試すもの
「で?」
それはそれは大層低い声で、雲雀は目の前の光景を見遣った。
普段からしてキツイ目つきが、更に吊り上っている様に見えるのは、決して気のせいではないだろう。
「はひ…」
「こっわー。そんなんじゃ、ハル怯えちゃうじゃん」
びくりと肩を揺らせて身体を縮こまらせたハルの肩に腕を回し、ベルフェゴールはわざと見せ付ける様に、自分の方へと引き寄せた。
勿論、雲雀の目の前でだ。
その光景に、雲雀は片眉を引きつらせる。
「ベベベ、ベルさん…」
直ぐにでも射殺されそうな視線を直撃で受け、ハルは真っ青になって腕を振り解く。
これ以上ベルフェゴールに成されるが侭にしていたら、本当に殺されかねないと直感が告げている。
しかし当の本人である王子様は、外されてしまった腕を詰まらなさそうに見ると、ちぇっと小さく呟いただけだ。
「本当にこんな事で、ヒバリさんの気持ちが確かめられるんですか…?」
呑気なベルフェゴールの耳元で小さく囁くと、彼はニィと歯を見せて笑った。
「だーいじょうぶ。実際、今だってすんげー怒ってるっしょ」
「怒り過ぎです!これ以上やると、デンジャーな気がしますよ…」
「平気、へーき。いざとなったらオレが本当の事話してあげっから」
ひそひそと仲良く内緒話をしていると、先程とは違った冷ややかな視線がハルに突き刺さった。
正確には二人に送られた視線だが、ベルフェゴールはそのぐらい屁とも思わない性格なので、ハルしか怯えるものはいない。
「何話してるのか知らないけど、どうして君が此処にいるのか教えて欲しいな」
冷ややかな視線のまま、雲雀はにこりと笑って尋ねる。
アンバランスなその笑顔が酷く殺気立っている様に思えるのは、決してハルの気のせいではないだろう。
当然、君というのはベルフェゴールの事である。
「そそそれはですね。ベルさんと偶然そこで会って、話し込んでる内に此処に…」
「そーそ。ハルと楽しく会話してたんだよなー?まさかアンタと待ち合わせしてるなんて思わなかったけど」
ベルフェゴールは、『楽しく』という箇所をやけに強調する。
「へぇ。それじゃ、もう用はないね。君の言う様に、僕達は待ち合わせしていたんだよ。今から二人で帰る所だから、どこかに消えてくれるかな?」
更に笑顔になった雲雀に、ハルは背筋が凍った。
これは相当に怒っている。
普段ハルが他の人と話していても、これ程までに怒る事は滅多にないから、ひょっとしたら雲雀はベルフェゴールの事を嫌っているのかもしれない。
最早、雲雀の気持ちを確かめるなんて言ってる場合ではない。
「ベルさん、あの…これ以上はもう良いので」
恐る恐るそう切り出すと、相手は肩を竦めた。
「ハルがそーいうなら仕方ないかぁ」
しししっと小さく笑うと、ベルフェゴールは雲雀に向き直る。
「ま、んじゃ正直に言うけど。オレ、ハルに惚れてんだよね。上手くすればアンタからハルを奪えるかもしれないってんで、ハルにくっついて回ってるワケ」
「はひ!?」
飄々とした態度の王子様に、雲雀は目を細め、ハルは仰天した。
「ちょ待っ…話が違いますよ、ベルさん!?元はといえば、ヒバリさんがハルの事を本当に好きなのかどうか、ベルさんと仲良くしてるとこ見せて、ちょっと確かめてみようって話じゃ――ハッ」
思わず暴露してしまった真実に慌てて口を塞ぐも、時既に遅し。
「………」
雲雀は怒りを納め、今度はやや呆れた様な顔つきになっている。
「あー。オレにとっちゃ、それ建前なんだわ。本音は、さっき言った通り」
ベルフェゴールはハルの頭を軽く撫でると、そのまま抱き寄せようとする。
それを見越した雲雀がハルの腕を取り、さり気に自分の背後へと押しやると王子から遠ざけた。
二人の間に見えない火花が散る。
顔を赤と青のまだら状態にしたハルは、ただ呆然と事の成り行きを見守る事しか出来ない。
