お話なるもの〜マッチ売りの少女編〜
その年最後の、大雪が降る日の夜でした。
ボロボロな衣装を身に纏い、裸足で雪の中を歩く少女の姿がひとつ。
彼女は両手にとても大きな籠を持ち、その重さのせいか時折よろけながらも進んで行きます。
一体中に何が入っているのでしょうか?
「マッチはいりませんか〜…はひ。想像以上に足が冷たいです。ベリーコールドで感覚が無くなって来ましたぁぁ。マッチ売りの少女はこんなに寒い思いをしていたんですね…」
どうやら籠の中身はマッチの様です。
大きさにしてテレビ一台位はスッポリ入りそうな程のその中に、恐らくみっちりとマッチの束が詰まっているのでしょう。
少女はブルブルと全身を震わせ、必死でマッチを売り歩きます。
しかし彼女からマッチを買う人は誰もいません。
そもそもその通りを人が全く歩いていないのだから、買おうにも買い様が無いというのが本当のところです。
「マッチー…マッチはいりませんかぁぁ」
少女の吐く息は白く、外は声すらも凍りそうな程の冷気で満ちています。
そんな中を外出しようという人間は早々居ないでしょう。
ましてや今日は大晦日。
家庭を持つ人々は大抵、家族で団欒する事が多いと思われる日です。
「はひ…マッチ……」
遂には声すらも出て来なくなってしまったのでしょう。
カチカチと歯を小刻みに鳴らしながら、少女は大きな家の塀の片隅に座り込んでしまいました。
其処は何故か運良く雪が積もっておらず、真新しい土が顔を出しているとても不自然極まりない場所でした。
けれどこの場所のお陰で、少女は僅かながらも土から温もりを得る事が出来ました。
彼女は微かに安心した顔で、マッチの入った籠を脇に置いて膝を抱えます。
ひと休憩でしょうか。
少女からは見えない場所で、モスカが何処かで取ってきたのか山盛りにした雪を運んでいる光景がありますが、まぁ気にしない事にしましょう。
更に、物陰から綱吉がハラハラしながら見守っていますが、これも目の錯覚という事にしておきましょう。
「あぁ、ハルの奴…。だからあれ程擬似雪にしようって言ったのに、足が真っ赤じゃないか」
心配そうな呟きに、彼の直ぐ傍に居たリボーンは小さな肩を竦めます。
「仕方ねーだろ。ハルがどうしても本物でやると言って聞かなかったんだ」
「でもあのままじゃ後々歩くのも困難になるぞ!?…ったく、何でこういう時に強情を張るんだよ」
「ハルだからだろ」
「そういう問題じゃ―――あ」
尚も言い募ろうとした綱吉でしたが、遠方より歩いて来る人物を見つけて思わず口を開きっ放しにしてしまいました。
その人物はやけにのんびりとした足取りで、少女ことハルに近付いて行きます。
まるで散歩でもしているかの様な風情ですが、その足は確実に彼女を目指しています。
ハル狙いでやって来たのは、ほぼ間違い無いでしょう。
そもそも無人の区域を狙ってこの芝居を始めたのですから、偶然に出くわすという事はなかなか有り得ません。
そしてそれ以上に、彼は招かれざる客人でもありました。
「あれ?どうしたの、こんな場所に座り込んじゃって」
にこにこと笑顔でハルを覗き込む通行人は、如何にも暖かそうなコートを身に纏っていました。
雪の色に負けないぐらいのその白さに、街灯の光が反射してハルの目に色好く映えます。
「はひ…その、マッチを…」
ぎこちなく動く唇で答えるハルに、白コートの彼はそっと手を伸ばします。
「あぁ、凄く冷たくなってる。そんな格好じゃ風邪引くよ?君、名前は?」
外気とは正反対の温もりが頬に触れ、少女は心地良さそうに僅かに瞼を伏せました。
「ハルです」
「ハルちゃんかー。僕は白蘭。この先に車止めてあるんだけど、僕の家に来ない?温かいスープでもご馳走するよ」
「はひ…いえ、でもハルは此処から動く訳にはいかないんです」
白蘭と名乗った青年の誘いに一瞬だけ揺れるハルでしたが、それでも首を左右に振って断りを入れます。
