待ち人来たりて王子様2
「あ」
呼び止めたのは、一つの声。
何処かで聞いた事のあるそれが、自然と身体を振り返らせていた。
「やっぱり、ベルさんだ」
小走りに駆け寄って来たのは、一人の少女。
何処かで見た顔だと記憶を探り、答えは直ぐに出た。
そうだ。
名前は確か、三浦ハル。
彼女はどうやら、ここ最近の戦いを知らないらしい。
恐らくは、ボンゴレリング争奪戦に全く関わっていないのだろう。
友人を見つけた時の喜びをそのまま顔に乗せて、何の警戒も無く此方へと近付いて来る。
「ししっ。久しぶり〜」
松葉杖から手を離し、片手を振って見せる。
余り使う事のない道具ではあるが、ここ最近自在に操れる様にはなってきた。
尤も戦闘になれば、こんな物放り出して戦える程度には回復してきてはいるが。
「一体どうしたんですか…その怪我。わ、包帯だらけ」
目を丸くして怪我の具合を検分している少女を見下ろし、そのあどけない顔に少しばかり殺意を覚える。
自分が此処まで負傷した原因は、彼女の仲間にある。
少なくとも自分はそう考えている。
そして、自分達は敗北した。
勝利は目前だったのに、敵のボスである沢田綱吉の仲間の一人によって、立場がガラリと逆転してしまった。
おかげ様で、今まで立てていた計画は全てパァだ。
自分のボスであるザンザスも、ボンゴレ顧問の手に委ねられてしまった。
「なら、ちっとばかし復讐しても良いよなぁ」
「はひ?」
ボソリと呟くと、その言葉に反応してハルが顔を上げる。
しかしその内容までは聞き取れていなかったらしい。
全くの無防備な表情で、此方を見ている。
「いんや何でも。…あぁ、沢田綱吉達は元気にしてる?」
「え。ベルさん、ツナさんと知り合いだったんですか?」
「ん。一応ね」
「それは知りませんでした。あ、ツナさんは元気ですよ!他の皆さんも。怪我してる人も多いですけど」
「…そりゃ良かった」
わざと低い声で笑って見せるが、ハルは気付いた様子がない。
相変わらずにこにことした笑顔で対峙している。
その笑顔が、無性に癪に障った。
「な、ハル。これからオレん家来ねぇ?」
「はひ、今からですか?」
「そ、今から。ハルはボンゴレファミリーの事、あんま知らねーみたいだからさ。オレなら色々と教えてあげられるぜ?もう何年も本拠地にいたしな」
ニィと笑うと、ハルは少し考える様に首を傾げた。
「ボンゴレファミリーって、将来ツナさんがなるマフィア関係の事ですよね」
「そそ。……アイツがボスになる事になっちまったファミリーだな」
此処にもし沢田綱吉の仲間がいれば、直ぐにでもハルを止めていただろう。
そのぐらい、今の自分は荒んだ気を発しているはずだ。
だが残念ながら、この場に彼等はいない。
そしてこの少女には、そんな気を読み取る力はない。
今の自分を止められる人物は、誰一人としていないのだ。
愉快な気分だった。
この少女を手酷い目に合わせてやれば、少しは気分も晴れるかもしれない。
その時の綱吉達の顔を想像するだけで、楽しくてたまらなくなってくる。
「解りました、それじゃお願いします!ツナさんの妻になる身なら、夫の仕事ぐらい知っておかないといけませんし」
「りょーかい。んじゃ、行こうか」
松葉杖の向きを変え、ザンザスが独自に購入した屋敷へと向かう。
現在、屋敷の主はボンゴレ9代目の元にいるので不在ではあるが、屋敷は売却される事もなくそのまま手付かずで残っていた。
現在屋敷を使用しているのは、ベルフェゴールとマーモンぐらいだろう。
他のメンバーは皆、イタリアへと戻っている。
そのマーモンも、しょっちゅう何処かへ出かけているので、実質屋敷にいるのはベルフェゴール一人の時が多かった。
