真相は深い闇の中







雲雀のトンファー、ベルフェゴールのナイフ、スパナのパソコン。
もしもこれらを取り替えたら、彼等はどうするでしょうか。
悲劇の発端は、ハルのそんな思い付き。


「………」
雲雀は黙ってそれを見下ろしていた。
執務机の上に乗っている、己の武器。
先程までは、確かにそれは愛用のトンファーだった筈だ。
しかし今は何故か、黒塗りのシンプルなノートパソコンへと変貌している。
かなり使い込まれた、けれど最新式のそれをただじっと見詰め、雲雀は薄っすらと目を細めた。
何時もの彼はトンファーを肌身離さず持ち歩いているのだが、今日に限って机の上に置き放していた。
直ぐに戻るつもりだったというのもあるが、そもそも自分以外にこれを使いこなせる者等いないという自負に加え、咬み殺されると解っていて持ち出そう者がいる等とは考えもしなかった。
その結果、トンファーはたった1分の間にパソコンへと姿を変えてしまった訳である。
「……三浦」
犯人は誰なのか、考えずとも直ぐに判明した。
先程までソファに座って寛いでいた彼女の姿が見えないのだから、これはもう疑いの余地も無いだろう。
他の何者かと争った形跡も、侵入された痕跡も無い。
となれば、彼女は自分の足でこの部屋を出ていったのだ。
よりにもよって、雲雀のトンファーと共に。
雲雀は片手でノートパソコンを鷲掴みにして持ち上げると、学ランの袖を翻して応接室を後にした。
表向きは普段通りの無愛想な顔と態度だが、腹の中はかなり煮えくり返っている。
そんな彼を待ち伏せしていた者達は、もう不運というしかない。
「雲雀恭弥、この間の恨み晴らさせて貰うぞ!」
突如として野太い声が聞こえたかと思えば、学外へ出て二、三歩も行かぬ内に、雲雀は他校の生徒に取り囲まれていた。
彼を中心に円形に立ちはだかって居る5〜6人は、全員が全員同じ制服を身に着けている。
この近所では余り見掛けないその制服は、並中からかなり離れた位置にある高校の物だ。
しかし彼が興味の無い事を覚えている筈も無く、ましてや一度見ただけの、自分より遥かに弱い者達の顔を記憶に留めて置く事も無かった。
「邪魔だよ」
静かに告げた警告に、彼等は気付かない。
そればかりか、雲雀が手にしているのはノートパソコンと見るや否や、皆一様に嘲りの笑みを浮かべていた。
「オイオイ、あの最強と謳われる雲雀が電子機器とお友達かよ。勉強にでも精を出すつもりかぁ?」
「その様子だと、今日はあの武器も持ってないみたいだな」
「トンファーさえなけりゃ、俺達だってお前みたいな中坊に負けやしねーぞ」
「覚悟しておくんだな」
それぞれが口々に放つ囀りに、雲雀は口元に笑みを浮かべて群れる獲物を一瞥した。
「弱い犬程良く吼えて群れる…君達、丁度良い所に来てくれた。せっかくだから、憂さ晴らしさせて貰うよ」
両目に物騒な光を宿したまま、雲雀はノートパソコンを持つ腕を二度程軽く振り、次の瞬間には一番間近に居た少年を殴り倒していた。
勿論、ノートパソコンを使って。
「…な」
「へぇ、薄型にしては意外に壊れないものだね」
その余りの素早さに残りの人間が呆然とする中、雲雀だけが感心した様に呟いている。
尤も、ノートパソコンなんて精密機械をこの様に扱えば、外装はともかくとして中身は無事では済まないだろう。
誰の持ち物かは知らないが、自分の手元に渡ってしまった事を精々悔いると良い。
相手が攻撃を仕掛けて来ないにも構わず、次々と平らな武器で少年達を叩きのめしていきながら、雲雀は背後にある電柱の方へと視線を走らせた。

―――居た。

真っ青の顔で此方を凝視している視線が一つ。
電柱の影に隠れて様子を伺っていたハルを見つけると、最後の一人をアスファルトの路面へと沈め、雲雀は其方へと足を踏み出す。
「はひっ!」
早足で向かい来る人物の背後に紛れもない怒りのオーラを見てしまい、ハルは飛び上がると一目散にその場から逃げ出した。