幾ら雪の上に居るよりはマシな状況とは言え、しんしんと冷え込む冬空の下ですから、このままいけば凍死してしまう恐れもあります。
流石にその前に綱吉達が止めに入るでしょうが、それでも彼女の状態を黙って見過ごせる人はそうは居ないでしょう。
白蘭も例外では無かったらしく、ハルの頬を再び優しく撫でました。
「でもこのままだと凍傷に掛かっちゃうかもしれないよ?普通、そんな状態の女の子を一人で居させられないでしょ」
心底少女の身を案じているかの様な白蘭の台詞に、いけしゃあしゃあとどの口が言うのかと、思わず綱吉は叫びそうになりました。
「何であいつが居るんだ…」
「さぁな。どっかからこの芝居の事を聞きつけて来たのかもしれねーし、偶然この街に迷い込んだのかもしれねぇ。それは白蘭でないと解らないだろ」
「偶然な訳ないだろ!?明らかに何か企んでるよ、あの顔は!」
物陰でこそこそと会話をしている綱吉とリボーンでしたが、その合間にも白蘭の誘い文句は続いています。
「そうそう。それに、昨日ケーキを沢山買い込んじゃってね。一人じゃ食べ切れないから、君が片すの手伝ってくれたら助かるんだけど。それでも駄目?」
「はひ、ケーキですか?」
あからさまに怪しい誘導だというのに、ハルは気付きません。
それどころか、ケーキという三文字に釣られて思わず立ち上がろうとしているではありませんか。
このままでは危険です。
「いやいやいや、子供じゃないんだからそんな誘拐紛いの台詞に釣られるなよ!」
「馬鹿ツナ。見つかるぞ」
今にも物陰から飛び出しそうな彼を引き止めたリボーンは、綱吉の背中に銃口を突きつけます。
しかし、それでも綱吉は引き下がりませんでした。
「だってお前、止めないとハルが攫われるんだぞ!?」
「安心しろ。対象がハルだと解れば、何が何でもその前にヒバリ達が止めるだろうからな」
「あ、そういえばヒバリさん達は今何処に…」
「まだ探してる筈だぞ」
「へ、誰を?」
「お前だ」
「ヒィィ、まだオレを探し回ってんのー!?」
リボーンの銃口には負けなかった彼も、雲雀達の恐怖には適わなかった様です。
何せこの芝居が始まる前から、配役の余りの酷さにキレた雲雀とベルフェゴールが、綱吉を追い回していたのですから、無理もない事でしょう。
けれど、それでも今はハルを見捨てて逃げる訳には行きません。
兎にも角にも、まずは彼女から視線を外すまいと必死で見張りを続けます。
「それじゃ、行こうか」
エスコートする紳士よろしくハルの手を取り、白蘭は歩き出そうとしました。
が、ハルは何故か一歩も足を踏み出そうとせず、その場に留まったままです。
「どうしたの?」
「あの、やっぱり…ハルは行けません」
己の任務を思い出したのか、ハルは空いている方の手をぐっと握り締め、胸に当てて俯いています。
それ程にケーキが食べたかったのでしょうか。
まさに苦渋の選択といった表情に、白蘭は僅かに首を傾げました。
何よりハルの心を動かすアイテムですら靡かない程、大切な用事がこの場にあるというのですから、当然その正体を知りたくもなります。
「理由を聞いても良いかな」
「それは、言えないんですけど…でも、これはハルにしか出来ない事ですから。駄目なんです」
「どうしても今じゃないと駄目なの?」
「はひ。この日じゃないと無理なので…せっかくのご好意なんですが、すみません」
「そっか…」
白蘭は残念そうな顔で、一つ溜息を吐きました。
「それじゃ、仕方ないね」
「は…―――ひ!?」
再び笑顔に戻った彼は、大人しくハルから手を引くと見せ掛け、そのまま彼女を肩の上へと担ぎ上げてしまいました。
これでは完全に人攫いです。
「正攻法で行きたかったんだけど、それじゃ埒が明かないみたいだし。最初からこうしておけば良かったね」
「はひ!下ろして下さいー!!」
「嫌だよ」
