知れずと募る想いを抱え
スパナがボンゴレ側について一ヶ月が経とうとしていた。
彼専用に与えられた、整備室と名付けられた広く無機質な室内は、今や様々な機械や部品で混沌とした有様となっている。
スパナは窓一つ無いこの場所が酷く気に入った様で、一日中部屋に篭っては何かを作り続けている様だ。
部屋の前を通り掛かる度に怪しげな機械音が響いている事が多いのだが、如何せん室内は密閉された状態で、中で何が行われているのか知る術は無い。
尤も、この自分にとっては知る必要も興味も無いのだから、スパナが此処で何を作っていようが、何をしていようがどうでも良い事だった。
…そう、今までは。
「それじゃスパナさん、食べたら食器は其処に置いていて下さいね。ハルが後で取りに来ますので」
人通りの無い廊下を歩いていた雲雀は、室内から丁度出てきた少女とぶつかりそうになり、静かに足を止める。
ハルの方はといえば室内を振り返ったままで、此方に気付いた様子は無い。
何処か満足気な表情で視線を前方へと移したところで初めて、驚いた様に自分を見上げて来た。
「はひ。ヒバリさん、いらっしゃったんですか。すみません、気付かなくて…」
「随分と仲が良いんだね」
謝罪する彼女の言葉を遮ると、キョトンと大きな目が一度瞬かれた。
「仲…?あ、スパナさんの事ですか?」
「この部屋に、彼以外が居るとは思えないけど」
チラリと視線を向けた扉は音も無く閉じようとしており、数センチ開いた隙間から室内の様子が一瞬だけ見える。
初めて見る顔が、真正面から此方を見ていた。
絡み合った視線は不愉快なまでに強く、そしてハッキリとした意思を雲雀へと伝えて来る。
それは自分が持ち合わせる想いと全く同じで、苦い感情を心の底へと落とす代物だ。
「ちゃんとお話出来たのは、本当につい最近なんですよ。スパナさん、必要以上の事は余り喋ってくれないので」
ハルは嬉しそうに笑いながら、手にしていた円いお盆を胸元へと抱きしめた。
その仕草が妙に気になるのは、スパナから送られた先程の視線のせいだろうか。
「ふぅん。君が彼の食事を作っているのかい?」
「ハルだけじゃないですよー。京子ちゃんと一緒に作ってますから。ランボちゃんやイーピンちゃんもお手伝いしてくれますし」
屈託の無い笑顔に、不意に黒い感情が湧き上がる。
誰にでも物怖じしない彼女は、迂闊にも彼にまでこの顔を見せてしまったのだろう。
決め手は恐らく、それだ。
「それじゃ質問を変えよう。君が、彼の部屋まで毎回食事を運んでいるのかな」
「あ、はい。ハルの部屋、この近くですし。丁度良いので」
「…近く?」
さり気なく発せられた単語に、雲雀の片眉がピクリと上がる。
不機嫌そうに細められた目に、しかしハルは気付いた様子も無い。
「そうなんです。この廊下を真っ直ぐ行って1ブロック曲がった所に、ハルの部屋…」
「ストップ。それ、まさか彼にも話してないよね」
「…え、話しちゃ駄目でしたか?」
「………」
途端に能面の様になった雲雀の顔に、ハルはオロオロとうろたえる。
「だ、だって…スパナさんは悪い事する様な人じゃありませんし、その…」
「どうしてそんな事が言えるの」
「ど、どうしてと言われても…」
「まだ知り合ってそれ程長い訳でもない、ましてや相手は今までは敵方だった人間なのに?」
冷たく言い放った言葉に、それまでは狼狽するだけだった彼女の表情が変わる。
明らかにムッとした顔付きで、その目元が小さく此方を睨んで来た。
「そんな言い方はあんまりです。過去はどうであれ、スパナさんは今は仲間なんですから!」
「仲間なら、誰であれ信用出来ると?」
「当たり前です!」
「そう…」
トン、と壁に片手を付いてハルの前を塞いだ。
立ちはだかるのとはまた違う姿勢で相手を見下ろせば、事態が呑み込めない怪訝そうな視線が戻って来る。
「何ですか…?」
「君は危機感が足りない様だから、一つ教えてあげるよ」
薄っすらと口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと身を屈める。
片手を付いた部屋の壁、その向こうにスパナがいると承知の上で。
「どんなに仲の良い知り合いだとしても、男をそう簡単に信用するものじゃないって事をね」