ささやかなるもの






ハルには解らなかった。
これはもしかしなくても、あの時の少年なのだろうか。

木陰で寝そべって心地良さそうに目を閉じている彼の顔を覗き込んで見る。

確かに、面影はある。
今までに何度か会った事はあるが、全く気付かなかった。
きっと相手も覚えていないだろう。
自分ですら、この場所に来るまで思い出さなかったのだから。

「まさかヒバリさんだったとは思いませんでした…」
一向に目を覚まさない雲雀の横にそっと腰を下ろす。
そのまま、もう一度まじまじと顔を覗き込んだ。
雲雀の寝顔が、幼い頃に出会った少年の面影とだぶって見える。
懐かしさの余り、ほんのりと胸の奥が暖かくなる。


「何見てんの」


突然寝ている雲雀の口が開いた。
「!!」
ハルは仰天して飛び退いた。
そのまま勢い余って木の幹に後頭部をぶつけてしまう。
「はひっ!」
「馬鹿じゃないの」
盛大な音を立てるハルに遠慮容赦ない言葉が浴びせ掛けられる。
「そ、そんな言い方ないじゃないですかっ。…痛たた」
涙目でぶつけた箇所を押さえるハルに、しかし雲雀は同情した様子はない。
「人の睡眠を邪魔しておいて、何言ってんのさ。咬み殺すよ?」
既に身を起こしていた雲雀は、木の幹に背を預けた状態でハルを見ている。
其処に微かに苛立つ気配を感じ、ハルは慌てて謝罪する。
「すみません。でも、あの…ちょっと気になる事があって」
チラリと雲雀に視線を遣り、その顔立ちをみてやはりと確信する。
その表情、その口調は昔のままだ。
今まで気付かなかったのが不思議なぐらいに。
「……」
雲雀の返答は無い。
続きを促す様には見えなかったが、ハルは言葉を続けた。

「ハルは昔、この辺りに良く遊びに来てたんですよ。この木とか、近くの神社とか…」
そこまで言って相手の反応を伺ってみる。
しかし雲雀は興味なさそうな表情のまま、欠伸を咬み殺している。
「う。そ、それでですね!」
しかしハルはめげずに次の言葉を紡いだ。
「男の子と、良く会ってたんです。無口で無愛想で、何時も一人きりで。…あの子は、良く此処 で寝てました。で、ハルが来るとすぐ起きちゃって。いっつも憎まれ口叩いてたんですよー」
じっと雲雀の顔を見つめるも、やはり反応はない。
「それで、今日この近くを通った時、懐かしくなって寄ってみたんですが」
ともすれば小さくなりそうになる声を叱咤するかの様に、わざと大きな声を出してみる。
漸く、煩そうな表情を隠しもせず雲雀が此方を向いた。
「ヒバリさんが同じ様に寝てて…。その、あの」
「で、僕がその少年だとでも?」
ごにょごにょと語尾を濁したハルに代わって、雲雀が先を続ける。
「そう、そうなんです!」
それが嬉しくてパッと顔を輝かせたハルは、しかし次の言葉に肩を落としてしまう。
「単純だね。僕は偶然此処に来て寝てただけだけど?」
「はひ…」
違ったのか。
もう殆ど確信していただけに、雲雀の言葉は結構なショックだった。

「御免なさい、です」

しょんぼりと肩を落とすハルを尻目に、再び欠伸を漏らす雲雀。
言われてみれば、あれからもう結構な年月が経っているのだ。
幼い頃の記憶はもう殆ど薄れてしまっている。
覚えていた少年の顔も、ひょっとしたら間違って記憶していたのかもしれない。


「ねぇ」


気付けば雲雀が再び此方を見ていた。
相変わらずの無表情。
「何でしょう」
しょんぼりとしたままハルは応える。
正座を崩した格好で芝生の上に座っているハルの膝に、突然頭が乗せられた。

「へ?」

目の前の光景に驚き、何度か瞬きを繰り返してみる。
けれど、どう見ても雲雀が自分の膝を枕に横になっている様にしか見えない。
膝に掛かる暖かな温もりと重みに、しかしハルは呆然と目の前にある頭を見下ろした。
「人を起こした罰。咬み殺す代わりに、当分枕になって貰うよ」
至極当然といった様に、雲雀は早々に目を閉じる。
「はひ!?ヒヒヒヒバリさん!」
「人を妖怪みたいな名前で呼ばないでくれる?後、煩い。黙らないと咬み殺す」
有無を言わせない迫力で雲雀はそのまま寝入ってしまった。

葉が落ちる音一つでも立てれば雲雀は目を覚ましてしまうと、以前ツナから聞いた事がある。
そんな些細な音すら立てられない状態で膝枕をするというのは、なかなか、いや相当に辛い。
極度の緊張状態で辺りを見渡してみるも、助けになる様な物も人もない。
仕方なく、膝上にある顔を眺めて過ごす事にした。
こんな時でもなければ、雲雀を間近で見るチャンスはない。
そもそも雲雀と二人きりになったのは、あのハルハルインタビューの時ぐらいではないだろうか。

端整な顔立ちを見下ろし、小さく息を吐く。
こうして寝ていると、何時もの殺気立った姿など想像もつかない。
学ランを肩に羽織っただけの状態で皆を圧倒する雲雀の姿は、もう何度も目にしている。
寧ろ、そんな雲雀の姿しか見た事がない。
本来なら、ハルの世界と雲雀の存在は交わらないものだ。
雲雀の誕生日を聞いた時、少しだけ身近に感じた事はあるけれども――。

「ぷ」
その時の光景を思い出し、思わず噴出してしまう。
瞬間、雲雀の眉間が寄せられた事に気付き慌てて口元を押さえる。
危ない、危ない…。
閉じられた目は開く事なく、再び睡眠に入った様だ。
安堵の息を漏らし、そっと雲雀の髪を撫でてみる。
触れる直前に一瞬だけ躊躇ったものの、起きる気配のない雲雀にそろりと前髪を梳いてみた。
サラリとした感触が存外気持ち良い。
こうしていると、本当に昔の少年に思えてしまう。

あの少年も、毎度毎度起こしに来るハルに同じ様に膝枕をさせていた。

「本当に違うのでしょうか…」

ポツリと呟いた言葉は風に乗って消えて行く。
雲雀は目を閉じたまま。


初夏の日差しを木陰で避ける様にして、二人は暫くそのままその場を動かなかった。







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