見えないもの








「ようこそ!ようこそ、当テーマパークへ。我々は貴方達を心より歓迎致します。ゆったりと楽しめる乗り物から、ハラハラドキドキスリル満点な出し物屋敷まで、色々と用意致しております」
大きく両手を広げた遊園地の責任者らしき男が、入り口付近でそう高らかに叫んでいた。
「はひ、凄い人気ですね〜」
フリーパスポート付のチケットを握り締めたハルは、しかしそんな男には目もくれず、忙しなく首を巡らせて園内を見ている。
「…あそこにいる煩いの、咬み殺して良いの?」
横に居る雲雀が彼を指差して初めて、ハルはその男へと視線を向けて慌てた。
「だ、駄目です!今日はデートなんですから、バイオレンスな事は一切無しでお願いします!!」
直ぐにでもトンファーを持って殴り掛かりそうな雲雀の腕を取ると、今まで何やら遊園地の演説をしていた男と視線がバッチリ合ってしまう。
彼はにっこりと笑い、此方へと歩み寄って来た。
「は、はひっ。ヒバリさん、絶対駄目ですからね!!」
小声で注意してはみるものの、肝心の雲雀は近付きつつある男から視線を外そうとしない。
武器を取り出す気配が無いのが救いと言うべきか。
尤も、ハルに腕を取られているので出そうにも出せないだけなのかもしれないが。
「ようこそいらっしゃいました、お客様方。此方へは初めてお越しになられたのですかな?」
好々爺然とした男に、ハルが何度も頭を上下して頷く。
「はひ。最近この辺りに遊園地が出来たと聞きましたので」
「それはそれは、有難う御座います。どうぞ、思う存分楽しんで行って下さいませ」
男の目が嬉しそうに細められ、それにつられてハルもまた笑顔を返す。
「有難う御座います」
「………」
二人がにこやかに会話を交わす間も、雲雀は無表情のままただじっと男を見ているだけ。
「そ、それでは、ハル達は早速遊んできますね」
一言も喋ろうとしない彼に冷や汗を掻きつつ、ハルは雲雀を連れて早々にその場を離れようと一歩を踏み出した。
「あぁ、そうだ」
しかし、男はわざとらしいまでに大仰な仕草で軽く手を打ち、去り行こうとしていた二人を呼び止める。
「初めてのお客様でしたら、本日は一番のお勧めの場所がありますよ」
「はひ?」
きょとんとした表情でハルが振り返ると、男はやや離れた位置にある大きな建物を示した。
「あそこに長方形の銀色の建物が見えるでしょう?あれはミラーハウスという鏡張りの迷路施設なんですが、通常のミラーハウスとは違いまして少々面白い仕掛けを施しております」
「面白い仕掛け、ですか…?」
日差しに眩しく輝いている建物に目を向け、ハルが興味深そうな表情で尋ね返す。
「はい。実際に入ってみれば解るとは思いますが、あれはカップル様向けの施設でして。二人の気持ちがどれだけ互いに向いているのか、謂わば試練の場とでも申しましょうか。男性と女性の入り口は別々にあり、それぞれの行き先にとある誘惑が待ち受けております。見事それを乗り越えて出口まで辿り着く事が出来ましたら、お二人の愛はまさしく本物!これから先も末永く仲良くお過ごしになれるでしょう」
其処まで言い切ると、男は盛大に両手を打ち鳴らして未来の夫婦へと祝福を送ってみせる。
パンパンパン、とリズムを取る拍手の音に、雲雀のこめかみが一瞬だけ波打つ。
「但し」
雲雀が懐からトンファーを取り出す前に、男は手を打つのを突如として止めると、意味深な笑みを浮かべた。
「もしも誘惑に負けました場合…。その時は、鏡に捕まってしまう事がありますのでご注意下さいませ」
人差し指を口元へ持って行き、静けさを促すポーズを取る男の芝居掛かった動作に、ハルは一度目を瞬かせて首を傾げる。
「ミラーに?えっと、それって一体どういう意味なのでしょう」
「それはお客様ご自身で体感して頂ければ解りやすいと思われます。さぁ、興味がおありでしたら、是非一度どうぞ」
