染まりし心に







ハルが髪を切った。
時折ではあるが、あいつが髪を下ろしている姿を見た事もあるから、結構長かった事をオレは知っている。
そして、髪を切った理由も…。




「こんにちはー!」
片手を大きく振りながら、ハルが駆け寄って来る。
何時もと同じ表情、何時もと同じ笑顔。
その顔には何の陰りも見えない。
清々しいまでの、喜びの表情。
友人に会えた時の、それ。
「ハル」
「ハルちゃん!」
応える二つの声に、ハルの顔はますます輝く。
まるで何かを隠そうとでもするかの様に。
但しそれは無理をして作った笑みではない。
作り物の笑顔は、今の自分達ならすぐに見抜いてしまうから。
きっとハルは自然とそうなるまでに、自分を押さえ込んだのだろう。
二人に気付かれない様に、気取られない様にと。
結果は、上々。
首を微かに傾げる程度の違和感はあるかもしれないが、それ以上追求して考える程のものではない。
そのぐらい、自分でも気付いていないであろう、ハルの演技は上手かった。
「10代目、すんません。買い物付き合うって言ったんですが、ちょっと用事が出来ちまいました」
ガバッと頭を下げ、10代目の返事を待つ事なくハルの手を取る。
「はひっ、獄寺さん?」
「行くぞ」
ボソリと呟き、そのまま先に立って歩く。
「あ、うん…。気をつけて」
遅れて10代目の返事が背中に届く。
申し訳無いとは思ったが、今は買い物よりも優先したい事があった。
「な、何なんですか?」
「うるせー」
「うるせーって、いきなり人を引っ張ってきておいて!」
「引っ張られるのが嫌なら引きずってくぞ、良いから黙ってろっつーの!!」
「なっ…!」
ハルは更に反論しようとしてきたが、もう片方の手で襟首を掴み、本気で引き摺ろうとした瞬間に口を噤んだ。
完全にむくれた顔つきではあったが、取り敢えずは大人しくなったハルを導き、道端に停めておいた車まで連れて行く。
「え、何処行くんですか…」
「いいから乗れよ」
「でもハルはツナさん達と一緒に」
「んで、またあの顔で笑うのかよ」
「―――……」
虚を衝かれた顔でハルは此方を見た。
「今ならまだ10代目達も気づいちゃいねーけど、その内バレんぞ。慣れってのは、案外人の目を肥やすもんだからな。お前の表情がそれ以外になくなったなんて知ったら、10代目も笹川も悲しむ…」
「じゃぁ、どうすれば良いんでしょう…?」
不思議そうに、ハルは尋ねて来る。
その声にも顔にも、涙の気配は全くない。
だからこそ余計に、その表情の下に泣き顔が透けて見えた。
「ハルは、ツナさんも京子ちゃんも大好きなんです。あの二人が一緒になったって聞いた時、凄く嬉しかった」
その時の事を思い出しているのか、本当に幸せそうな笑顔でハルは語る。
眩しい光を見たかの如く、目を薄っすらと細めて。
「でも、変なんです。何だかハルだけ置いていかれたみたいに、心の奥にぽっかりと穴が空いちゃって…。何だろう何だろうって、ずっと…考えてたんですけど……」
ハルは心臓の上に片手を置き、ゆっくりと円を描く様に動かした。
恐らく、其処が吹き抜けの場所なのだろう。
「どうしても解らなかったんです。幸せなのに、寂しくて辛いって…変、ですよね」
「そりゃ変だな。良いから、乗れ」
ハルの言葉をスッパリと切ると、顎を動かし助手席を示す。
今度は反論の一つも無く、ハルも車に乗り込んだ。
「ったく、世話かけさせやがって…」
小さく呟き、自分も運転席に落ち着くと、煙草を銜えてエンジンを噴かす。
そのまま適当な道を選んで車を発進させた。
「すみません。でも、やっぱり解らないんです」
呟きが聞こえたのか、ハルがポツリと言う。
溜息が、出た。
「寂しくて辛いんだろ?なら、てめーは幸せなんかじゃねーって事だ」
「…はひ?」
「心に穴が空く幸せが何処にあるよ。あの二人見てると、それだけで穴がでかくなんだろーが」
「何で、知って…」
「そんくらいオレにも解る」
続けようとした言葉は口を閉じて止める。
