親愛なる人よ
ズガン!
轟音と共にハルの目の前で塀が吹っ飛んだ。
破片が彼女に降り掛からなかったのは、単に距離があった為に過ぎない。
もしももう少し近かったなら、大小異なる大きさのその破片が、顔面を直撃していたであろう。
「…は、はひっ?」
思わずその場に硬直して突っ立ち、今や粉々になってしまった木の塀を呆然と見遣る。
そして、視線を破壊者へと向けた。
左斜め45度、10メートル先に居るタコヘッドで咥え煙草をしている少年に。
「い、いきなり何してるんですか!」
彼の手に握られた数個のミニ爆弾を見て取ると、ハルは思わず怒鳴っていた。
「何じゃねーだろうが。さっきから呼んでんのに、気付かず通り過ぎ様としやがって!」
「聞こえなかったんだから仕方ないじゃないですか!呼び止めるなら、もうちょっとソフトにやって下さいよ。ソフトに!」
「うるせー。やったら速い足でスタスタ歩いて行くてめーが悪い!」
「何勝手な事言ってるんですかー!!」
眉間に完全に皺を寄せて怒鳴り散らす二人の姿に、獄寺の背後に居た山本と綱吉は思わず溜息を吐いた。
やり方は乱暴だと思うが、実際に何度も獄寺が大声で呼び掛けて居たのを知っているだけに、何とも言い様が無い。
「まぁまぁ二人共、落ち着いて」
綱吉がいがみ合う二人の合間に割って入ると、ハルに向き直って苦笑いをして3つの箱を差し出した。
「御免な、ハル。俺達これを渡したくてさ」
「ツナさんが謝る事じゃないです!悪いのは獄寺さ…これは?」
勢い込んで獄寺を指差したハルは、しかし綱吉が手にしている、ラッピングの施されている大きな3つの箱を見て目を丸くする。
「いや、ほら。今日確かハルの誕生日だっただろ?」
「あ…」
言われて思い出したのか、何とも間の抜けた表情でハルが固まる。
「てめーの誕生日も覚えてなかったのかよ?」
「忙しかったんですから、仕方ないじゃないですか!」
「はっ。別に俺は、てめーが生まれた日なんざどーだって良いけどな」
獄寺の言葉に、ハルの額に青筋が浮かび上がる。
二人の間に再び険悪なムードが流れた。
「ちょ、ちょっと二人共…」
綱吉が慌てて止めに入ろうとするが、それより早く山本が呑気な表情で二人の肩に手を置く。
「お前らって、本当に仲が良いのな」
「どこがですか!?」
「山本、てめーの目、実は腐ってるんじゃねーのか!?」
獄寺とハルは同時に山本を振り返った。
見事なまでのシンクロ率である。
その光景に、先程まで焦っていた綱吉は小さく吹き出した。
「だって獄寺、お前これ選ぶのに店13軒廻ってたろ」
山本のけろっとした顔とは逆に、獄寺は真っ青になって凍り付いた。
「なっ…何で、てめーそれ知って」
「あちこちの店出入りしてんの見かけて、付いていってみたんだ」
「付いてくんな!ってか声掛けろよ、見てねーで!!」
青かった顔を今度は赤くした獄寺は、ハルの怪訝そうな表情に気付くと、凄まじい形相で人差し指を彼女へと突き付けた。
「別にてめーの為じゃねーぞ!10代目が全員で渡そうって言うから…」
「は、はぁ…」
「んだその気の抜けた返事は!本当に解ってるんだろーな!?」
「お前って、本当に素直じゃねーのな」
「うるせぇ、山本!離せてめー、このっ」
僅かに引き気味だったハルへと尚も詰め寄る獄寺を押さえ、山本はハルへと向き直る。
「わり、突然引き止めちまって」
「それは平気なんですけど…。本当にハルが頂いても良いんですか?」
綱吉から渡された3つの箱を抱えて、ハルは3人をやや不安そうに見ている。
「ハルの誕生日プレゼントなんだし、貰ってくれた方が俺達も嬉しいよ」
「そうそう。な、獄寺」
「ふん」
三者三様の言葉を受け、ハルの顔が嬉し気に輝く。
「はひ、有難う御座います!中、帰ってから見させて貰いますね」
「………」
そんなハルの顔を見た瞬間、獄寺はツイと顔を逸らした。
髪で見え隠れしている耳が赤く染まっていたのは、恐らく気のせいでは無いだろう。
残念ながらそれに気付いたのは山本と綱吉の二名だけで、肝心要の少女は本気で急いでいたらしく去ってしまったが。
「獄寺君、ハルもう行っちゃったよ?」
綱吉が声を掛けなければ、永遠に顔を背けたままその場に居たかもしれない。
それぐらい彼は微動だにせず、そっぽを向いたままだった。
「お前な…あんまそんな態度ばっか取ってると、ハル他の奴に取られるかもしれねーぞ?」