此処で下手に自分が口を挟めば、更に状況が悪化するのは目に見えていた。
「ま、今回はここまでにしとくか。此処でバトルすんのも悪くねーけど、ハルを怖がらせたくないしー」
のんびりとした口調で、ベルフェゴールが視線を外す。
「んじゃ、ハル。また会いにくっから」
そう言うと最後にハルに笑いかけ、ベルフェゴールはコートを翻してその場を去って行った。
残されたハルは、何の言葉を発する事も出来ない。
ベルフェゴールに友情以上の好意を持たれている等、考えた事もなかったのだ。
「全く…」
雲雀が漸く此方を向いたのは、ベルフェゴールの姿が完全に視界から消えてからだった。
「あんなのにつけこまれてどうするんだい」
「はひ…」
ハルは項垂れ、ションボリと肩を落とす。
既に雲雀の声に怒りの気配はないが、彼を試す様な事をした罪悪感がハルに圧し掛かってくる。
雲雀はその行為を責める事はしないが、それが余計にハルを落ち込ませた。
「三浦」
「?」
呼ばれて顔を上げると、額にキスが降って来た。
「これでもまだ、僕の気持ちが知りたい?」
額に残った柔らかい感触にハルは驚く。
彼がこういう行為をしてくれた事は、今までに一度もなかったのだ。
「い、いえっ。もう大丈夫です!」
ぶんぶんと首を真横に振り、ハルは真っ赤に染まった顔に両手を当てて隠す。
「それじゃもう二度と、彼に気を許さない様に。今度一緒にいる所見たら、お仕置きするよ」
「はへ…っ?」
最後の言葉からやけに不吉な響きを感じ取り、身体がゾクリと震えた。
どういう意味なのか、突っ込みたくても恐ろしくて聞けない。
「それじゃ、帰ろうか」
雲雀が片手を差し出すと、ハルは先程感じた一瞬の恐怖も忘れ、幸せ一杯の気分でそれを握り返した。
「ハール」
帰宅途中に上機嫌な声に呼び止められ、振り向けば其処にいたのは金髪の青年だった。
「ベルさん!?」
ザッと一歩下がって距離を取ると、相手は不思議そうな表情で首を傾げる。
「何で離れんの?」
「いえ、ちょっと理由が…。今一緒にいる所見られると困るんです」
「あ、もしかしてあいつと待ち合わせとか?」
「はい」
「毎日一緒に帰ってんだ?良いなー、オレも混ぜてよ」
「そ、それは無理です。ヒバリさんにも怒られちゃいましたし」
じりじりとにじり寄って来る相手から、同じ分だけ距離を取りながらハルは答える。
けれど気付けばいつの間にか、ベルフェゴールはハルの肩に腕を回していた。
「!!」
声にならない悲鳴を上げると、ハルは相手を引き離そうと両手に力を込める。
が、ベルフェゴールの腕はびくともしない。
「まま待って下さい、もうすぐヒバリさんが来ちゃいますから!離して下さいぃぃ」
「いーじゃん、見せ付けてやろーぜ」
「それは困るんですってばー!」
雲雀から言われた、『仕置き』の三文字がハルの頭にちらつく。
昨日の今日でこの状況は、まずいどころの話ではない。
ハルが焦りながらベルフェゴールの腕と格闘していると、世にも恐ろしい声が背後から聞こえてきた。
「何してるの」
「!!」
この声は、間違いなく彼だ。
最早青を通り越して白くなった顔色で、ハルはゆっくりと振り返る。
案の定、其処には腕組みをして仁王立ちになった雲雀がいた。
「見てわかんね?ハルとラブラブしてんの」
「さっさと離れないと後悔するよ」
両手にトンファーを構え持ち、雲雀が地を這う様な低音で忠告する。
今回はベルフェゴールも立り去る様子もなく、寧ろ嬉々として応戦体制に入っている。
漸く解放されたハルは、よろよろと二人から離れた。
このまま帰ってしまいたい。
そんなハルの心境を読んだかの如く、背中に雲雀の声が飛んでくる。
「三浦、昨日言った事覚えてるよね。後で覚悟しておきなよ」
「ひぃっ」
肩を波立たせたハルが見たのは、とてつもなく恐ろしい雲雀の笑顔だった。