バタバタと暴れるハルの身体をしっかりと抱え、白蘭は全く気にした様子も無く歩き出しました。
しかし、後に残されたのはマッチが大量に入った籠だけ、というのは流石に無理があった様です。
綱吉が止めに入ろうとするより早く、白蘭の進行方向を塞ぐ様にして、モスカとスパナが立ちはだかりました。
「えっと、ハル嫌がってるし…離して貰いたいんだけど」
臨戦態勢に入っているモスカを従え、スパナが静かに語り掛けます。
それで白蘭が引っ込めば話は簡単なのですが、そう上手く事が進む訳もありません。
「断るって言ったら?」
「断らないで下さい!」
ハルの叫び声も無視して、白蘭は応戦する気満々です。
指先に光る指輪をスパナへ見せ付ける様にして翳し、絶やす事の無かった笑みを更に深めました。
「闘う。ただ、そのままだとハルが怪我をする可能性があるから、出来れば避けたいのが本音」
「大丈夫だよ。ハルにも僕にも傷ひとつ付かないから。怪我をするのは君一人…と、その後ろに居る機械もかな」
スパナと白蘭の物騒な会話に、ハルはもう生きた心地もしません。
「こんな事になるんでしたら、スパナさんの提案を受け入れて、モスカちゃんにマッチ売りやって貰うんでした…」
後悔先に立たずとはまさにこの事でしょう。
ハルは白蘭の肩でさめざめと涙を零します。
ですが、実際にモスカがマッチ売りの少女をやろうものなら、誰も買わないどころか、只でさえ人気の無い場所から更に人の足が遠のいてしまうのは言うまでもありません。
そうなればマッチを売っている場合では無くなってしまいます。
ハルだからこそ、雲行きが多少怪しくても話は進むのですから、彼女の判断は賢明と言えるでしょう。
「メインシステム起動」
スパナの命令に合わせ、それまで沈黙を守っていたモスカがピピピと奇妙な音を立て始めます。
まるで時限爆弾の様なその音に、ハルの顔がハッキリと引き攣りました。
「はひー!白蘭さん、ランナウェイです!!ミサイルが…!」
恐らくは過去に何か嫌な思いをしたのでしょう。
突然、先程以上に暴れ出したハルの身体を、しかし白蘭は落とす事はしませんでした。
相変わらず腕一本で押さえ付けたまま、彼は至って平然と笑うだけです。
「大丈夫だって言ってるでしょ。僕が信じられない?」
「そんな、初めて会う人を信じろと言われましても!」
正論です。
ですが、それで白蘭がハルを離す筈も無く、そればかりか唐突に彼の周囲を妙な気圧が流れ始めました。
戦闘に特化した人間であれば、それが白蘭の醸し出す闘気であると解るのでしょうが、一般人であるハルには空気が突然歪んだとしか思えません。
ゾクゾクと背筋を這い上って来る恐怖に、今にも失神寸前です。
それを止めたのは…いえ、止めたというのは御幣があるでしょうか。
実際にはナイフが一本、白蘭の頭部目掛けて飛んで来ました。
勿論、そんなものをまともに食らって倒れる様な彼ではありません。
二本指でナイフを寸前で止めると、つまらなそうにそれを投げ返してしまいました。
「ししっ、やっぱそう簡単にはいかねーか」
「君のコントロールが悪いだけなんじゃないのかい?」
自分目掛けて放たれたナイフを器用にキャッチしたのは、今更ながらに現れたベルフェゴールでした。
直ぐ近くには、雲雀恭弥の姿もあります。
「ヒィ、戻って来た。というか、まさか今までずっとオレ探してたの!?あの二人」
「どうやらそうみたいだな。ツナ、良かったな。取り敢えず、あいつ等の当面の敵は白蘭になったぞ」
「それ喜んで良いとこ!?」
それまで塀の影から事の成り行きを見守っていた綱吉は、リボーンに言い返しながらも、やはり心の何処かではホッとしていました。
ひと騒動は確実に起こるでしょうが、少なくともこれでハルが白蘭に連れて行かれるという事態は避けられる訳です。
「あーぁ、厄介なのが来ちゃったなぁ。ねぇ、ハルちゃん…あれ?」
