取り扱いにはご用心







「げ、何これ」
部屋に入るなり、開口一番でベルフェゴールは口を歪ませてそう吐き出した。
「はひ?」
「これだよ、これ。不気味な人形飾ってんじゃん。何これ、何かの呪いなワケ?釘で串刺しにするとかいうアレ?」
ベルフェゴールの視線を辿ると、其処には壁際に面した位置に飾られた立派な雛壇があった。
計五段のしっかりした造りのそれは、ハルが5歳の頃に両親が買ってくれた、なかなかに高価な物だ。
「はひ!呪いなんてデンジャラスな事はしませんよ!!これはハルのお雛様です」
手持ち無沙汰なのか、ナイフを片手で宙へと放り投げて遊んでいる王子に、ハルは顔を青くして雛壇の前に立ちはだかる。
雛人形という物は、古来より嫁入り道具の一つとしての価値を持つ程に重要な代物である。
色々な意味で傷物にする訳にはいかない。
「それ何の真似?」
「ベルさんが人形を壊さない様に見張ってるんです」
必死の形相で両手を広げ、眼前に立つ少女に、ベルフェゴールはムッとした表情で口端を更に曲げる。
「しねーっての。呪いの人形に興味なんてねーし」
「だからお雛様は呪いの人形なんかじゃありません!罰当たりな事言わないで下さい!!」
「じゃ、何の為にあるワケ?オヒナサマって」
「はひ。お雛様は3月3日まで飾っておくんです」
「何の為に?」
「そ、それは…節句の行事として、でしょうか」
「その行事の意味は?」
「……わ、解りません」
「やっぱ呪いじゃん」
「違います!とにかく、この人形には絶対に触らないで下さいね?デストロイなんてもってのほかですよ?今お茶持って来ますから、それまでソファに座ってて下さい!」
人差し指を突きつけられてまで指示され、ベルフェゴールは嫌そうに顔を顰めながらも、大人しくソファに腰を下ろした。
珍しくハルが自分の部屋に招いてくれたのだ、この機会を不意にする訳にはいかない。
不承不承ながらも大人しくなったその姿に安心したのか、ハルは「直ぐ戻ります」とだけ告げて部屋を出て行く。
ドアの向こうに消えた姿を眺め、ベルフェゴールはチラリと雛壇へと視線を戻した。
五段それぞれに、違う衣装や小道具を身に着けている人形達が居並んでいる。
それらの風貌は現代とは全く違う色合いで、外国育ちのベルフェゴールにとっては、見れば見る程不気味にしか感じられない。
「こんなの後生大事に取っておくなんて、日本人っておかしいんじゃね?」
雛壇の重要性を全く理解しない男に言われては、人形もたまったものではないだろう。
しかし反撃する手立てを持たない彼等は、ただ無表情に微笑んだままベルフェゴールをじっと見つめるのみ。
何故か一斉に複数の目で見つめられる感覚に襲われ、ベルフェゴールは不愉快そうに鼻を鳴らして立ち上がった。
「うぜー…何見てんだっつの」
雛壇に近付き、最上段にあった一番豪奢な着物を纏う女人形を取り上ると、そのノッペリとした真白い顔を間近で眺める。
職人の手により丁寧に掘り込まれた目鼻立ちが、より一層本物の人間に近しく思わせていた。
「ハルも趣味悪いよなー。こんなん横に置いて眠れるなんてさ。王子には無理。ぜってー無理」
他人の物であろうと気に入らない物は迷わず切り捨てるベルフェゴールも、流石にハルの泣き顔を見るのは嫌だった様で、寸でのところで手を止めおく。
まさか他人を気遣う日がやって来ようとは思ってもみなかっただけに、最近のそんな自分に眩暈を感じる事も少なくは無い。
「…あーぁ、やってらんね」
ベルフェゴールは小さくぼやきながら肩を竦めると、そのまま雛人形を壇上へと戻そうと手を伸ばす。
瞬間。

ガチャリと扉が開く音と同時に、ガチャンと雛人形が落ちる音が部屋に響き渡った。

「………」
「………」
幸い、扉の向こうに居たのはハルでは無かった。
では誰だったのかと問われれば、これまた余り縁良い人間では無い。
自分と同じ、この国の人間では無い髪色をした、爬虫類じみた目を持つ男。
その視線が自分と落ちてしまった雛人形へと向けられている。
「何でお前が此処にいんだよ」
「何でと言われても、ハルに呼ばれたから来たんだけど」
ベルフェゴールの言葉に、淡々とした口調でスパナが返す。
自分一人だけが招かれたのではないという事実に、ベルフェゴールの機嫌は一気に低下した。
しかし今はそれどころではないと、足元に転がっている雛人形が告げている。
「それ…ハルの雛人形じゃ?」
「あーぁ、お前のせいで壊れたじゃん。どーすんだよコレ」