建物へ視線を戻せば、美しい装いをした女性と男性がそれぞれ2つの入り口の前に立ち、まるで誘いを掛けるかの様にお辞儀しているのが見える。
「ヒバリさ…」
「僕は入らないよ」
心を擽られたハルが雲雀の腕を引っ張るも、彼は一言で却下の意を示した。
「そ、そんな!少しぐらい良いじゃないですかー。楽しそうですし、もし試練に打ち勝てたら、ハル達一生ハッピーエンド一直線なんですよ!?」
「…くだらない」
本気でそう思っているらしい雲雀のその表情に、しかしハルは食い下がるのを止めない。
単に遊園地の余興の一つだとしても、ハルにとってこれは千載一遇の機会なのだ。
雲雀と付き合い初めて数ヶ月。
毎日の様に会って話しているというのに、彼はなかなか自分の本心を見せてはくれない。
本当に自分の事を好きなのか、時々不安になる日もある。
それを確かめ様にも、まさか面と向かって聞く訳にもいかず、だからこそこんな好機は逃す訳にはいかなかった。
「…ヒバリさん、ひょっとして試練に打ち勝つ自信がないんですか?」
焦る余り咄嗟に出た言葉が、あからさまな挑発の色を宿す。
言った後で後悔して口を閉じるが時既に遅く、雲雀の表情が冷たく落ちて行く様が見て取れた。
「それ、本気で言ってるの?」
「え、いえ、あの…」
慌てて取り繕いの言葉を探すハルを冷ややかに見つめ、雲雀は背を向けるなりミラーハウスへと足早に歩き出す。
「そこまで言うなら行こうか。…けど、もし君がその試練とやらに勝てなかった場合、覚悟しておくんだね」
何故か背筋がゾッと粟立つ台詞を残し、先に建物の中へと姿を消してしまった雲雀を追いかけ、ハルは慌てて走り出した。




無数に合わさった鏡の世界、無限に映し出される自分の姿。
片手を表面に置けば、ヒヤリとした冷たい感触が返って来る。
自分の動きに合わせて、鏡の中の虚像も又同じ動作を繰り出す。
指先一つ違わない動きをする幾人もの自分に、ハルはまじまじと魅入られる様に見つめた。
「はひー…。こんなに沢山ハルがいると、何だか不思議な気分ですね〜。一度に双子の姉妹が出来た感じです。あ、2人以上ですから双子じゃないですね。…三つ子?五つ子?百つ子?」
真剣な表情で鏡を眺めながら呟くと、一時的な姉妹達も同じ仕草で笑う。
「って、見とれている場合じゃありませんでした。早く行かないと、ヒバリさんが怒ってしまいますね」
後できちんと謝罪せねば、と眉を八の字に下げて反省しながら一歩を踏み出す。
瞬間、幾重にも同じ動きをする姿が視界に入り、クラリと軽い眩暈がハルを襲った。
どうやら立ち止まった時間が長過ぎたのが不味かったらしい。
静から動へと移った途端、万華鏡に閉じ込められたかの様な錯覚が、様々な角度からハルの姿を反射して映し出していた。
張り巡らされた鏡の世界の中、額を押さえて蹲る姿が意図せずとも目に入る。
「はひー…。参りました」
鏡に背中を預け、目を閉じたまま小さく呟く。
早く出口に向かわないと、雲雀に妙な誤解を与えてしまうかもしれないというのに。

「何が参ったの?」

不意に背後から声が聞こえ、ハルは目を見開くと鏡から飛び退いた。
「………はひ!?」
振り返ると其処には自分の他に、一人の少年の姿が映っていた。
「どっち見てんの。こっちこっち」
ヒラヒラと片手を振って笑う金髪の少年に、ハルは今度は逆に身を反転させる。
「べ、ベルさん…。もー、脅かさないで下さいよー。ビックリしたじゃないですか。鏡から声が聞こえたのかと思いましたよ」
「ししっ。ハルが勝手に驚いただけじゃん?王子のせいじゃないしー」
頭の後ろで手を組んだまま、ベルフェゴールはヒョイとハルの顔を覗き込む。
「んで、何やってんの。こんな所でボーッとしちゃってさ」
「ちょっと立ちくらみ起こしてしまって…。でも、今のでそんなの吹き飛んでしまいました」
ハルが照れ笑いの表情で返すと、ベルフェゴールはニィと歯を見せて笑った。