殺気立っている雲雀達から堂々と視線を逸らしてハルを見遣る白蘭でしたが、先程から黙りこくっていた彼女は何と気絶していました。
原因は言わずもがな、ベルフェゴールのナイフです。
何せ白蘭を狙ったナイフは、見事にハルの顔の横スレスレを飛んでいたのですから、無理もありません。
白蘭がハルを盾にしない限り、彼女にナイフが刺さる事はまず無かったのですが、それでも刃を目の当たりにして平常心でいられる一般人は殆どいないでしょう。
ハルも例外に漏れず、一般人が辿る運命と同じ道を歩んだ訳です。
「さて、どうしよう。君達全員を倒すのなんて簡単だけど、ハルちゃんを守りながらではちょっと不便かもしれないねぇ」
「迷う事なんてないよ。君は此処で僕が咬み殺してあげる」
「何こいつ。マジでムカツクんだけど」
白蘭の言い分に、雲雀とベルフェゴールが更に色めき立ちます。
まさに一触即発。
何かのきっかけさえあれば、たちまちこの辺りは戦闘地帯となってしまうに違いありません。
一番の懸念は白蘭に抱えられたままのハルが巻き込まれてしまう事でしたが、それを何とかするのはスパナの役割です。
奇しくも、モスカのセンサーが働いた際に発した重低音が戦闘開始の合図となってしまい、彼は慌ててパソコンを操作し始めました。
この隙を逃せば次があるかどうかも解らないのですから、そりゃもう必死です。
カタカタとキーボードを打ち叩く早さも尋常ではありません。
雲雀とベルフェゴールが息ピッタリな動作で白蘭に攻撃を仕掛けた合間を縫い、白蘭の腕の力が緩んだ瞬間、モスカを使って彼女の身体を素早く奪い取ります。
「へー……君にしては頑張った方だね。スパナ君?」
雲雀のトンファーを軽々と掌で受け止め、白蘭は笑いながらベルフェゴールのナイフから身をかわしました。
余裕綽々に見える白蘭ですが、声のトーンがやや低い事から、余り機嫌は良くないのでしょう。
「ハルちゃん取り返されちゃったし、このまま此処に居ても仕方ないかな」
そのままトン、トンとステップを踏む様に背後へ下がると、彼は片手をヒラリと振ってその場から消えてしまいました。
残された雲雀とベルフェゴールの両名は、行き場の無い怒りを宿したまま、消化不良の体で立ち尽くすだけです。
場を掻き回すだけ掻き回しておいて、何とも無責任極まりない退場の仕方でした。
そもそも彼はこの芝居に招いていない訳ですから、全く迷惑な闖入者以外の何者でもありません。
「あ、ボンゴレ。はい、取り返したよ」
そんな彼等の気配に気付かないのか、態となのか、スパナは隠れていた綱吉達の方へとハルを差し出しました。
「え、いやっ…オレに渡されても困るんだけど」
「はひー…、ツナさーん…むにゃ」
モスカから直にハルを背負わされた綱吉は、慌てる暇も無く、ハルの寝言に凍り付く羽目となります。
「あぁ、そんな所にいたのかい?随分と探したよ」
「高みの見物とか良い度胸じゃん。王子働かせておいてさー」
当然の様に、雲雀とベルフェゴールの目は自然と彼に向かいます。
芝居前と違い、今度のモスカは参戦する気配はありませんが、その代わりにとんでもない爆弾を置いて行ってくれました。
ハルという名の、とんでもなく厄介な存在を。
スパナにそんな意図は無かったのでしょうが、結果的に綱吉を追い詰めてしまう事となった訳です。
しかし彼はそんな事にも気付かず、早速モスカのメンテナンスを始めてしまいました。
「これも修行だ。頑張って逃げ切ってみせろ」
「ちょ、リボーン!?」
ポンと綱吉の足を叩き、何処かへ出掛け様とする赤ん坊の後姿に叫びますが、サックリと無視されてしまいます。
頭数こそ減ったものの、死神の恐怖再来に綱吉は三度叫んで走り出しました。
結局、ハルのマッチは一本も売れず、彼女はまるで死んだ様に綱吉の背中で眠り続けるのでした。
その瞼の下で、幸せな夢だけを見ながら。