「何でウチのせいになるんだ…」
「いきなりドア開けたからに決まってんだろ。普通入室前はノックするのが礼儀ってもんじゃね?」
「アンタにそれを言われてもな。第一それではウチのせいになる説明になってない」
大の男が地に落ちた雛人形を挟んで対話する光景は、なかなかに珍妙なものだ。
もしも此処にハルが居たとしたら、一体どんな目で二人を眺めただろうか。
尤も、壊れた雛人形に気付いてしまえば、それどころではなかっただろうが。
「それよりも、お前技術者なんだろ。直せねーの?」
「何がそれよりもなのか解らないけど。…ウチの専門はロボット工学方面だから、日本人形は専門外だ」
「役に立たねーヤツ」
「アンタに言われたくない」
「何とかしろよ。このままだと、ハル泣くぜ?」
「……それは、困るな」
あくまで横柄な態度のベルフェゴールに、しかし一向に気を悪くした様子の無いスパナは、チラと視線を落とすと、地に落ちた人形をそっと両手で拾い上げた。
一見しただけでもハッキリと解る、顔面右半分のひび割れ部分に指先を押し当てて素早く損傷具合を確かめる。
指先のへこみ具合からしても、放置しておけば数時間もしない内に、この陶器箇所は砕け散ってしまうだろう。
「工具…はあるか。問題は材料だな…」
人形を片手にブツブツと呟き、スパナは床上に腰を下ろすと、つなぎのポケットから様々な道具を取り出し始めた。
「…お前、何時もそんなもん持ち歩いてんの?」
「必要最低限の物だけは、一応」
ベルフェゴールを振り返る事無く、スパナは早速作業に集中し始めている。
床の上に並べられた工具類は全部で七つ。
そういった方面に全く興味の無いベルフェゴールには解らない物ばかりだが、まさに七つ道具という言葉がピッタリである。
「あんたはハルが来ないようにしてて」
スパナの背後から何とは無しに作業を眺めていたベルフェゴールだったが、スパナの言葉に一度背後を振り返る。
未だ廊下を歩いて来る足音は聞こえて来ないが、そろそろハルも戻って来る頃だろう。
「どんぐらい?」
「10…いや、8分」
「ん」
スパナの返事に頷き、ベルフェゴールは素早く扉を抜けて部屋を出た。
視線を右に寄せれば、一階へと続く階段のある方角から仄かに甘い香りが漂って来ている事に気付く。
庶民の家の構造など知る由も無いが、この匂いを辿れば自然とハルの元に着くだろう。
そう判断して、ベルフェゴールは階下へと足を向けた。
「…って、オレがオヒナサマとやらを買えば済む話じゃん?…あー、でもなー。何か思い入れ深そうだったしなー。やっぱ直した方が良いのか?つか、そんなに大事なら飾ってないで仕舞っとけっての」
愚痴を零しながら歩いていると、丁度キッチンと思しき場所から出て来たハルと視線が合う。
「はひ。ベルさん、どうかしましたか?」
どうやら愚痴の中身までは聞こえていなかったらしい。
両手に湯気の立つティーカップを乗せたトレイを抱え、ハルは笑顔でベルフェゴールへと近付いて行く。
「別に何もねーけど。…ハル、今からケーキ買いに行かね?」
「ケーキですか?でも、スパナさんを待たせてますし…」
「あー、大丈夫。あいつならオヒナサマってヤツを見てるからさ。オレ奢るし、行こーぜ」
「そうですか、なら―――って、ベルさん。何か隠してませんか?」
普段なら面倒がって自分では動こうとしない相手に引っ掛かるものがあった様で、ハルは微かに眉顰めてじっとベルフェゴールを見上げる。
「べっつにー?ししっ、そんな見惚れる程オレ良い顔してる?ま、王子だし当然だけど」
「違います。ベルさん、何だか優し過ぎます」
「オレは何時も優しいじゃん」
「それとは違う優しさです。ハルの怪し気センサーが発動しました。やっぱり何か隠してますね?」
「何も隠してねーっての」
内心で生じた焦りを上手く隠しながら、ベルフェゴールはさり気無く階段を自分の身体で塞ぐ。
まだ5分も経過していない現段階では、ハルを部屋へと入れる訳にはいかない。
スパナが雛人形の修理を終えるまで、何としてもこの場にハルを留め置かなくては。
「むむむ、怪しいです。ベルさん、ちょっと其処退いて下さい」
「何で?」
「ハルの勘が、部屋に早く行けと告げてるんです」
「オレならともかく、ハルの勘なんてあてになんないって」
「はひっ、酷いです!」
「ししっ。だって事実だしー?」
表面上では笑っていても、ベルフェゴールの目は廊下に掛けられている柱時計へとチラチラと向けられていた。