「何コレ」
ベルフェゴールは指先でトンファーを摘み上げ、呆れた様に小さく呟いた。
この武器には見覚えがある。
ちょっとした動きで様々な仕掛けが飛び出すこれは、もしかしなくても雲雀恭弥が手にしていた物ではないだろうか。
何故それが自分の部屋にあるのかは疑問だが、不可思議な現象はそれだけでは無かった。
先程からコートやブーツを引っくり返して探しているというのに、ナイフが一本も見つからないのだ。
ついこの間注文したばかりの品は、本数こそ数えていないものの、それなりの数は在った筈だ。
それが残らず無くなっているという事は、誰かが持ち出してしまったのだろう。
「ハールー?」
つい先程まで遊びに来ていた少女の名を呼び、部屋をグルリと見渡す。
返事は無い。
気配も、同じく無い。
コートに仕掛けてあるワイヤーはそのままなところを見ると、盗人が欲しかったのはどうやらナイフだけだった様だ。
ボスであるザンザスに呼ばれて席を外した隙に、ハルは居なくなってしまった。
となれば、ナイフを全て浚って行ってしまったのは、恐らく彼女で間違いないだろう。
「あんなに大量に持ってって、何するつもりなんだか」
もしかして、質屋にでも売るつもりなのだろうか。
それ程に金が困っている様には見えなかったが、一般人である彼女があのナイフを武器として使うとも考えられない。
「っていうか、オレこれから任務行かねーといけねーし。ナイフないと格好つかないじゃん」
ワイヤーの長さや強度を確かめながら、代わりに置き去られていたトンファーを片手に部屋を出る。
部屋を空けた時間は僅か10分。
それならば、まだ然程遠くへは行っていないだろう。
ハルの姿を探しながら屋敷を出ると、ふと脳裏をトンファーの持ち主が横切った。
「もしかして、エース君の所にあるとか…?」
此方の手元に雲雀のトンファー、あちらの手元に己のナイフ。
有り得ない話では無い。
「並中って、こっから近いんだっけ?あー、面倒くせ」
これから向かわねばならない任務は、別段ナイフなど無くても直ぐに片が付く様な単純な仕事だ。
ワイヤーさえあれば、相手の首を根元から切り落とすなんて事は容易い。
しかしやはり、プリンス・ザ・リッパーとしてはナイフも所持していたいところだ。
特注ナイフの取り寄せは早々出来るものでも無く、任務終了期限まで1日という短い時間の中では、ハルの手から取り戻すしか方法は無かった。
もしも既に雲雀の手に渡っている様であれば、多少手間は掛かるかもしれないが、このトンファーと交換するしかない。
最悪、一戦を交えてでも。
そんな事を考えながら並盛中学へと向かっていた矢先、前方から目当ての人間が歩いて来る姿が見えた。
「お、噂をすれば何とやら。噂してねーけど」
軽口を叩きながら笑い掛けると、ノートパソコンを手にした少年、雲雀恭弥は、ベルフェゴールの手元をチラリと見遣る。
「…君が持ってたの」
「そ。ハルがさっき置いてって――…げっ」
ぶぅん、と鈍い音が宙を切って耳に届く。
瞬間、後ろに跳んだベルフェゴールは、ノートパソコンを振り下ろす雲雀の姿に絶句した。
「…何、お前何時からそんなの武器にしたんだよ」
「つい二時間程前からだよ。生憎と長年使ってきたのは、君の手元にあるから仕方なくね」
「それ、明らかに武器じゃねーだろ。誰の?」
「知らないし、興味も無い。それより返しなよ」
視線のみでトンファーを示す雲雀に、ベルフェゴールは肩を竦めて距離を更に取る。
雲雀の手の中にあるノートパソコンは、一体どれだけの被害を蒙ったのか、既にあちらこちらの塗装が剥がれ、ボコボコにへこんでいた。
どうやら此処に来るまでに2戦、3戦ぐらいはしてきたらしい。
自分と同じく、彼もまた敵を作るタイプだ。
別に驚く事では無い。
「そうしようとしたんだけどさー…。今エース君に近付いたら、それが襲い掛かって来る気がするんだよね」
「ふぅん。どうやら勘は鈍ってない様だね」
「返して欲しくないワケ?っつーか、オレのナイフ持ってねーんだ?」
「何で僕が君のナイフを持っていないといけないんだい?残念ながら、これしか無かったよ」
薄型とはいえ、それなりの重量のあるノートパソコンを軽々と扱う姿に、ベルフェゴールは口をへの字に曲げて息を吐いた。
「エース君じゃねーなら、そのパソコンを所持してた奴が持ってるってワケか」
「さぁね。僕には関係ない」
再び地を蹴って攻撃を仕掛けてくる相手に対し、咄嗟の判断で手にしていたトンファーを投げ付ける。
それを見るやトンファーを取り返そうと手を伸ばす雲雀に笑い、ベルフェゴールはその先端に付けていたワイヤーを引っ張った。
「!」
「ししっ。惜しかったね〜」
急激に角度を変えて上空から打ち下ろされたトンファーを避け、雲雀はベルフェゴールを睨み付けたまま体勢を整える。
「何のつもり?」
「べーっつに。エース君だけ武器を取り戻すのはズルイって考えただけ」
ワイヤーを伝って手元へ戻って来たトンファーを片手に、ベルフェゴールは再びそれを宙へと放った。
「でもこれ、意外に使えるかもな。俊敏性には欠けるけどさ」
ワイヤーを操り雲雀へと攻撃を仕掛け様とした途端、背後から小さく息を呑む音が聞こえて来た。
「………」
「………」
自分と同じく雲雀も動きを止めた事から、先程の音はどうやら幻聴ではない様だ。
戦意を殺がれた二人が同時に振り返ると、路面の遥か後方に何者かが逃げる姿が見えた。
それはあっと言う間に遠くなってしまったが、チラリと見えた後ろ髪はポニーテールになっていた気がする。
「一旦休止だな」
「どうやらその様だね」
直ぐ傍に己の武器があるにも関わらず、雲雀が彼女を追う方を選択をしたのは、ベルフェゴールとハルを二人きりにしたくないが為であろう。
どうせ此処でトンファーを返したところで、この少年が彼女を諦めるとは思えない。
雲雀とベルフェゴールはそれぞれが違う武器を手に、競う様にしてハルの後を追い掛け始めた。




