露呈する焦燥
「正一、あれどう思う?」
「………」
スパナが指差したのは、梯子に上っているハルの姿だった。
正確に言えば、ひらりと宙に浮いているスカート。
もっと詳細に述べるのならば、布から見え隠れしている白く滑らかな太腿。
何も気付いていないハルの足が動く度に、正一の中で危険信号が高鳴って行く。
「あ、見えそう」
淡々とした声で、しかし僅かに身を屈め様とするスパナの顔面に、正一は勢い良く手の平を叩き付けてその動きを阻止した。
「見るな!」
「…痛い」
ボソリと漏らすスパナに、しかし手の平は外さないまま、正一は僅かに頬を染めて彼を睨み付ける。
尤も、肝心の目が正一の手の平によって隠されているのだから、効果は余り無いだろう。
「はひ。正一さん、何か言いましたか?」
下で騒ぐ音を聞きつけたのだろう、漸く手の届く様になった本に手を伸ばしたまま、ハルが顔だけを背後下方へと向ける。
中途半端にも、片足を一段程高い位置へと掛けたまま。
その体勢だと当然の如く、下方にいる者にはスカートの中身が見えてしまう。
「―――っ、足!良いから、早く足を下ろすんだ!!」
「…?」
焦りながらも更に顔を赤くして叫ぶ正一に、不思議そうな表情をしながらもハルは素直に従った。
「目的の本は見つかった?」
相変らず目を隠されたままのスパナが、両手で正一の片手を掴んで外そうと試みている。
そんな光景に首を傾げ、ハルは嬉しそうに頷いた。
「はい。お二人のおかげで、すぐに見つかりました。此処は本当に沢山の書物で一杯…はひ」
再び書棚へと向き直ったハルの片手が、勢い余ったのか梯子の枠から外れてしまう。
間抜けた声を発したかと思うと、グラリと傾く身体が彼女に悲鳴を上げる暇も与えず、背中から落下を始めた。
「危…」
ギョッとして正一が身を乗り出そうとするも、それより早くスパナの両手がハルへと伸ばされていた。
「大丈夫?」
相変らずの平坦な口調で、スパナは腕の中に受け止めたハルを覗き込む。
正一の方はと言えば、出しかけていた手を幾秒か宙へ彷徨わせ、憮然とした面持ちで引っ込めるしかない。
ハルが落ちる瞬間、スパナの視界は確かに閉ざされていたというのに、彼は何故ああも素早く動けたのだろうか。
気配を察したとはいえ、幾ら何でもあの行動の素速さは異常だ。
ハルの危険を見ていたこの自分より先に、スパナは梯子へと駆け寄っていたのだから。
「び、ビックリしました…。有難う御座います、スパナさん」
「別に。良い物見せて貰ったし」
無言でスパナの横顔を見つめていた正一だったが、何処と無く上機嫌に見える彼の言葉に再び目を剥く羽目になる。
「良い物、ですか?」
「うん。ハルのパ…ふが」
スパナが全てを言い終わらない内に、間一髪の所で正一の手がその口を塞ぐ事に成功した。
「ぱ?」
「何でも無いっ。…それよりスパナ、早くハルを下ろせ」
一瞬だけとは言え、ハルが落ちる際にしっかりと見えてしまったスカートの中を思い出し、正一はハルから視線を逸らす。
その顔は最早、噴火寸前の火山の如き赤さを呈していた。
血管が弾け飛ぶのではないかと、思わずスパナが正一の顔を凝視したぐらいである。
「ウチとしてはまだこうやっていたいんだけど、正一が色々な意味でキレそうだから仕方無いか…。ハル、立てる?」
「大丈夫です。スパナさんのお陰で、怪我もしてませんし」
「ん」
彼女を床上に立たせるスパナの目元が、普段より幾分か優し気に笑っているのを見て取り、正一は苦々しい表情でハルに近付いた。
「ハル、行こう。もう用は済んだだろ?」
「あ、でも梯子の片付けが…」
床に放り出されていた本を先に拾い上げると、正一はもう片方の手でハルの腕を掴み、自分の方へと強引に引き寄せた。
「良い、後で誰かを寄越す」
「え?…しょ、正一さん?」
普段からの正一では有り得ない、やや乱暴な動作にハルが目を白黒させるが、それを気遣える程今の彼に心の余裕があろう筈も無い。
スパナの想いを知ってしまった以上、一刻も早くハルをこの部屋から連れ出す事が、正一にとって何より重要な事だった。
スパナへの挨拶もそこそこに、ハルの腕を掴んだまま扉へと向かう。
「ま、待って下さいっ。この体勢だと、ハル転んで……はひーっ」
ちゃんと歩く事も出来ずに引きずられて行ったハルと、少々険しい顔をして部屋を後にした正一を見送り、スパナは小さく息を吐いて笑った。
「…正一には、バレたかな」
小さな呟きと共にスパナは己の腕に目を向け、其処に残る柔らかな感触を思い出して軽く頭を掻く。
「好きになる予定なんて、なかったんだけど。…でも、こればかりはどうしようもないし」
残された梯子に背を預け、書棚を仰ぎ見る。
「正一があんな顔するとは…ウチも負けてられないね」
間違い無く自分と同じ感情をハルに抱いているであろう彼の、敵愾心を含んだ視線を思い出してスパナは口に含んでいた飴を噛み砕いた。