「なっ…」
漸く朱が引いてきた獄寺の顔は、山本の言葉によって再び炎上する羽目になった。
「何言っ…俺は別に、あのアホ女が誰の物になろーと関係ねーし!」
「んじゃ俺が立候補しても良いんだな」
にかっと爽やかな笑顔を浮かべた山本に、今度は綱吉と獄寺の2人が固まる。
「へ?山本、もしかしてハルの事好きだったの?」
「ん、まぁな」
「へぇ、意外…って訳でも無いけど、ちょっと驚いたよ」
「今まで誰にも言った事ねーしな」
話に花が咲いている二人の横で、獄寺は一人口をパクパクとさせていた。
金魚の様なその動作に、山本の視線がチラと向けられる。
「と言っても、あいつらが居るから俺が入り込む余地はねーかもしれねーけどな」
意味有り気な視線と言葉に、金魚は人間へと戻った。
「あいつら?」
そう尋ねたのは綱吉では無く、元金魚の方だ。
「何だ、知らなかったのか?てっきり知っててあんな態度取ってるんだとばかり…」
「あいつらって、誰だよ」
続けようとする言葉を遮り、早く聞かせろと言わんばかりに先を急かす。
本人は気付いていないだろうが、今の獄寺はかなり真剣な表情で目をギラつかせている。
つまりはそれだけ気になっていると言う事なのだが、それを指摘しても恐らく彼は否定するのだろう。
本当に素直じゃない、と山本は苦笑して口を開いた。
「おめでとう」
ニュッと擬音が聞こえてきそうな位、突然に薔薇の花束がハルの目の前に差し出された。
朝露に濡れていると形容してもおかしくない程、艶々とした薔薇の花弁をまじまじと眺め、次いで花束を手にしている人物へと視線を移す。
「ディーノさん?」
「おう、久しぶりだな。ハル」
驚くハルの前には、ロマーリオを始めとする沢山の部下を従えた長身の青年が立っていた。
「何時日本に戻って来られたんですか?あ、ツナさん達ならさっきあっちに…」
「ついさっきな。んや、良いんだ。今日はハルに会いに来たからな」
後方を指差すハルの手をやんわりと取り、花束を握らせる様にして渡す。
「ハルにですか?これ…」
ふわりと鼻腔を擽る薔薇の香りに目を瞬かせ、花束とディーノの顔を交互に見つめる。
「誕生日だろ?お祝いにと思ってさ。本当は一番に渡したかったんだが、ちょっと出遅れちまったみたいだ」
既にハルの片腕を占領していた3つの箱に視線を遣り、ディーノは軽く肩を竦めて笑った。
「ボス。せめて入れ物ぐらい渡してやろうぜ…」
「ん?お、確かにな。悪ぃ悪ぃ、荷物で一杯にさせちまったな」
ロマーリオの助言で初めてハルの両手が箱と花束で塞がっている事に気付いたらしく、部下の一人が差し出した紙袋をハルへと向けて広げる。
「あ、有難う御座います!」
心遣いが嬉しく、ハルは両手に持っていたプレゼントを袋へとそっと入れた。
「本当なら、これから食事にでも誘いたいとこなんだが…」
「はひ。すみません、ハルこれからちょっと用事があって」
「だと思った。んじゃ、また今度な」
「はい!本当に有難う御座いました!!」
ペコリと一礼して走り去って行く少女を見送り、ディーノは踵を返す。
途端、ロマーリオと視線がかち合った。
「良いのか、ボス?」
「何がだ?」
「彼女の事、好きなんだろ。割と本気で」
ズバッと核心を突いてくる一番の部下に、ディーノは口の端を上げて見せた。
「良く知ってんな」
「そりゃボスの事だからな。俺らが知らないでどーするよ」
「ははっ、それもそうか」
片手で前髪をクシャクシャッと掻き上げると、ディーノはゆるりと首を振って視線をハルが去った方角へと向ける。
「ま、仕方ねぇ。ハルにちょっかい出すと、あいつらが煩いからな」
「あいつら?」
「おう。………なかなか、おっかない二人組だぜ」
目的地まで300メートルを切った所で、ハルは再び呼び止められた。
紙袋を両手で抱えた格好で、グルリと180度方向転換をして振り返る。
背後に居たのは、ばかでかいヌイグルミを抱えた少年だった。
頭頂部がパイナップルに似た髪形の、とても特徴的な人物である。
「はひ?」
一見すれば忘れられそうに無い彼を見て、ハルは思わず辺りを見渡してしまう。
もしかすると別の誰かを呼んだのかもしれないと思ったのだが、真っ直ぐなこの道の前後50メートル付近には自分の他に誰も居ない。
となると、やはり自分が呼ばれたのだとは思うのだが、ハルはどうにも彼に見覚えが無かった。