前髪で目が隠れている事が幸いしてハルには気付かれないで済んだが、スパナの告げた時間まで未だ残り2分もある。
「もうっ。ベルさんにはお茶無しです!スパナさんにだけあげますから、其処退いて下さい!」
「王子差し置いてあいつに茶を出すなんて、ありえねーっつの」
「ハルを馬鹿にする人に出すお茶なんてありません」
フイッとそっぽを向く姿は可愛らしいが、今はそれを堪能している余裕は無い。
残り一分と少々。
紅茶が零れない様に気を使いながら歩くとしても、この位置から部屋までの距離を考えれば、どう見積もっても30秒と掛からない。
元来こういったこそこそした行為は苦手なだけに、一分という時間は結構な長さとなってベルフェゴールに圧し掛かって来る。
「ハル」
「何ですか?」
「オレがハルをからかってる理由、解ってる?」
「そんなの解る訳ないじゃないですか。面白いから、って言いそうだなぁとは思いますけど」
「ま、それも間違ってねーけどさ」
階段に足を掛け様としていたハルの真横にある壁に手を付き、改めて上階への通り道を塞ぐ。
「?」
怪訝そうなハルにゆっくりと顔を近付けながら、ベルフェゴールは小さく笑った。
「ハルって本当に鈍感だよなー。可哀想なくらい」
「はひ!また馬鹿にして…っ」
「ま、そーいうとこ偶にイラ付くけど、嫌いじゃねーし」
最初は時間稼ぎのつもりで切り出した話は、しかし気付けば残り時間など頭の中から飛び去っていた。
普段より間近にあるハルの顔に、全ての意識が集中する。
「ベルさん?」
一文字一文字、自分の名を呼ぶ唇の動きにベルフェゴールは更に顔を近付け――。
「お茶、冷めてる」
そして頭上から割り込んで来た一声に、彼は全身に殺気を漲らせて顔を上げた。
「あ、スパナさん御免なさい。遅くなっちゃいました」
ベルフェゴールの腕の下で、ハルはもぞもぞと身動きをしつつトレイを見下ろす。
スパナの言葉通り、淹れ立てだった紅茶はすっかり冷めてしまっていた。
「はひ…ちょっと淹れ直して来ます」
「良いよ。勿体無いし、それだって立派なお茶だ」
スパナはトントンと足音を立てながら階段を下り、ハルの手からトレイを受け取り先に上がって行く。
ベルフェゴールの殺気を感じていない筈は無いのだが、彼は全く気にした様子も無く部屋へと消えた。
「あれ、ハル達何の話をしていたんでしたっけ」
スパナの後を追い掛けて階段を上っていたハルは、途中でベルフェゴールを振り返る。
からかわれた事で膨れていた顔は、すっかり形を潜めてしまっている。
「いーよ、別に。大した事じゃねーし」
対するベルフェゴールは、邪魔が入った事に完全に不貞腐れていた。
「?」
不思議そうな表情で階段を上がるハルに続き、二人で連なる様にして部屋へと戻る。
扉を抜けた真正面に在る雛壇には、一体も欠ける事無く人形が綺麗に整列していた。
それを見た途端、ベルフェゴールの全身を漲っていた殺気は急激に薄まって行く。
「はひ。何もありませんでした」
チェックの為か、部屋中をグルリと見回したハルが小さく呟く。
「ホラな。オレの言った通りじゃん?」
「おかしいですねぇ…」
「おかしいのは、ハルのセンサーだろ」
スパナが置いたトレイからテーブルへとカップを移すハルの姿に、僅かな安堵を覚えてベルフェゴールは雛壇へと再び視線を向けた。
先ほどまでは確かにひび割れていた雛人形の顔が、今はまるで新品そのものの様に輝いている。
とは言え、少々古びてしまっている他の人形と大した見目の差異は無い。
これなら恐らくハルも気付かないだろう。
「本当ですね。疑ってすみませんでした。あ、これベルさんの分です」
「ん」
手渡しでハルからカップを受け取ると、冷めても匂いの消えない紅茶に口を付ける。
と、不意に視界の端で何かが光り、視線だけを其方へ向けたベルフェゴールは、その発光源がスパナの直した雛人形にあると知って固まった。
正確には、雛人形の目に。
「………」
「ベルさん、座らないんですか?」
一点を凝視したまま突っ立っているベルフェゴールに、ハルはソファの上に重ねていたクッションを差し出しながら声を掛ける。
「え、あー…良いや」
「お行儀悪いですよ」
子供を叱る口調のハルを適当に流しながら、ベルフェゴールはスパナへと視線を飛ばす。
当の本人は呑気に紅茶を啜っており、トレイの上に乗せられている色とりどりな飴の詰まった透明な瓶を凝視していた。
そんな物見てねーで、こっちを見ろっつーの!