「ウチのパソコン知らない?」
全力で走って来たハルを迎えたのは、床に膝と両手を付けて探し物をしているスパナの姿だった。
薄暗い室内は相変わらず良く解らない代物ばかりで、ハルはそれらを踏まない様に注意しながら、ゆっくりとスパナの背後まで近付いて行く。
「はひ…し、知りません」
ぎこちなく答えたハルの脳内には、雲雀が散々痛め付けていた哀れなノートパソコンの姿が浮かんでいる。
「おかしいな…この辺に置いてた筈なんだけど」
見つからないと困るのか、スパナはやけに執拗に床を這い回りながら探していた。
ペタリと顔を床にくっつけて棚の下までも覗き込んでいる青年に嫌な予感がして、ハルはその背後から恐る恐る覗き込む。
「で、でもスパナさん。あれもう廃棄するって言ってましたよね…?データも全部消しているし、古いからって…」
「ん、そうなんだけど。捨てる前に見つからなくなると、何か落ち着かない」
スパナはゴソゴソと棚の下に手を突っ込み、何かをズルリと引っ張り出すとそれを背後へと放り投げた。
バサリとハルの真横に落ちたのは、裸の女性が大きく見開きで写っているヌード写真集。
「はひ!?」
顔を真っ赤にしてズザザッと真横にカニ滑りで飛び退くと、スパナが作業中に腰を下ろしていた座椅子にぶつかり、ハルはそのまま真後ろに引っくり返ってしまった。
ついでに、止め具が外れてしまった鞄から、大量のナイフが床の上へと落ちて行く。
「?」
突然聞こえた騒音に振り返ったスパナが見たのは、見事に座椅子の上に尻餅を付いている少女の格好だった。
「ハル、下着見えてる」
「!!」
至って淡々とした指摘に、ハルは慌ててスカートを押さえて足を下ろす。
対するスパナは、またしてもパソコンの捜索に戻っていた。
「すす、スパナさんもエロい本を見たりするんですね…」
なるべく写真集の方を見ない様に話し掛けながら立ち上がろうとするものの、どうやら腰を強打してしまったらしく、鈍い痛みが走ってなかなか座椅子から起き上がれない。
「まぁ、人並みに。ウチも男だし」
そんなハルの様子に気付かず、「こっちにもない」と小さく呟いて立ち上がり、スパナは再び床に視線を落とした。
何処を探しても、黒色のノートパソコンは見つからない。
三時間前に一度、ハルが遊びに来るまでは確かに直ぐ近くにあった筈なのだが…。
「これは?」
チラリとハルを見遣った視線は、そのまま少女の真横に落ちている幾つかのナイフへと向けられる。
その内の一本を取り上げると、それは蛍光灯の鈍い光を反射して銀色に煌いた。
鋭利な刃先に僅かな曇りがある事に気付き、微かに目を細める。
「新品みたいだけど、何度か使われてる。ハルが使ったとは思えないんだけど」
「あ、はい。それはハルのじゃなくて、友人ので…」
視線だけを逸らす少女の姿に首を傾げ、スパナは足を踏み出した。
下に写真集がある事にも気付かず。
「え」
「!!」
ズルリと靴が見事に滑ったのは、投げ出された写真集の復讐だったのかもしれない。
先程とは比べ物にならない程の物音を立てて、スパナはハルに覆い被さる様にして転倒した。
その結果スパナが持っていたナイフは、ハルに突き刺さる一歩手前の位置でピタリと止まる。
傍から見れば、まるでハルをナイフで脅してでもいるかの様に見えた事だろう。
そして運の悪い事に、それを目撃してしまった少年が二人も居た。
「……ヒバリさん、ベルさん……」
何時の間にか開け放たれた扉から、陽光が室内へと差し込んでいる。
太陽の光を背中に、少年二名は無言でハルとスパナを見ていた。
窓も扉も完全に締め切られた薄暗い室内。
ナイフを突き付けている男と、その下敷きになった少女。
極め付けは、スパナの身体によって割り開かれたハルの下肢と、転倒した際に乱れてしまった着衣。
どれだけの聖人が見ようとも、これはもう何とも言い訳のしようが無い光景だった。
「…これ、もしかしてかなり不味い状況?」
ボソリとスパナの口から呟きが零れるのと、雲雀とベルフェゴールの背後にドス黒い炎が吹き上がるのは全く同時だった。


