しるもの3





男の一人がハルを人質にしようとした時にはもう、ハルの姿はその場になかった。
銃口が外れた瞬間、ハルは身を翻して近くの草葉へと身を潜めていた。

「ちっ」
舌打ちを漏らし、今度は雲雀へと銃口を向ける。
しかし銃口が火を噴く前に、雲雀のトンファーは男の頭上に振り下ろされていた。
頭部を打つ、鈍い音が響く。
一撃で地に沈められた相棒に目もくれず、もう一人が雲雀に飛び掛る。
両手にナイフを持ち、鋭い突きで相手の喉を狙う。
雲雀は余裕の表情で次々に繰り出される切っ先をかわし、上体が前方へと傾いた瞬間を狙って相手の持つナイフをトンファーで弾き飛ばした。
遠くへと放り出された武器に、しかし男は拾いに行く様子もない。
それどころか、素手のまま雲雀へと突進してくる。
その速度といい、先程のナイフ捌きといい、相当な使い手と見て良いだろう。
ハルは邪魔にならない位置で、二人の攻防を見守っていた。
心臓を狙う男の手を雲雀がトンファーで打ち据えた時、ガキンと金属の音が響いた。
同時に手首から男の手は唐突に折れ曲がり、そこにあるはずの骨や肉の代わりに刃の鈍い輝きが目に飛び込んできた。
電灯を反射した新たなナイフの光は、ハルの目を一瞬焼いた。
「ワオ。すばらしい義手だね」
雲雀の顔が心なしか嬉しそうに見える。
ナイフの先端は雲雀の前髪の数本を奪い、男は身体を反転させると同時に容赦無い蹴りを放った。
地を蹴り後方へ飛び退いた雲雀の顔には、今や紛れも無い歓喜が浮かんでいた。
闘っている雲雀を初めて見たハルは、その表情に背筋をゾクリと震わせた。
成る程、これでは周囲の者に怖がられても無理はないだろう。
一般人はもとより、ファミリーの面々にも一目置かれている雲雀は、基本的に闘う事が好きで仕方ないらしい。
「流石だな、雲雀恭弥」
男が感心した様に呟く。
「君もね。久しぶりに楽しめそうだよ」
舌舐めずりをせんばかりの声音で雲雀は笑う。
再び、二人は武器を打ち合わせた。
その時、激しい戦いに目が釘付けになっていたハルは、今まで昏倒していたはずの男が再び銃を握り締めている事に気付いた。
頭を強打されたせいか視界が上手く利いていないのだろう。
それでも銃口を雲雀へと合わせようと腕を上げている。
「…っ」
それを目にするや否や、ハルは飛び出した。
倒れている男の傍まで大股で走り寄ると、今にも引き金に手を掛けようとしていた男の手ごと、銃器を蹴り飛ばす。
雲雀にばかり集中していた男は、弾かれた手に呻いて地面へと転がる。
素足であっても、鍛えられたハルの蹴りはそれなりに痛いであろう。
ましてや男は頭を負傷しているのだ、振動が堪えないはずはない。
「別に相手が二人でも平気だったけど…まぁいいや。こっちの邪魔はしないでよ」
ハルが飛び出す前から、男の行動に気付いていたらしい雲雀が此方をチラリと見る。
その目には、何処か面白がっている色が混じっていた様な気がする。
ハルは転がった銃を拾い上げ、男の手に渡らない様にと遠く離れた。

が、雲雀と闘っていた男は、トンファーを退けた瞬間を見計らって、ハルの方へと隠し持っていた小型のナイフを投げつけて来た。
そこらのチンピラが投げつけた代物なら、今のハルは十分避けられる。
けれど相手は雲雀と戦えるレベルの相手だ。
そのスピードに流石のハルもついていけなかった。

「―――!」

直ぐ眼前に迫り来る刃に、身体が硬直する。
見開かれた目は、しかし自分の血を見る事はなかった。
ハルを傷つけるはずだった小型ナイフはあらぬ方向へと向きを変え、やがて速度を落として地へと落ちていった。
それとは別に落ちたもう一つの武器。
倒れ伏している男の血を吸ってドス黒く染まったそれは、先程まで酷使されていた雲雀のトンファーだった。
「僕を相手にして、よく余所見が出来るよね」
トンファーを投げつけてハルを襲ったナイフを弾いた雲雀は、残ったもう一本のトンファーで相手を打ちのめしていた。
先に倒れた相棒に続いて、今まで闘っていた男は地面へと伸びた。


