何時しかの、想いに掛けて誓う者
「めー姉」
頬杖を付きながら、不貞腐れた顔でレンが呼ぶ。
「んー?」
対するメイコは、何処か眠そうな顔と声。
「これ、逆じゃねーの?普通」
「いいじゃない。偶にはこういうのも」
「いや、偶にはも何も、俺やって貰った事ねーし…」
「ゴチャゴチャ言わない!」
メイコの指先が下から伸びて、レンの額を軽く弾く。
「横暴な姉貴だよなぁ…」
何処か諦めた様に、レンが深い溜息を吐く。
「何よ」
「何でもねー」
再び頭上から聞こえてきた溜息に、閉じかけていた瞼を片方だけ開けて、メイコは意地悪な表情で笑った。
「賭けに負けたのは、あんたの方でしょ?だったらグダグダ言わない」
「ヘイヘイ」
「うむ、よろしい」
満足そうに頷くと、メイコは今度こそ両目を閉じた。
眠かったのか、すぐに静かな寝息が聞こえて来る。
「早っ」
呆れた口調で小さく呟くと、己の膝で眠る姉を見下ろす。
まだまだ細くてひょろ長い脚の上にはクッションが敷かれ、更にその上にメイコの頭が乗っている。
つまりは、直接では無いにしろ膝枕をしている訳だ。
元々は直に頭を置く予定だったのだが、どうにもバランスが悪く、仕方なくこういう形になった。
「ったく…少しは自覚しろっての。女としてどーなんだ、これ」
スヤスヤと子供の様に眠る姿に、またしても溜息。
最近この溜息を吐く回数が、やけに増えた気がする。
間違い無く、気のせいではないだろう。
そしてその原因は、この眠るボーカロイドにあるのだ。
チラリと視線を移すと、其処にはあどけない寝顔。
完全に安心しきっている表情で、夢でも見ているのか時折何やら言葉を紡いでいる。
良く聞き取れないが、どうやら夢の中でも歌っている様だ。
柔らかそうな薄い桜色をした唇に、自然と目が惹き付けられる。
「バーカ…」
直ぐに視線を逸らしてはみるものの、気がつけばまたしても唇へと目が向いてしまう。
その事に自分で気付いた瞬間、途端に心臓の音が聞こえ出した。
ボーカロイドの身では有り得ない筈の、ドクドクと血の通う音に合わせて、徐々に身体を前のめりに傾けて行く。
後少しで唇に触れそうになったその時、背後で扉の開く音がした。
「――――!!」
声にならない叫びを上げて、勢い良く上半身を起こす。
その反動で膝が揺れるが、幸い眠り姫が起きた様子は無い。
「あれ、レン?」
全身に汗をびっしょりとかいて振り返ると、其処にはカイトが片手に紙袋を抱えて立っていた。
「な、何だよっ!?」
「いや、何でそんな驚いてんの?」
慌てるレンに不思議そうな顔で、カイトが近付いて来る。
「あ、めーちゃん。こんな所で寝てたのか。部屋に行っても居ないから探しちゃったよ。リビングだったとは」
背後からレンの膝上を覗き込み、カイトがへにゃっと笑う。
「お、おう…。メイコ姉がいきなり賭け事しようって言い出してさ」
「へぇ、何やったの?」
「トランプ。ババ抜き」
ソファの前にあるガラステーブルに散らばっているトランプを示し、レンは赤くなった頬を隠す様にしてカイトから視線を逸らす。
「あー、それで負けたのか。めーちゃんは強運の持ち主だからね〜。で、膝枕賭けたんだ?」
「いや、勝った方が何でも相手の好きな事聞くってヤツで」
「ふーん」
興味深そうな眼差しをメイコに注ぎ、カイトは腕に持っていた紙袋をレンに差し出した。
「これ、ちょっと頼まれてくれるかな?」
「何だよこれ」
差し出された紙袋を不審そうに眺めるレンに、カイトはにっこりと笑って無理矢理押し付ける。
「アイス」
「は?こんなに買って来たのかよ!?…って、冷たっ!!」
凍える温度が一方の腕に集中して、慌てて袋を両手で持ち替える。
レンが慌てているその合間に、カイトはメイコをそっと抱き上げてしまった。
「俺、めーちゃん部屋に運ぶから、それ冷凍庫によろしく」
「え…ちょ、待てよ!」
さっさとリビングを出て行こうとするカイトに、クッションを跳ね除けて立ち上がる。
「ん?」
「いや、ん?じゃなくて!自分で入れればいいだろ!?」
「だって、めーちゃん其処に寝かせておけないし」
カイトは真面目くさった顔で、当たり前の様にそう答える。
「……何で?」
ドキリ、と心臓が音を立てた。
もしかして、カイトは見ていたのだろうか。
さっきのあれを。
そんなレンの動揺を悟ったかの様に、一瞬だけ、カイトの目が真剣な光を帯びる。
それは直ぐに柔らかな笑みに取って変わられたが、それだけでレンには十分だった。
「風邪ひいてしまったら、大変だからね」
人好きのする明るい笑顔で、今度こそカイトはリビングから出て行った。
大事そうに、愛しそうに、眠るメイコを腕の中に抱えて。
「………」
レンも今度は呼び止めはしなかった。
否、呼び止められなかった。
今のカイトには何も言えなかったし、言えたとしても恐らくは勝ち目がない。
ぐっと紙袋を抱える腕に力を入れ、悔しそうに唇を噛む。
どうやったって、今はカイトの方が有利だ。
何もかも一歩先を行っているカイトに追いつくには、まだまだ時間がかかるだろう。
だから、今はこうしてリビングに残っているしかない。
「…くそっ」
閉まった扉を睨み付け、小さく毒吐くとレンは紙袋をソファに投げ付けた。
このままでは哀れな末路を辿るであろうアイスに、けれど一向に構う事なくソファに身を投げ出す。
「俺だって、後数年もすれば…」
カイトにだって負けない、大人の男になれるはずだ。
いや、必ずなってみせる。
身体の方はマスターに弄って貰えば何とでもなるし、これで精神的にもカイトを越える事が出来たら。
「その時は、絶対俺が」
この先の言葉を言える様になるまで、この気持ちを打ち明ける事は絶対にしまいと、そう誓った。