限りなく仮装に近い何か〜ベルフェゴール編〜
ハルは全力で廊下を駆けていた。
刻々と確実に進みつつある時計は、既に予定時刻を1時間もオーバーしている。
特に何事も問題が無ければ、後30分もしない内にパーティは始まってしまうだろう。
「はひー、急がないとです!」
バタバタと騒がしい足音を立てているものの、それを気に留める人間は近くには居ない。
ほぼ無人に等しい廊下で擦れ違うのは、この屋敷を守る為の警備員ばかりで、他に人の姿は見当たらない。
恐らく幹部クラスの者達は全員、既に会場へ集まっているのだろう。
ハルも予定通りの時間に仕事が終わっていれば、疾うの昔に会場へと向かっている筈だった。
それを邪魔したのは、予定外の客人の存在。
同じファミリーの一員、しかし少々厄介な人物かつハルの知り合いという事で、彼女が対応をする事になったのだが、肝心要のその人物は何時になっても部屋に現れる事は無かった。
否、一度は部屋に来たらしいのだ。
急に呼び出されたハルが珈琲を淹れている合間に部屋を抜け出し、何処かに姿を眩ましてしまうまでは確かにソファでくつろいでいた筈だと、警備員の一人が語っている。
結局待ちぼうけをくらっていたハルは、何処か気まずげな表情をした綱吉が現れ、仕事終了の合図をくれるまで延々と部屋の中に立ち尽くしていた。
「もう、一体誰だったのでしょう。こんな日に…」
恨み言を口にしながらも、自分用として与えられていた部屋へ、駆けていた勢いそのままに飛び込む。
すると、何故か目の前に障害物があった。
「はひ?」
部屋より更に黒いその物体へドン、とぶつかると、障害物からスルリと二本の腕が伸び来て、そのままハルの身体を羽交い絞めにする。
「ししっ、遅かったじゃん。王子待たせるなんて、ハルって本当に良い度胸してるよなー」
頭上から降って来た声に、ハルは驚いた様に目を瞬かせて相手を見上げた。
「…そ、その声。もしかしてベルさんですか?」
「当たり。つか、他に誰がいんの」
至近距離で覗き込んで来る顔に両手を当て、咄嗟に唇をガードする。
「ちっ」
小さな舌打ちに、ハルは自分の判断は正しかったと、心の中で己を誉め湛えた。
「どうしてこんな所に…?確か仕事でアメリカへ渡っていた筈では」
「ん?あぁ、それね。マーモンに任せて来た」
「はい?」
飄々とした態度の王子様に、思わず聞き返してしまう。
その拍子にベルフェゴールの顔を押さえていた手が外れ、再び互いの顔がかなりの至近距離まで接近する。
「だって、面倒じゃん?殺しの仕事ならともかく、今回のは単なる要人警護だっつーし。んなの、ルッスーリアとかレヴィ辺りに任せておけっての」
「そ、そんな。それじゃ今、マーモンちゃん一人で…?」
「大丈夫だって。何か、ハルは前々からマーモンをか弱い生物みたいに扱ってるけど、あいつオレよりタフなんだぜ?色々と」
「そういう問題じゃありません!」
唇が触れるまで、後数センチ。
慌てたハルが再びガードの体勢に入ろうとするも、腰に回されていた手は何時の間にか外れており、代わりに両手首を掴まれてしまって動けない。
「いーの、いーの。だってオレ、王子だし?」
何時もの口癖で言葉を締め括ると、ベルフェゴールは更に顔を近付けて、ハルの反応を楽しむ様に笑う。
「はひー!近いですから!!ハルの耳はまだまだ健在ですし、こんな間近じゃなくても、充分過ぎる位聞こえます!!」
ぐぐぐっと首を真横に逸らせ、ベルフェゴールの攻撃から逃れようと試みるハルは、ふと嫌な予感が頭を過ぎって真顔になると相手を見つめた。
「…ん?」
突然大人しくなったハルに、今度は金髪王子が首を傾げる。
その仕草は何処か子供じみていて、ついつい気を許してしまいそうになるが、それが彼の手口だという事は解りきっていた。
さり気に目の前の唇を牽制しつつ、ハルは恐る恐る尋ねる。
