それ以前の問題点
物凄い絶叫と足音が、背後からどんどん近付いて来る。
その余りの騒音に不快そうに顔を顰めると、雲雀はトンファーを両手に振り返った。
瞬間、胸元に飛び込んでくる影が一つ。
走ってきた勢いがそのまま体重に乗せられていたせいか、ドスンと結構な振動が身体全体に伝わった。
しかし彼はよろめく事無く、頭一つ分は低い相手を静かに見下ろす。
「ひ、ヒバ…ヒバリさん!!ヘルプミーですー!!」
ややひっくり返った声で助けを求めているのは、口にこそしないがそれなりに気にはなっている存在の少女だ。
「………」
この女子はもしかしなくても、このまま自分を絞め殺す気でいるのではないだろうか。
思わずそう疑いたくなる位の腕力で、抱きついた状態のまま背中を締め付けてくる相手は、やけに怯えた表情で背後を伺い見ている。
その理由は直ぐに判明した。
「何やってんだよ、手下。王子から逃げるとか、有り得ないんじゃね?」
息も切らせずに追いついた金髪少年が、片手でナイフを放りながら目の前に立ち塞がっている。
「だだ、誰が手下ですか!ハルはベルさんの手下になんかなった覚えはありませんよ!?」
その姿に気付くなり、ハルと名乗った少女は背後へと隠れてしまった。
あからさまなまでに盾として使用された事が腹立たしく、雲雀は取り敢えず目の前の人物に鋭い視線を向ける。
「覚えがあろうと無かろうと、オレが決めたんだから、オマエはもう手下だっつーの」
「そんな無茶苦茶な!」
「王子の手下になれて光栄だと思えよなー。…ん、誰かと思えばエース君じゃん。何やってんの、こんな所で」
「それは僕が言いたい事だけどね。君こそ、本国に戻ったんじゃないの」
「ししっ。ま、あれから色々あってね。それより、そいつこっちに渡してくんね?さっきから逃げ回っててさー。追い駆けんの良い加減面倒なんだよね」
「ならもうこれ以上追わないで下さい!」
相変らず雲雀の背後に隠れたまま、ハルは叫んでいる。
「は?何、手下の癖に逆らうワケ」
「だから手下じゃないですと、何度言ったら――」
雲雀を挟んでの言い合いはますます激しくなっていく。
当然、彼がその争いを何時までも黙って見ている筈も無い。
ビュン、と空を切る音がハルの耳に届いた時には既に、金髪少年ことベルフェゴールの姿は数歩離れた位置に移動していた。
「危ね」
「惜しいな。別に避けなくても良かったのに」
トンファーを繰り出した姿勢のまま、雲雀はベルフェゴールに視線を向けたまま小さく笑う。
「へー。エース君も不意打ちなんてするんだ」
「悪いかい?」
「べっつにー。寧ろそっちの方が面白味があって、オレは楽しめるし。良いんじゃね?」
二本指に挟んだナイフを宙で踊らせながら、ベルフェゴールもまた口元を歪めた。
が、未だ雲雀の背後にいるハルの怯えた視線に、更に深い笑みを刻む。
「でも今は遊んでる暇ねーから、後にしてくんない?先にその手下の髪切っときたいし」
「髪?」
「はひっ。冗談じゃありません!」
雲雀が背後を振り返ると、ハルは顔を盛大に引き攣らせて2人から離れる。
「君は何時から理髪師になったんだい?」
「誰が理髪師だよ。ってか、何か言葉古くね?ハルが髪切りたいっつーから、手伝ってやろーって言ってんの。なのにさ、そいつ全力疾走して逃げ出すんだぜ?」
「当たり前です!ハルはほんの少し毛先を揃えたいだけなのに、ベルさんに任せたらどうなるか解らないじゃないですか!!髪は女の命なんです!丸坊主なんて嫌ですよ!?」
ジリジリと少しずつ離れていくハルに対し、ベルフェゴールもまたその分だけ間合いを詰めている。
「本当に無礼なヤツだな。ま、いっか。許してやるよ。王子も偶には、寛容な精神見せないとだしー?」
「そんなの発揮してくれるんでしたら、手下なんて止めて下さいっ」
「ヤだ」
軽く舌を出して更に一歩踏み出し、ハルの腕を捕らえようと手を伸ばす。
それを遮ったのは雲雀のトンファーで、ベルフェゴールは片眉を器用に上げて口をへの字に曲げた。
「何、邪魔すんの?」
「僕の前で群れる君達が悪い」
トンファーの切っ先をピタリと相手の喉下へと向けた雲雀に、しかしベルフェゴールはナイフを構えようとはしない。
何時もなら直ぐに応戦してくる筈なのだが、今日はそれどころではないらしい。
それ程、散髪意欲に燃えているのだろうか。
「…良いワケ?」
「何がだい?」
不意に顔を近付けてくるベルフェゴールを不審気に見返すと、ハルには聞こえないであろう声音で囁かれる。
「ハルがあの髪型を死守してる理由、沢田が褒めたからなんだって」
「………」
瞬間、雲雀の鋭い視線はハルへと突き刺さった。
「はひっ?」
突如として自分へと向けられた視線に、ハルは固まってしまう。
理由や経過はどうあれ、先程までは助けてくれそうだった雲雀の目が、今は何故かやけに怖く感じられてしまう。
「…あぁ、そうだね。三浦も少しはイメージチェンジするのも悪くはなさそうだ」
「え。ひ、ヒバリさん…?」
「だろー?ってワケで協力しろよな」
「はひ!?」
何時の間にか背後に回り込んでいたベルフェゴールに両肩を掴まれ、ハルは脂汗を流して前後に居る少年達を交互に見遣る。
何時もは喧嘩ばかりしている二人ではあるが、こういう時だけの結束力は他の誰よりも非常に強い。
そして、それは大抵、ハルの泣き声と呼応する事になるのだった。