「王子のおかげじゃん。感謝してよねー」
「はい。有難う御座います!これでやっと歩け……あれ?」
「ん。何?」
隣に立つ少年の姿をまじまじと見つめ、ハルは微かに首を傾げる。
「此処、女性専用の通路じゃなかったんですか?」
建物に入る前、入り口にしっかりと女性専用と書かれていた事を思い出す。
わざわざ試練と銘打つぐらいだから、てっきり通路も男女別なのだとばかり思っていたのだが、違ったのだろうか。
「知らね。途中で混じる仕様になってんじゃねーの?」
「あ、成る程〜」
二人一緒に歩きながら、納得の表情でハルが頷く。
人が傍にいるおかげか、会話のおかげか、今度は鏡に視線を捉われずに済んだ。
一応、鏡にぶつかる事を考慮して歩調は緩めているものの、出口を目指して一歩一歩を確実に進めて行く。
「でも、ベルさんもこういう所に来るんですね〜。少し意外でした。今日は誰と一緒に?」
「ししっ。秘密。そういうハルは、どーせエース君となんだろ?」
「はひ、解っちゃいました?」
「とーぜん。つか、バレバレじゃん?」
「あはは。ヒバリさんは嫌がってましたけどね〜。ハルが無理矢理連れて来ちゃったんです」
きっと今頃怒っているんだろうなぁと呟くハルに、ベルフェゴールが意味深な視線を流す。
「怒ってる割には、何か楽しそうに見えるけど?」
「はひ?」
「あれ、エース君でしょ」
不思議な発言と共に、前方を指差すベルフェゴールの指先を追うと、鏡の一つに雲雀の姿が映っていた。
優しそうに目元を和ませて笑う雲雀の横顔と、その隣で腕を組んで歩いている見知らぬ少女の姿に、ハルはポカンと口を開けて凝視する。
「はひ?」
右手の甲で自分の目を擦り何度も見直してみるが、依然としてその光景は変わらない。
「ヒ、ヒバリさん…?」
信じられないといった口調で、ハルは恋人の名前を呼んだ。
しかし距離があるせいか、当の雲雀は気付く事も無く、少女と共に鏡から消えてしまう。
恐らくは、此方からでは見えない角度へと進んでしまったのだろう。
「やっぱエース君か。あーあ。ハル、フラれたんじゃね?」
呆然と立ち尽くすハルに、ベルフェゴールの遠慮無い言葉が投げ掛けられる。
「………」
「ハル」
前方のみを見つめる横顔に片手を伸ばし、ベルフェゴールは自分へと視線を向けさせた。
「はひ」
ハルの口から出た言葉は溜息の様で、意図して出した物ではないと解る。
先程見た光景のショックから、頭が混乱状態に陥っているのかもしれない。
そう思わせるのに充分なぐらい、ハルの目はぼんやりとしていた。
「可哀相に。王子が慰めてあげよーか?」
顎を優しく捉えて上向かせると、ハルは素直にその動きに従った。
「………かして」
「ん?」
薄く開いた唇から、小さな小さな囁きが零れる。
聞き取れなかった言葉を尋ねようとした矢先、ベルフェゴールを見上げるハルの目に光が戻った。
「もしかして、あれがヒバリさんの試練なのでしょうか!?」
突如叫んだかと思うと両肩を掴まれ、今度はベルフェゴールが瞠目する番だった。
「ヒバリさん、今試練を受けている所なんですね!?」
「さぁ。王子知らな…」
「きっとそうです!それで、あんなニコニコとらしくない顔を…!!」
「何気に酷い事言ってね?」
「あぁぁ、どうしましょう。どうしましょう、ねぇベルさん!?」
「ちょ、落ち着――」
ベルフェゴールの身体をガクガクと前後に思う存分揺さぶった後、ハルはハッと顔を背後に向けて、掴んだ時同様唐突に両手を離す。
「こうしてはいられません!ハルがヒバリさんをレスキューしないと!」
「は?」
「ハルレスキュー隊、ゴーです!!」
奇天烈な奇声を上げ、ハルは身を翻すなり全力で雲雀の後を追い掛けて行ってしまう。
「…レスキュー隊って、一人しか居ないじゃん」
残されたベルフェゴールは、ハルの思考回路と行動力について行けず、その場から見送るしか無かった。
やや離れた場所から、ゴンと何かがぶつかる鈍い音が聞こえて来る。