「あの、まさかとは思うんですが、一時間ぐらい前に来たお客様って……」
「オレ」
「やっぱりですかー!!」
アッサリと認めたベルフェゴールに、ハルは一声叫ぶとガクリと肩を落とした。
そして気付く。
月光が差し込んでいる、窓辺に飾ってあるアンティーク調の置時計が、既にあれから20分は経過していると告げている事に。
「はひ!」
今度こそ本気で絶叫すると、ハルは慌ててベルフェゴールの腕を振り解く。
予想外の叫びに意表を突かれたせいで簡単に外れてしまった己の手を見遣り、ベルフェゴールは軽く肩を竦めた。
「何慌ててんの、ハル?」
「パーティです!」
壁際のスイッチを入れて急いで部屋を横切ると、ハルは部屋の片隅に置かれていたクローゼットに駆け寄る。
程無くして明るくなった室内に、ハルが必死でクローゼットの中を掻き回している光景が目に映る。
「パーティ?」
「はい、今日はハロウィンなので、仮装パーティがあるんですよ。あぁぁ、もう何処に仕舞ったんでしたっけ…っ。確か一番真ん中に掛けておいた筈なんですが…」
ガシャガシャとハンガーを鳴らしながら何やら探している後姿に、ベルフェゴールは一歩近付くと親指を寝台へと向けた。
「もしかして、アレの事?」
「はひ?」
彼の声に反応してハルが其方へ視線を向けると、綺麗に整えられたベッドの上に、黒い衣装が放り投げられているのが見えた。
「あ、これです。ハルが探してた――……はひー!!何で破れてるんですか!?」
嬉しそうに衣装を持ち上げたその顔は、しかし直ぐに青白く変色する。
購入した時は確かに一枚の布として在った筈のその衣装は、今となっては見るも無残な有様へと変貌を遂げていた。
一体何をどうしたら、此処までリンゴの皮むきの如き細さに刻めるのだろうか。
ビリビリに避けてしまっている衣装は、とてもでは無いが着られそうにない。
「だってオレ、切り裂き王子だしー?」
「訳が解りません!」
衣装を腕に抱えて嘆くハルに、こんな真似を仕出かした犯人は、しかしながら反省した素振りの欠片も見せない。
「仮装パーティなんて興味ねーけど、せっかくのハロウィンだし。ハルに合わせてやろーと思ってさ」
「ハルに合わせる事とこの仕打ちと、一体何の関係が…。うぅ、もう間に合いません」
ペタリと床に座り込む姿に合わせ、ベルフェゴールも又屈み込む。
「別に良いじゃんー?オレと一緒に此処にいれば。王子と過ごせる一時なんて、結構名誉な事なんだぜ」
ケロリとした顔で言い切る相手を軽く睨み、次いで衣装をじっと見下ろす。
そんなハルの姿に一度言葉を切ると、ベルフェゴールはその手から衣装を取り上げた。
「それにさ、こんなの着て行ったら危ねーっての。何、コレ。スカート短過ぎじゃね?」
「そういう服なんです!この上からローブを羽織るので、ノープロブレム…だったのに、だったのに!…ベルさんの馬鹿ー!」
ボスッ、と正拳付きを繰り出してベルフェゴールから距離を取り、反射的に目に入ったベッドのシーツを勢い良くひっぺ剥がす。
メイクが不完全だったのかシーツは簡単にベッドから剥がれ落ち、手に残った布を頭から被ると、ハルはそのまま脱兎の如き素早さで部屋から駆け出して行ってしまう。
後に残されたベルフェゴールは、口をへの字に曲げてそんな彼女の後姿を見送り、片手に取り出したナイフを弄びながら、再び衣装をベッドへと放り投げた。
「…ま、あれならまだマシだろ。にしても、10年前と全然変わってねーよな、ハルって…」
ボソリと呟いた言葉に触発されたのか、自然と10年前の光景が脳裏に蘇る。
あの時も確かハルは、白い布を被ったお化けの格好をしていた。
ふと思い出した記憶が懐かしく、柄にも無く感傷に浸りそうになる自分を鼻で笑いながら、ベルフェゴールも又、足早に部屋を出る。
恐らくは先に会場に居るであろう雲雀と、そんな彼に会場から引っ張り出されているであろうハルへ会いに行く為に。