「もうちょっと楽しませてくれると思ったけど…」
息一つ乱さず、雲雀はそれを見下ろした。
本気で闘っていた訳ではないと、そこで初めて解った。
底知れない強さを秘めた命の恩人に、ハルは感謝するのも忘れて、ただただ相手に見入る。
怖いという思いは、不思議と沸いて来なかった。
それよりも強い好奇心が沸き立ってくるせいだ。
雲雀恭弥という人物を知りたいと、彼がどれ程の強さを持っているのか見てみたいと、そんな気持ちが一気に駆け上ってくる。
凝視するハルの視線を受け、雲雀もまたハルをじっと見つめた。
暫くそうして見詰め合っていたが、雲雀が一歩踏み出したところでハルは我に返った。
「はひ」
高まっていた緊張感が一気に消え去る。
雲雀はハルの傍に落ちていたトンファーを拾い上げ、静かにそれを片手に収めた。
それから徐に携帯を取り出すと、手馴れた仕草で番号を押す。
「庭にゴミが散らかってるから片しといて」
それだけを電話の相手に伝えると元通りに携帯を仕舞い、先程から立ち尽くしたままのハルへ視線を戻す。
「行くよ」
それだけを言うと踵を返してしまう。
「あっ、待って下さいー!」
此処で置いていかれたらまた迷子になるだろう。
ハルは慌てて雲雀の後を追った。




30分もこの庭園の中を歩き回っていたというのに、雲雀についていくと何と僅か10分足らずで庭園を抜けてしまった。
複雑な表情で庭園を見やり、そのまま雲雀について屋敷内へと入って行く。
シンと静まり返った屋敷には人の姿は見当たらなかった。
けれど、気配だけは数箇所ある。
一応屋内にもガードマンはいるらしい。
裸足のまま磨き抜かれた床の上をペタペタと歩き、奥まった位置にある一室へと通されて初めてハルは息を吐いた。
応接室らしき部屋を見渡していると、部屋に控えていた救急箱を持った老人が近付いて来る。
優し気な表情で彼はハルに椅子を勧めた。
言われるがままに長椅子へと腰を下ろし、用意されていた踏み台へと足を置く。
どうやらこの屋敷の医師であるらしい老人は、丁寧に手足の傷を診てくれた。
靴擦れや、庭を走ったり転んだりした際についた傷を一つ一つ消毒してガーゼをあててくれる。
「数日もすれば治るものばかりですから、大丈夫でしょう。これなら傷も残らないと思いますよ」
「有難う御座います」
ハルが礼を述べると、老人は「いえいえ」と穏やかに微笑んだ。
それから主に向き直り、一礼すると彼は救急箱を片手に部屋を出て行った。

雲雀はハルの向かい側の椅子に座り、手当ての一部始終を眺めていた。
「ヒバリさんも、有難う御座いました」
今の今まで忘れていた礼を述べると、雲雀は口元に笑みを浮かべた。
「いいよ。君が囮になってくれたおかげで、簡単に彼らを誘き出せたから」
「へ?」
予想もしなかった返答にハルは目を瞬かせる。
「ひょっとして、気付いてたんですか?あの人達が庭に忍び込んでるって」
「勿論。沢田綱吉の屋敷からずっと僕の後をつけていたからね。君は気付かなかったの」
「全然気付きませんでした……」
はひ、と小さく溜息を吐いてハルは落ち込んだ。
まさか雲雀の屋敷に来る前から尾行されていたとは…。
リボーンに鍛えられたとはいえ、まだまだマフィアの一員としては未熟らしい。
「…ん?」
落ち込んでいた思考が、ふとある事に気付く。
「ちょっと待って下さい。て事は、私が襲われるの前提で放り出したって訳ですか!」
「そういう事になるかな」
「はひー!貴方はサディストですか!!」
「かもしれないね。…まさか君があそこまで動けるとは思わなかったけど」
雲雀はハルを試していた。
記憶力の良い雲雀は、初めて会った彼女が何の変哲もない女子だったと覚えている。
戦う事もなければ、此方側の世界の人間でもなかった。
それが何時の間にかマフィアという界隈に足を踏み入れ、自分の目の前に現れていた。
先程の戦闘時といい、彼女の予想外の動きを単純に面白いと思った。
だから少し興味が沸いたのだ。
「ハルは必死だったんですよ!」
ハルは一人で喚いている。
雲雀は悠然と椅子に背を預けて、騒ぐハルを見ていた。

普段はやかましく思うその声も、今の雲雀には面白く聞こえてくるのが自分でも不思議だった。







戻る