その音の正体が解るだけに、少年はクッと喉を鳴らした。
「…まさか、こういう展開になるとは。いやはや、お見事」
クツクツと笑うその姿が、不意にブレて通路から消える。
今や無人となった通路に、しかし鏡の中にはしっかりと残っているベルフェゴールの姿も、全くの別人へと変わっていた。
「引きずり込み損ねましたか…。惜しかったですね」
赤く光る右目に数字を宿らせた長身の少年は、己の手を見下ろして小さく苦笑を漏らす。
雲雀だけを追いかけるその姿が、離れてしまったこの距離でも容易く見えてしまい、彼は両目を閉じて背を向けた。




「遅いよ」
気付けば出口へ辿り着いていたハルを出迎えたのは、盛大に不機嫌な表情を貼り付けた雲雀の顔だった。
「はひ!あれ…此処、外ですか?」
「それ以外に何だと思うんだい?」
苛々とした口調に、ハルは改めて周囲へと視線を走らせる。
鏡張りの通路は既に周囲には無く、夕日が地を染めている風景が目に入った。
どうやら、存外長く建物内をうろついていたらしい。
「という事は、ヒバリさん自力で試練を突破したんですね!?」
パッと顔を輝かせるハルに、雲雀は胡乱な視線を返して溜息を吐く。
「当たり前でしょ。あんなの、試練でも何でも無いと思うけど」
「良かったぁー。ハル、心配したんですよ!ヒバリさん、女の子と腕組んで歩いてましたし」
「…何それ」
不審そうな顔と声に、ハルはきょとんと雲雀を見返す。
「何って…。ヒバリさんの試練って、女の子の誘惑を退ける事だったんじゃ…?」
「何を見てきたのか知らないけど、全然違う。僕のは自分自身と闘う事だったからね」
雲雀は腕組みをしてミラーハウスを振り返ると、目を細めて出口の上部に掲げられている一枚の小さな鏡を見遣って笑う。
彼の何処か満足したらしいその様子に、比喩表現などでは無く、読んで字の如く、本当に一戦して来たのだと解った。
「自分って…ヒバリさん、まさかミラークラッシャーになってませんよね?」
「何か問題でもあるのかい?」
アッサリとした返答に、ハルは声無き悲鳴を飲み込んだ。
「…!た、たた大変です!直ぐに誰かに…」
「必要ないよ」
あわあわと遊園地運営関係者を探すハルの顎を捉え、雲雀がズイと顔を寄せてその目を覗き込む。
「それよりさっきの、女子がどうとか言ってた件だけど。それ、君の試練だったんじゃないの?」
「はひ?ハルの…ですか?」
先程のベルフェゴールとは違う、少々痛みを伴う指先に、ハルは何度か目を瞬かせて頭を働かせた。
雲雀らしくない表情と、見知らぬ少女の姿が思い出される。
そして、雲雀の事で頭が一杯になってしまい、良く覚えては居ないが、何事かを囁いていた金髪少年――。
「…そういえば、ベルさん出てきませんね」
無我夢中で走って来たせいで、完全に置いて来てしまった少年の存在を漸く思い出し、ハルは不安気に出口を眺める。
「どうして其処でその名前が出てくるのか、全く解らないんだけど」
ピクリと片眉を上げる雲雀に、ハルは中でベルフェゴールと遭遇した事を簡単に説明した。
「ベルさんの彼女ってどんな人なんでしょうね。ヒバリさん、見かけてませんか?」
そう締め括った言葉に、雲雀は小さく息を吐き出してハルの顎から指先を外す。
「君、馬鹿なの?」
「はひ!どうしてそうなるんですか!!」
「どうしてそうならないのか、僕が聞きたいぐらいだよ…。そのタイミングで出て来たって事は、君の試練の相手は彼だったって事でしょ。残念ながら君の性格が災いして、誘いに乗せられなかったみたいだけど」
「…?えっと、意味が良く解らないんですが…」
疑問符を大量に浮かべたハルをじっと見つめ、雲雀は僅かに身を屈めるとその額に軽い口付けを施した。
「ひ、ひ…ヒバリさんっ?」
反射的に額を押さえて顔を赤く染めたハルに、クスリと笑いを落とすとその頭をゆっくりと撫でる。
