変わり変わって変わる時4
その家に掲げられている表札を見た瞬間、ハルは脱兎の如く逃げ出した。
しかし、それを見逃す二人では無い。
「待ちなよ」
「逃がすワケないじゃん」
2本の手がハルの両肩をそれぞれガッシリと掴み、門前まで無理矢理に引き擦り戻す。
「はひー!ハル、ツナさんに会うの嫌だって言ったじゃないですかぁぁ!!」
本来であれば絶叫したかったのだろうが、綱吉に見つかる事を恐れてか声量はかなり小さい。
これ程に器用な真似が出来るのも、愛の力の成せる技なのだろうか。
雲雀とベルフェゴールは示し合わせた様に顔を見合わせ、そのまま沢田家へハルを連れ込もうと更に腕に力を込めた。
往来を通る幾人かが不思議そうな視線を向けてくるが、それに二人が構う筈も無い。
「ちょちょちょっと待って下さいっ。タイム、タイムです!」
「時間を与えたとして、何が変わるんだい?」
「どーせ逃げるだけだろ?早く行こーぜ」
「そんな事ないです!その、あの、ホラあれです。少しだけ心の準備がしたいなーって言いますか…っ」
自分の肩を押さえている二名の腕を掴み、ハルは早口で捲くし立てると、視線をチラリと通りへ向ける。
如何にも今から逃げますと言わんばかりの態度に、今度こそ問答無用で2人は玄関口へと向かった。
「あぁぁ、待って下さいって…!」
男になったせいか腕力だけは前よりあるものの、それでも戦闘に特化された二人の腕を振り解く事は困難である。
このままでは、あっと言う間に綱吉の前に引き出されてしまうだろう。
何か策は無いものかと必死で頭をフル回転させていたハルは、突然反抗するのを止めて身体の力を抜いた。
「…?」
「お」
急に手応えの無くなったハルに、雲雀は片眉を上げ、そしてベルフェゴールは驚いた様に振り返る。
「観念した?」
軽く笑い声を立てるベルフェゴールと無言の雲雀に、今までとは全く違う動きで、ハルはそっと手を伸ばした。
その手はそれぞれ少年達の頬へと添えられ、同時に指先で優しく擽る様にして撫でて行く。
「御免よ、ベイビー達。本当は心行くまで付き合ってあげたいんだけど、今の俺には時間が無いんだ。だから、また今度ね」
わざと周囲に聞こえる音量で放たれた言葉に、雷に打たれたかの様な衝撃が二人の少年の身体を駆け抜ける。
今時、こんな気障な台詞を吐く男は早々居ない。
いやそれ以前に、まさかこれは自分達に向けられたものなのだろうか?
凍り付いた空間によって、ベルフェゴールの口元から笑みが消え、雲雀の顔は完全に固まった。
それを見たハルは、まるで愛しい者を見るかの様な笑みを浮かべたまま、自分の肩に置かれていた両手をやんわりと外す。
「それじゃ、子猫ちゃん達。またね」
本来の彼女…いや、彼であれば絶対に出来ないであろう笑顔で、ハルは片手をヒラヒラと振って背を向けた。
そしてそのまま走る事も無く、至ってのんびりとした動作で沢田家より立ち去って行く。
その背中に薔薇の花弁が舞い吹雪いている様に見えたのは、決して二人の目の錯覚ではないだろう。
現実的な意味では確かに幻覚に違いないのだが、心境的な意味ではある意味現実よりも余程リアルだ。
「………」
「………」
二人はそんなハルをただ見送るだけで、引き止める事も、そればかりか言葉さえ出て来なかった。
運悪くも道を通り掛かった数人に先程の現場を見られ、遠巻きに凝視されているこの状況で、一体何を言えば良いというのか。
普段の彼等であれば気に入らない人間に容赦無く制裁を加えるところだが、流石に今はそんな気分になれないどころの話ではない。
ハルが突然豹変した理由は、言わずもがな逃走する為である。
それは解っている。
解ってはいるのだが、衆目の面前で、まさか突然薔薇族の世界へ引き込まれるとは思ってもみなかっただけに、二人の驚愕はとても言葉では言い表せない物だった。
「なー、エース君……」
「何…」
結局二人が話せる程に回復したのは、通行人が全員去ってから更に数分が経過してからの事であった。
「ハル、どんどんヤバイ方に向かってね?幾らオレらを撒く為だつってもさー」
「だからこそ、沢田の家に来た筈なんだけどね」
「こうなったら、ハル抜きで話進めておくしかねーって事?」
「僕らだけでかい?」
「そりゃー……」
ハルが居ないのだから、自分達だけで話を聞くしか無い。
そう続けようとしたベルフェゴールは、しかし雲雀の言わんとしている事に気付いて口を噤んだ。
自分も雲雀も、元々沢田綱吉とは相性が良くない。
そればかりか、ハルが好きだと公言して憚らない人物でもある。
そんな人間相手に自分達だけで出向いて、果たして話をするだけですむだろうか?
答えはどう探しても『否』だ。
「早いところ三浦を見つけるよ。あんな状態で放置しておくと、それこそどうなるか解らないからね」
「…捕まえて、またあんな台詞吐かれたらどーすんだか」
「その時は黙らせるさ。二度とあんな事は言わせない」
「あー…それもそうだよな」
同じ轍は二度と踏まない。
先程味わった屈辱は、ハルが元に戻った時に思う存分報復させて貰おう。
口にせずとも全く同じ事を同時に考え、二人の少年はそれぞれ正反対の方向へと歩き出した。
彼等の頭上にある二階の窓、綱吉の部屋と思しき場所のガラス戸が、ほんの少しだけ開いていた事に二人が気付いていたかは定かでは無い。
しかし、一部始終を聞いてしまった部屋の主としては、「…た、助かった…」と胸を撫で下ろしたのも致し方の無い事であった。
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