の芯から、痺れる様な感覚が波打ちながら押し寄せて来る。
熱いと感じる暇も無く、視界が徐々に透明感を増して行った。
目の前にいるのは、恋人の可愛らしい姿。
普段より更に愛しく感じられるのは、きっと純粋に欲求が高まっているせいなのだろう。
「ハル、御免」
これは間違い無い。
クッキーに媚薬が混ざっている。
見た目が白いから、もしかしたら砂糖と間違えたのかもしれない。
だとすれば、相当な量の媚薬がこのクッキーに仕込まれている筈だ。
道理でこんなにも早く効果が現れる訳である。
「はひー、スパナさん…これやっぱり…?」
「ん。わざとじゃ…ないんだけど、な」
じりじりと背後に下がりつつあるハルの腕をさり気無く掴み、それ以上逃げられない様に手に力を込める。
目に見えてハルの顔が引き攣るのが解った。
「え、あの。スパナ、さん?」
「うん」
「ハルちょっと用事を思い出したので、そろそろ失礼しますね」
「さっき、今日は丸一日オフだって言ってたのに?」
「はひっ。…え、その、急に思い出しちゃったんです」
「そうなんだ」
「はい、だから手を離して下さい」
「ハルが嘘吐いてるから駄目」
「はひ!嘘なんて吐いてないですよ!?…って、引っ張らないで下さいぃ」
グイと腕を引くと、軽い身体は簡単に胸元へと飛び込んで来た。
そのまま片手でハルの腰を抱くと、ピッタリと密着した体温のおかげで、血液は更に温度を上昇させて行く。
「今日はホワイトデーですよね!?」
「うん」
「なら今日はハルの言う事聞いて下さいっ」
「それ、論理が破綻してる」
「とととにかくですね、一回離れて―――」
完全にパニック状態になったハルを見つめると、スパナは喧しく騒ぎ立てているその艶やかな唇を塞いだ。
「…ん、んーっ!」
口中でもがもがと尚も騒ぎ立てる相手に、酷く劣情が掻き立てられて仕方が無い。
それ程強力な媚薬では無かった筈だが、これはやはり分量のせいか。
息苦しくなったのか、漸く大人しくなったハルからそっと顔を離し、スパナは真正面から少女を見つめた。
「ハル。プレゼント、追加するよ」
「つ、追加…ですか」
「ん」
「…出来ればノーサンキューと言いたいんですが」
「それはあんたも無理だって解ってる筈だ。…ウチもね」
「はひ…」
ハルの上気した頬を見れば一目瞭然、彼女もまた自分と同じく限界に近い事が解る。
最後まで流される事を渋っていたハルも結局は抗い切れず、多少涙目になりながらも覆い被さって来るスパナの背中に両手を回していた。