「気付いて居なくても、試練は乗り越えたみたいだからね。褒美だよ」
「ご、ご褒美…?」
未だ良く解っていないらしい彼女の表情に、しかし雲雀はそれ以上の説明をしようとはしなかった。
面倒だったからか、説明する必要も無いと思ったのか、それは彼の表情からは判断出来ない。
ハルが疑問をぶつけようとする寸前、雲雀は不意に手の動きを止めると、鋭い視線を背後へと向けた。
「これは、お二方。無事に試練を乗り越えられた様ですな。おめでとう御座います!」
何時の間に現れたのか、嬉し気に笑っている男の顔が目に入り、ハルは「あ」と一声漏らすとペコリと頭を下げた。
「すみません!あの、もしかしたらミラーを壊してしまったかもしれなくて…」
ハルは頭を下げたままチラリと雲雀に視線を向けるが、クラッシャー本人の方はと言えば平然とした態度で男を見ている。
「ヒバリさんも謝って下さい!!」
小声で注意してみるが、どうやら黙殺されてしまった様だ。
「いやいや、気になさらないで下さい。我々にとっては大した損害でもありませんし、こういう事は時折ありますから」
男は首を左右に振りながら、ハルへ頭を上げる様に促す。
「す、すみませんでした…」
「いや、本当にお気になさらず。それより、楽しんで頂けましたでしょうか?」
男の目がハルと、雲雀の両方へ注がれる。
「はひ!あんなに広いミラーハウスに入ったの初めてでしたし、とても楽しかったです。試練は…良く解らなかったんですが…。それでも、ベルさん出演とか凄かったです!!」
ハルは顔を輝かせたまま何度も大きく頷き、雲雀は口元に薄い笑みを浮かべるだけで肯定の意を示した。
後者の笑みに隠された、他の意味に気付いたのか、男はそっと瞼を落として深く身を屈める。
「それは何よりで御座います。裏方一同も、きっと喜ぶ事でしょう」
恭しく一礼して見せる男を暫く探る様に見つめていたが、雲雀は懐に入れ掛けていた手を抜き取り、そのまま無言で園内の出入り口へと踵を返した。
「はひ。ヒバリさん?」
「帰るよ」
「え、もう帰るんですか!まだ1つしか遊んでませんよ?」
フリーパスを掲げて引き止めようと試みるが、雲雀の足は止まる気配が無い。
さっさと園外に出てしまった彼を追いかけ、ハルは再び走る羽目になってしまった。
「本日はご来園下さり、誠に有難う御座いました。またの機会がありましたら、その時にお会い致しましょう」
ふと背後から高らかに聞こえて来た挨拶に、ハルがクルリと振り返る。

「それではお二方、ご機嫌よう」

内側にいる責任者の男がパチンと指を軽く鳴らすと、一日だけの遊園地は音も無く瞬時に目の前から消え去ってしまった。
先程まで大音響で流れていた音楽も、行き交う来場人の姿も、楽しそうな話し声も、何も無い。
重低音や金属音を響かせるジェットコースターやコーヒーカップ、その他全ての乗り物の影すら微塵も見えなくなっていた。
跡に残ったのは、何も無いだだっ広い土地だけ。
草が僅かばかり生えている、そんな地面が見えるだけ。
遊園地等、最初から存在しなかったかの様に、その場所は夕日に照らされたまま静けさで満ちていた。
「え、えーっと………。何だったのでしょう…?」
狐に化かされたかの様な表情でハルが呟くと、目を細めて跡地を見据えていた雲雀が緩く首を振る。
「さぁね」
「ハル達、遊園地に居たんですよね…?」
ハルもまた跡地を見つめたまま、ポツリポツリと言葉を繋ぐ。
気付けば、手にしていたフリーパスも消え失せていた。
「僕の記憶と時計が正しければ、半日程居た事になるね」
それだけを返すと、もう興味は無いとでも言いた気に、雲雀は家路へ続く道を歩き出す。
「ま、待って下さいよ!雲雀さーん!!」
慌ててハルがそれに続く。
その光景を、跡地に落ちていた小さな一枚の鏡が映し出していた。






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