「御免なさい…」
ハルが必死でスパナを庇わなければ、今頃彼は生きて此処に居なかったかもしれない。
説明に説明を重ねて漸く殺意を抑えた雲雀とベルフェゴールは、しかし敵意剥き出しの気配は消さず、スパナに警戒の色を向けたままだ。
「で、こんな事したワケは?」
ベルフェゴールは漸く手元に戻って来たナイフをコートに仕舞うと、改めてハルを見下ろす。
雲雀もまた、トンファーを確認していた手を止めて顔を上げた。
「それは、その…ちょっとした仕返しのつもりと、後は興味です」
「仕返し?」
「はひ。ヒバリさんとベルさん、何時もハルの言う事なんて全然聞いてくれなくて、喧嘩ばっかりしていましたし」
「それで武器を取り替えたのかい?」
「そうです。ヒバリさんがトンファーではなくノートパソコンを持ったら、もしかしたら少しは大人しくなってくれるかなぁって」
「んなワケないじゃん」
即座に突っ込みを入れるベルフェゴールに、ハルは肩を落とした。
「そうですよねー…浅はかな考えでした」
「オレには何でエース君のトンファーを?」
「あ、それはベルさんがナイフより重い物は持った事がないとお聞きしたからです。トンファーならかなり重いですし、これなら喧嘩しなくて済むだろうと思いまして」
「…それ、誰に聞いたんだよ」
「マーモンちゃんです」
「あのチビ…」
アッサリと返された返答に、ベルフェゴールは口中で黒衣の赤ん坊を罵倒する。
一方、すっかり蚊帳の外に置かれている残り1名は、投げ返された既に原型を留めていないノートパソコンを腕に抱き締めて、話し合いを続ける三人を見ていた。
「スパナさん、すみませんでした!パソコン、まさかこんなになるなんて…」
「あぁ、良いよ。どうせ捨てるつもりだったし。いきなり消えると不気味で、それで探してただけだから。それよりウチ、ハルを怒らせる様な事したっけ?」
「いえ!スパナさんには仕返しとかそういうつもりじゃなく、ただ…巻き込んでしまっただけなんです。ヒバリさんとベルさんから逃げてる時、此処しか隠れる場所思いつかなくて。後、パソコンも捨てるって聞いてましたから…本当にすみません」
「いや、怒らせたとかじゃないなら良かった」
深く頭を下げて謝罪するハルの頭へ、優しい手がポンポンと乗せられる。
和みのムードが二人の間に漂い、それで一件落着とくれば話は簡単なのだが、そうは問屋が卸さない。
「三浦」
「ハル」
事情は聞けどそれで納得いく筈の無い少年二人は、スパナからハルを引き剥がすようにして、それぞれ別の手を掴んだ。
雲雀は右手を、ベルフェゴールは左手を。

「はひ…?」

急に背後へと引き摺られ、不穏な気配に振り返ったハルがこの後どうなったのか。
それは、流石のスパナも口を割らなかったという。







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