それは堕ちるもの






その感情は、自分でどうこう出来る物ではない。
気付けば誰かに惹かれ、気付けばそれを失っている。
目に見えたと思った時にはもう手遅れで、欲しいと思った瞬間には逃がしてしまう。
まるで此方をからかっているかの様な、そんな意地の悪いタイミングと切欠。
それこそ、気紛れな運命にも似た感覚で―――。


風に翻る学ランが、下から薙ぎ払われるトンファーの切っ先が、人を叩きのめす度に歓喜に歪められる目が、それら全てがハルの目を奪っていた。
視線を逸らすなんて行為は許されないかの様に、忘れ去られたかの様に、ただ一人の男へと吸い寄せられている。
「クレイジーです…。こんなの………」
呟かれた言葉は、自分でも聞き取れないぐらいに掠れていた。
身体が震える。
頭の芯から指の先端まで、全てが小刻みにカタカタと揺れている。
それが恐怖だけのせいではないと気付いているからこそ、尚更に動揺が表へと出て激しく身体を揺らしていた。
闘うというには、余りにも一方的な攻撃を仕掛けている彼に、信じられないぐらい急速に惹かれている。
どう見ても危険な人間だと、嫌になるぐらい解っているというのに。
「有り得ません。有り得ません。有り得ません」
自分を諌める呪文を吐き続けても、目はそれに従ってはくれない。
どんなに拒否しても、何を考えても、鼓動を静められないのだ。
視界が歪むぐらいの、どうしようもないこの感情を。
「つまらないな…」
地に伏せる何人もの人間に、心底残念そうな表情で彼が呟く。
まだまだ戦い足りない、もっともっと自分を楽しませて欲しい。
そんな願いを込めた呟きに、ゾクリとハルの肌が粟立つ。
「ねぇ、三浦」
そして彼は振り返った。
陰惨な笑みを顔に乗せたまま、その場から一歩も踏み出す事なく、ただじっと此方を見据えている。
「何が有り得ないって?」

空気が、一瞬にして澱んだ。

「ヒバリ、さん…」
彼の名が自然と口をついて出る。
チリチリと髪の生え際が逆立つ程の衝撃が、ハルの脳内全てを占領していた。
雲雀の標的は今や、地に転がっている彼等では無い。
地面に座り込み、一歩も動けないでいるこの自分なのだ。
そう考えると、ゾッとするぐらいの喜びが身体を蝕んだ。
全く理解不能なこの感情。
例え今彼に殺されてしまったとしても、自分はそれをどうしても悲しいとは思えないだろう。
嬉しいと、そう感じる筈だから。

それは、何故か。
それは、何故なのか。

「ねぇ」
雲雀の声が、麻薬の様に脳を犯して行く。
踏み出される一歩が、まるでスローモーションの如く、ゆっくりと視界の中で再生された。
「答えてよ。何が、有り得ないのか」
一歩。
また一歩。
確実に近付いて来る圧倒的な存在感に、ハルはもう立ち上がる気力すら失っていた。

あぁ、どうしよう。
もう逃げられない。

目の前に立つ雲雀を途方にくれた顔で見上げ、ハルは小さく慟哭した。
知らず流れる涙が、どう足掻いてもこれはあの感情なのだと、しつこいぐらいに囁きかけてくる。

「三浦ハル」

伸ばされる手が、その指先が、嫌味なぐらい優しく頬を撫でた。
細められた目の中に映る自分が、恥ずかしいぐらい一途な想いを顔に出している。
抗う事は不可能で、ハルは降参を意味する言葉を口にした。
それは即ち、この気持ちに名付ける名前があるとすれば、それ以外には無いという事を。







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