只一つ決めた事
どんどんと強くなっていく貴方を見て、ハルも強くなろうと決めました。
この想いは適えられないかもしれないけれど、それでも少しでも傍にいられる様に。
同じ地面の上にいる者同士なのに、貴方は全然違う世界の人で、貴方は此方の世界にはいられない身だから。
…だから、一緒になる為にはハルが其方の世界に飛び込むしかありませんでした。
そして、それを後悔した事はありません。
今までも、そしてこれからも。
「ハル」
名前を呼ばれて顔を上げると、此方を見下ろす顔が視界に入った。
「はい。――さん」
完全なる逆光で、相手の顔は暗くて見えない。
背を光に向けたその姿が、まるでこの世界を象徴しているかの様だった。
差し出された手に自然と自分のそれを重ね、ゆっくりと引っ張り起こされるままに立ち上がる。
やけに身体がフラフラするのは、出血が酷いせいだろうか。
それでも死ぬまでには至らない程度の傷だと、経験上解っている。
だから慎重な足取りで一歩を踏み出した。
支えてくれる腕に半ば身体を預け、この先に止まっているであろう車を目指す。
ゆらりと落とした視線が、破れ綻びたタイトスーツとストッキングに止まる。
今更ながらに自分の姿がボロボロである事に気付き、小さく笑いが漏れた。
「―――?」
不思議そうな声音に首を振り、視線を相手の面へと向ける。
「いえ、何でも。ハルは大丈夫ですよ」
後悔の滲んだその表情に、ハルは僅か怒った様な表情を作ってみせた。
「そんな顔しないで下さい。ハルは好きで此処にいるんです。――さんが謝る必要なんてありません」
僅かに伏せられた瞼に、色濃く影が落ちている。
この世界に足を踏み入れた時から、彼は時折こんな表情を浮かべる様になった。
本当は此方の世界に、ハルを引き入れたくはなかった。
一度だけ、彼はそう零した事がある。
その時の彼の顔は、生涯忘れる事はないだろう。
「ごめんなさい…」
「ハル?」
「それでも、ハルは…此処に居たいんです」
「………」
腰を支える腕に、力が込められる。
「解ってる」
低い低い声に、知らず視線が落ちる。
そして振り返った。
先程まで自分が座り込んでいた場所、其処には一人の人間が地面に伏していた。
ピクリとも動かない指先を見るまでもなく、その人物が既に事切れている事は解っている。
じわりと広がって行く錆の臭いと赤い水溜りに、静かに目を伏せるだけの黙祷を捧げた。
後悔はしない。
後悔はしたくない。
自分が望んでやって来た事だから。
だから罪悪感も感じないし、感じる必要もない。
自分にとって、自分達の世界にとって、これは正義なのだから。
誰かを守る為に誰かを傷つけないといけないのだとしたら、自分は喜んでそれをやり遂げよう。
そう決めて、この世界に飛び込んだ。
今この瞬間、隣を歩く彼と一緒に生きて行く為に。
「――――」
不意に彼の口から漏れた言葉に、目を見開く。
本当は此方の世界に、ハルを引き入れたくはなかった。
でも、嬉しかった。有難う。
そう聞こえたのは、自分の気のせいだったのだろうか。
慌てて彼を見上げるも、何時もと全く変わらない表情で、前方のみを見つめている顔しか映らない。
それでも、じわりと胸に広がる涙の味に嬉しくなる。
暖かいその感情が、強張った身体を解して行った。