思わずそう怒鳴り付けたい衝動に駆られるが、代わりに長身の背中に裏拳を飛ばす事で我慢した。
ナイフを握れば間違い無く刺してしまうと判断した理性のある自分に、スパナは感謝するべきだろう。
そんな彼の胸の内も知らず、突然背後から来た衝撃にスパナが振り返る。
ハルは瓶に詰まった飴をテーブルの上に並べており、此方に気付いた様子は無い。
「何?」
「……お前、アレに一体何付けたワケ?人形の目がヤバイんだけど」
顎で雛人形を示しつつ、ベルフェゴールは小声で囁いた。
あぁ、全く性に合わない。
苛々しそうになる自分を堪え、これで本日何度目の我慢だと、頭の隅で回数を数えてみた。
軽く片手の指を越えそうな数に、更に腹立ちは募って行く。
「あぁ、モスカの材料の一部を埋め込んだんだ。赤外線センサー付きで、泥棒警報機にもなってる」
「ばっ…馬鹿じゃねーの!?」
あっさりと返された答えに、ベルフェゴールは仰天して声を殺す事を忘れてしまう。
案の定、ハルが不思議そうに二人を見上げて首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「ん、何でもないよ。それよりハル、その飴食べて良いの?」
「勿論です。これ、つい最近発売されたばかりの新商品なんですよ〜。沢山ありますから、幾らでも食べちゃって下さい。あ、クッキーもありますから今持って来ますね」
二人の様子に気付く事無く、ご機嫌な様子でハルは再び部屋から出て行く。
足音が完全に階下へと消えてから、ベルフェゴールは漸く立ち上がった自分より背丈の高い相手を睨む。
「お前、余計な機能付けてんじゃねーよ。人形から赤い光線出てたら、明らかに怪しいだろ」
「他に似通った部品が無かったんだから、仕方ない。元のは破損が酷くて使えたものじゃなかったし」
「似通ったって…お前ロボット作ってんだろ?人形の部品なんか何で持ってんだよ」
「正一の案で、最近は人間に似せたロボットも作ってるからな」
「あっそ。…とにかく、あれ外せよ。直ぐに」
「無理。外すと代替部品が無いから、頭の無い代物になる」
雛人形を指差す少年を見下ろし、スパナはきっぱりと即答した。
「それまるっきりホラーじゃん」
嫌そうなベルフェゴールの表情に呼応したのか、再び雛人形の目が光を帯び始める。
一体どんな感応システムになっているのか知らないが、仕掛けを何も知らない人が見れば、怪しいを通り越して恐怖を覚えるに違いない。
事実、ハルは皿の上に山盛りにして持って来たクッキーを、残らず床へとぶちまけてしまった。
皿はカーペットの上に落ちたおかげで割れずにすんだが、トレイは床に直撃して盛大な音を辺りに轟かせる。
「…あ」
「げ…」
全く同時に二人が振り返ると、何時の間にか戻って来ていたハルは、凍り付いたまま雛人形を見つめている。
「は、ハルー…?」
「…これは駄目だな。完全に固まってる」
叫び声すら上げられず、卒倒する事も出来ないまま、ハルは目を開けたまま気絶していた。
そんなハルを前にして、立ち尽くす男二人。
彼等は後日、新たな雛人形を手に三浦家へと謝罪しに行く事となる。
しかしそれが届くまで、ハルは寝不足の日々を送ったという。


「寝る度に、キーキー言いながらお雛様が動き回るんですよ!?怖くて眠れません!」
「だから物置とかに入れとけば良いじゃん」
「あ、それ駄目かも。自動的に元の位置に戻る様に設定してあるから」
「どれだけ余計な機能付けてんだよ、信じらんねー」
「ハルのお雛様がぁぁ」







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