これは、今言うべき事ではない。
「てめーは、10代目が好きなんだろーが。笹川よりもずっとな」
「それ、は…」
ハルは困った様に俯いた。
「だからあの二人が付き合い始めて、ショックだったんだろ。いい加減認めろよ。てめーは失恋したんだって!」
半ば怒鳴るようにして言い聞かせた瞬間、ハルの顔から何かが落ちた。
水滴。
仮面。
二つの、とても意味のある代物が。
「はひ…」
ボロリと涙を零しながら、ハルは顔を上げた。
此方を向いて笑おうと口端を上げるも、それは失敗してへの字に曲がる。
「――ぅ、うっ」
エンジン音に混じり、嗚咽が車内に響く。
「てめーの10代目に対する想いの深さは、誰より知ってる。多分、10代目よりもずっとな」
「ひっ、く…ぅえ…っ」
「でもな、それ隠して生きるのは出来ねーぞ。てめーみたいに楽天的な性格なら尚更だ。辛い時は泣け、寂しい時は誰かに甘えろ。それぐらい、オレだって引き受けてやる」
「ごく、で…」
「泣きながら喋ると窒息すんぞ」
「だ、って……うぁ、ぅああぁんっ!!」
盛大な鳴き声と共に、ハルの繕いは全て消えた。
自分を騙して浮かべていた表情、それら全てが涙と共に流れて行った。
「泣いたら、楽になる。感情ってのは忘れるのは出来ねーけど、それでも何時かは新しい物を見出せる様になる。ま、なかなかそれが出来ねーヤツもいるけど、てめーなら大丈夫だ。恋にしろ何にしろ、また笑える様になるさ。てめーなりの笑顔って奴でな」
「はひ…っ」
ずび、と鼻を啜りながら、ハルはくしゃくしゃの顔で笑った。
それは完全なものではなかったが、立ち直りの一歩としては上出来の笑顔だった。
紛れも無い、ハルの表情だった。
「すげぇ顔…」
「言わないで下さいっ」
ハルは慌ててバッグからハンカチを取り出し、顔を拭き始めた。
既に見られているのだから今更だとは思うものの、口は出さないでおく。
「ハル」
「…何ですかっ」
「今日だけ特別だ。行きたい場所があったら連れてってやる」
「……。それじゃ、ケーキ屋さんに」
「……。てめーの食欲には呆れるぜ」
「い、良いじゃないですか!行きたい場所なんて、他に思いつかなかったんですから!!」
「解った、解った。んで、その後はどーすんだ」
「その後は…そうですね。ドライブしながら、一緒に食べましょう!」
「オレもかよ」
「当たり前です!獄寺さん、さっき言ったじゃないですか。オレに甘えても良いって」
「ぐ……。そりゃ、言ったけどよ…」
「そういう事で、お願いしますね」
「へーへー」
殆ど短くなりかけていた煙草を灰皿の上へと押し付けながら消し、車を素早く今まで走って来た道へ
と方向転換させる。
ハルの一番のお気に入りのケーキ屋へと進路を定め、新たな煙草に火を灯して銜えた。




「こんにちはー!!」
昨日と同じ様に、ハルは駆け寄って来た。
何時もとは少しだけ変わった表情と、何時もとは少しだけ変わった笑顔。
そしてガラリと変わった雰囲気を纏わせて。
「は、ハル…?」
「髪、切ったの!?」
10代目と笹川が驚いた顔でハルを見つめている。
「はひ。最近伸びすぎて重かったですし、気分転換にも良いかなって」
そう言って笑うハルの顔は、晴れやかなものだった。
「そうなんだー。ハルちゃん、長いのも良かったけど、短くても可愛いよね。ね、ツっ君」
「うん、最初ビックリしたけど。凄く似合ってるよ。獄寺君もそう思うだろ?」
「―――…」
ハルをじっと見る。
切り落とされた髪の毛は、恐らく仮面との決別だ。
迷っても悩んでも、それが自分だと受け止める覚悟が出来た証だ。

「そうっスね。今の方が、ずっと良いと思いますよ」

10代目への返事と同時に、視線はハルに向けたまま応えた。
ハルは少しだけ驚いた様に、何処か照れくさそうに微笑んだ。




全く、強い女だと思う。
だからこそ、きっとオレはこいつが好きなんだろう。






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