使用人もごく最低限の人数しかおらず、その全員がファミリーの息が掛かった者ばかりだ。
監視の意味合いも兼ねているのだろうが、ベルフェゴールが怪我をしているという事もあり、油断している者が多い。
実力的には、ベルフェゴールの足元にも及ばない者も居たりする。
相手が二人程度までなら、圧勝する自信はあった。
こうして外出する際にも、遠くから監視する者がついて回ってはいるが、この少女が誰なのか知る者はいないだろう。
外見上には和やかに話しているから、まさか今から自分が彼女に害を成そうとしている等とは、誰も思いはすまい。
ししっと小さく笑い、ハルが嬉しそうな表情でついてくるのを確認する。
「夫って言ったっけ?」
「はひ?」
「さっき、ツナさんの妻がどうのこうのって言ってたっしょ。ハルは沢田綱吉が好きなんだ?」
「はい!だから、ハルはツナさんの妻になるんだって決心したんです」
「あいつがマフィアのボスになるって知った上で?」
「勿論です。…最初は、マフィアとか何の遊びかと思っちゃいましたけど…」
そう言いながら穏やかに微笑む顔に、ざわりと黒い思念が腹の底でとぐろを巻く。
こんな甘い世界でのうのうと生きてきた人間達に、自分達は負けたのか?
常に生と死の狭間で戦い続けて来た、このヴァリアーが?
今の今まで戦う術すら知らなかった、この一般人達に!
中には戦闘経験のある者もいたが、どう見ても小数しかいなかったはずだ。
引き換え此方は、全員が戦闘経験豊富な殺し屋が勢揃いしていた。
「結局は、血の繋がりが一番の理由って事かよ…」
小さく毒付くと、地に伏したザンザスの姿が鮮やかに脳裏に蘇る。
呪いの言葉を吐くボスの姿に、ベルフェゴールはその時哀れみすら覚えた。
血が繋がっていないばかりに、ボンゴレファミリーのトップには永久になれないザンザス。
誰よりもその立場に在りたかったはずの彼が、大して熱望もしていないあの少年に負けた最大限の理由。
ボンゴレの血。
自分にはトップに立とう等という気は毛頭ないせいか、ザンザスの苦しみは良く解らない。
けれど、血を吐く彼の叫びには正直、哀れみと同時に羨ましいという思いも沸き起こらせた。
そこまで執着するものがある人間は、幸せなのではないだろうか。
例え、苦しむ事が多いとしても。
「ベルさん?」
突然黙り込んでしまった自分に、ハルが不思議そうな声を向けた。
その声で我に返ったベルフェゴールは、自分達が既に屋敷門の前にいた事を知る。
考え事をしてはいても、自然と足は屋敷に向かっていたらしい。
それだけ、この場所に馴染んでいたという事か。
「わり、着いたぜ。ここがオレの今の家」
「大きいですねー。ハルの家が何軒入るんでしょう…」
ほえー、と目を丸くする彼女を誘導して門を潜る。
目に付く位置には居ないが、あちら此方の影で人の蠢く気配を感じる。
今まで付いて来ていた監視員も、自分の持ち場へと戻った様だ。
「本拠地はもっと広いし、自由が利いたんだけどな。ま、その話は後で」
屋敷内の廊下を歩きながら、幾つもの扉の前を通り過ぎて行く。
ハルはしきりと感心した様子で、あちらこちらへと視線を向けては歓声を上げている。
それが一際大きくなったのは、ベルフェゴールが使用している部屋へと通された時だった。
「わー!」
磨き抜かれた真新しい扉に始まり、室内の豪華絢爛な装飾にハルは目を輝かせている。
「凄いです、こんなお部屋見たことありません!!この椅子とかでハルの家が買えちゃいそう…」
ベルフェゴール愛用の椅子の前に立ち、ハルはじーっと彫り込まれた模様を眺めている。
そんな様子を見遣ると、ベルフェゴールは気付かれない様に後手に室内の鍵を閉めた。
カチャリと小さく音が鳴るも、彼女が気付いた様子はない。
相変わらず椅子の前で身を屈め、けれど決して手は出さずに見ている。
