願いは綻び破れるものと
ヒュウ、と剣の切っ先が虚空を切る。
まるで舞を踊っているかの様な、その動きにハルは目を奪われた。
「大丈夫か?」
だからこそ、片手を目の前に差し出されても反応が出来なかった。
「ハル?」
一向に手を伸ばす気配の無い相手に、長身の青年はひょいと身を屈めてハルの顔を覗き込む。
「どーした?」
「はひっ!?」
至近距離の目線に、ハルは素っ頓狂な声を上げてしまう。
「?」
相変わらず不思議そうな表情で此方を見る彼は、しかし全く身を引こうとはしない。
「やま、山本さ…、顔近いですっ」
「ん、あぁ悪ぃ」
顔を両手で押し退けると、其処で初めて山本は首を引っ込めた。
「立てるか?」
改めて手を差し伸べると、今度はハルもそれを取った。
転んだ拍子に汚れた、服の裾や膝頭を払いながら、何故か先程の光景が脳裏にちらつく事に戸惑う。
「怖い思い、させちまったな」
ハルの俯き加減になる顔に勘違いしたのか、山本は小さくポツリと呟いた。
「え、違いますっ。怖くなんて、全然ありませんでしたよ!ノープロブレムです!!」
相手の声音に滲む感情に気付き、ハルは慌てて片手を振る。
もう片方の手は、未だに山本の片手と繋がれたままだ。
「そっか、なら良かった」
にかっと笑う彼の表情は何時も通りのもので、ハルはその顔に少しばかり安堵を覚えた。
「…山本さん、中学の頃より一段と強くなったんじゃないですか?」
「ん?まぁな。でも、これから先もっと強くなんねーと……」
ニッと笑う山本の目に、微かな影が過ぎる。
何時からだろうか。
中学の頃は常に明るかった彼が、時折この様な表情を見せる様になったのは…。
人は成長する。
だからこそ、少しずつ変わっていくのは極々自然な事だ。
それでも、こんな表情は彼らしくないと感じる自分が居る事に、ハルは気付いていた。
自分には解らない、けれど良くない何かが起ころうとしている。
この並盛全体を巻き込む様な、そんなとてつもなく恐ろしい何かが…。
何となくではあるが、ハルの勘がそう告げている。
そしてそれは、近い将来当たってしまうであろう事も、彼女は察していた。
ゾクリと身を震わせたハルに視線を向け、神妙な顔つきで山本は不意にその腕を引く。
「はひ…?」
視界がグルリと変わったハルは、ポスンと軽い音を立てて山本の胸に顔を押し付けていた。
背中にしっかりと回された腕が、温かさを伴って胸を締め付ける。
「何があっても、ハルは俺が守ってやるから」
頭上から響いて来る声に顔を歪めると、ハルは静かに目を閉じて顔をスーツへと埋めた。
「例え誰が死のうとも、ハルだけは――」
続く台詞に、嫌々をする様に首を振る。
聞きたくなかった。
その誰という言葉の中に、大好きな人達が含まれていると本能的に悟ってしまったから。
そして、恐らくは山本自身も含まれているだろうから。
ハルもまた山本の背中に両手を這わせ、しっかりと抱き締める。
この長身の青年が居なくなってしまわない様にと、悲痛なまでの願いを込めて。
山本の父親が死んだと知らされたのは、その数日後。
ハルの予感が当たり、そして穏やかな日常に終止符が打たれた、戦いの日々の幕開けだった。