「クフフ。貴方を呼び止めたのですよ、三浦ハルさん」
前後左右を確認する少女の動作がおかしかったのか、少年は軽く肩を揺らせて笑った。
「えっと…ど、どちら様でしょうか?」
「これは失礼。僕は、六道と言います。六道骸とお呼び下さい」
「あ、はい。六道さんですね」
にこやかな笑顔を絶やさない少年に、ハルも反射的に笑顔を返す。
「えっと…六道さん。何処かでお会いしてましたら、すみません。ちょっと覚えてなくて…」
「いえいえ、仕方ありませんよ。こうして直接お話するのは、初めてですから。僕は…そうですね、沢田綱吉の知り合いみたいなものです」
「ツナさんの?」
意外な名前に軽く驚いた表情で、ハルは目の前の少年を見上げる。
「えぇ。今日が貴方の誕生日だと聞いて、お祝いに駆け付けました」
骸は両手にした、巨大な猫のヌイグルミをハルに掲げて見せた。
「わっ。キュートです!本当に頂いちゃって良いのですか?」
「えぇ、勿論」
にっこりと何処か意味深にさえ見える笑みを浮かべ、骸は一歩ハルへと足を踏み出した。
少年の身長の半分以上もあるヌイグルミに顔を輝かせるハルだったが、さてこれら全てをどうやって持って帰ろうと思わず悩んでしまう。
「…僕が持っていましょうか?貴方の家まで」
骸の親切な言葉に、けれどハルは首を振った。
「それが、これから人と待ち合わせをしてて…。だ、大丈夫です!ガッツで持って行けますので!!」
紙袋の紐部分を右腕に通してぶら提げ、両手でヌイグルミを受け取ったその姿は、とてもではないが前が
見える状態では無い。
「ですが…」
「何とかなります!六道さん、本当に有難う御座います!!」
ヌイグルミごと頭を下げるハルに、骸の目が細められる。
正確には、ハルの背後からやって来る者達の姿を目にして。
「成る程、待ち合わせしているのは、あの二人でしたか…」
「はひ?」
小さな呟きを耳にして頭を上げると、既に骸の姿はその場から消えていた。
足音一つ無く居なくなってしまった少年に唖然としていると、背後から不機嫌な声が掛かる。
「こんな所で何してるの」
「おっせーよ、ハル」
300メートル先で待っているはずの人物二人の声に慌てて振り向くと、其処には想像通りの表情をした雲雀とベルフェゴールが居た。
「すみません、遅れてしまって…」
「何それ」
両腕に抱えた様々なプレゼントの数に、雲雀の口調に険が篭る。
「俺ら待たせて何してるワケ?まさかそれ全部プレゼントとか言わねーよな?」
ベルフェゴールの口調も、何処か低くなった様に聞こえる。
「あ、実はそのまさかで」
そんな二人の様子に全く気付かず、あははと笑うハルに二人の少年は周囲の気温を一気に下げた。
「ハル、俺それ持ってやるからちょっと貸して?」
口元を笑みの形に刻んだベルフェゴールが片手を差し出す。
取り敢えずの狙いは、一番目に付くヌイグルミだ。
受け取ったら即座に投げ捨てようとでも思っているのだろう。
彼の笑みには、微妙に暗いオーラが漂っている。
それを察した訳では無いだろうが、ハルは一歩下がってベルフェゴールの手からヌイグルミを遠ざけた。
「いえ、これはハルが頂いた物なので、最後までちゃんとハルが持って帰ります!」
毅然とした少女の態度に、更に気温が低下する。
今の二人に下手に近付こう物なら、凍傷しかねない勢いである。
「それを持ったまま歩く気かい?」
「はい」
ヌイグルミの陰から顔を出したハルは満面の笑みで頷く。
それを見た二人は、ほぼ同時に互いを見た。
恐らくは、今の自分達以上に同じ事を考えている者も居ないだろう。
全く以って不本意ではあるが、此処は妥協するしか無い。
ハルの両側にそれぞれが陣取り、しっかりと脇を固める形で歩き出す。
「ハル、疲れてるだろーし。まずは喫茶店でも行っとく?」
「それが良いだろうね」
普段の二人からはとても考えられない会話を交わし、ハルを伴って近くの店へと向かう。
如何にして、この忌々しい男達からのプレゼントの山を投げ捨てさせるか、それが今の二人にとって二番目に重要な課題となっていた。
「誕生日おめでとう」
「ハッピーバースデー、ハル」
彼等にとって一番重要な課題である祝いを受け、ハルは今までで一番最高の笑顔で応えた。
だが後に、二人の企みによって空っぽになってしまった腕に、絶叫する事となる。