さて、どうやって痛めつけてやろうか。
そう考えながら、ゆっくりとハルへと近付いて行く。
「別に大した事ないし。っていうか座ればいーじゃん?」
「えぇ!?駄目です、こんなビューティーな椅子に座れませんよっ」
「…じゃー、そっちのソファに…」
「はひー、こっちもスーパー高そうです!無理です!!」
「…じゃー、あっちは…」
「こんな綺麗なの、座るなんて勿体無いですよ!!」
「…残りはベッドしかねーよ?」
「何言ってるんですか!この部屋で一番綺麗でデンジャラスなぐらい高そうなのに、どうやってハルが座れると言うんですか!!」
真剣な表情で此方を見てくるハルに、思わず吹き出してしまう。
何この女、面白えー。
「そんなんじゃ、ボスの妻なんて無理じゃねー?本拠地はもっと高価なので一杯だぜ」
「えっ…そ、そうなんですか?」
「もっちろん。ボンゴレのトップにいる人間が、安い家具に包まれてる訳ねーじゃん?そんな中で、あんたどうやって生活すんの。今でもそんななのに」
「はひ…どうしましょう」
本気で困った表情を浮かべるハルに、再び笑いが込み上げて来る。
今までにない新鮮な反応と言葉に、先程まで胸中を渦巻いていたドス黒い感情はすっかり薄れてしまった。
文字通り毒気を抜かれてしまい、ベルフェゴールは肩を竦めてハルに近付く。
こんな状態では、痛めつける気も失せるというものだ。
「ホラこっち」
椅子を前に固まっているハルの肩を掴むと、引き摺る様にしてソファへと連れて行く。
その上で手を離せば、重力に従って彼女の身体はソファに沈んだ。
その余りの柔らかさと深く沈む身体に、ハルは奇声を上げる。
「はひーっ。何ですかコレ!」
じたばたと暴れながら身を起こそうとするも、余計に身体がソファの中へと沈み込んで行く。
まるで蜘蛛の巣に捕まった獲物みたいな格好に、ベルフェゴールは今度こそ爆笑してしまった。
「何やってんだよハルー」
「だだだって、これ柔らか過ぎてっ!笑ってないで起こして下さいぃぃぃっ」
「やだね。面白ぇーから、もうちょっと見物してるわ」
「酷っ。意地悪しないで、手を貸して下さいー!」
「やだって言ってんじゃん?それぐらいしとやかに座れる様になんねーと、これから先苦労するだけだぜー」
「そそそ、それは困りますっ」
途端にハルは暴れるのをピタリと止め、ソファの脇を掴んで何とか身を起こす事に成功した。
しかし相変わらず身体はソファに埋もれたままで足は半分宙に浮き、しかもガチガチに緊張しているので、とてもではないがしとやかな姿とは言えない。
笑いしか誘わないその姿に口元を押さえつつ、噴出すのを何とか堪えながら自分も隣に腰を下ろした。
そのせいで更にソファが深く沈み、ハルの努力も虚しくその身体は再びソファへと飲み込まれた。
「ぎゃーっ!ベルさんの馬鹿ー!!」
澄ました顔で平然と腰を下ろしている自分に、ハルは恨めし気な視線を向けてくる。
「だから慣れときなって。ボスの妻になりたいんっしょ?」
「こここんなの一回で慣れる訳ありませんよっ」
「なら、何回でも挑戦すりゃいーじゃん」
「何回でもって、そんな今日一日ではとても無理ですっ!」
「だから、何日でも来ればいーじゃん。オレ、ここ最近暇してんし。ハルのその姿見てるの面白ーから大歓迎」
「面白くありませんっ!ハルは必死なんですよ!?」
「だって事実だしー?」
笑いながら、指先でハルを突付く。
その度に叫ぶ姿を見ながら、ベルフェゴールは笑い転げた。
まぁ、痛めつけるのは何時でも出来そーだし。
また今度で良いか。
そう自分の中で結論付けると、ハルを弄るのに集中する事にした。
自分の出したその結論が、永遠に達成される事はないと半ば予感しながら。