歌うは我に、響く声









ボーカロイドに恋愛感情なんて物は、本来なら必要が無かった。
けれど製作者達は、その方が面白い、歌に情緒が出るという理由で、新たに付け足したらしい。
それが俺、カイトだ。
先輩であり、姉でもあるメイコにはその感情が無い。
だからこそ、この恋は報われる事が無いのだと知ってもいた。
尤も、それで諦められるはずもないのだけれど。
仮想スタジオの中で歌うメイコは、今日も綺麗だ。
美声と言えばそうなのだが、それよりも寧ろ独特の張りのある声と、深みのある音を上手に出せる存在は、その姿形よりもまずイメージが脳内に突き刺さる。
高鳴る心臓に、染み入る声が重なって苦しくなった。
どうして、こんな感情があるんだろうか。
何度そう思った事だろう。
メイコは優しい。
姉として、先輩として、まだまだ未熟な俺を指導してくれる。
時には厳しく、時には甘やかして。
初めて目にした異性という事もあるのだろうが、そんなメイコに恋するのは、至極当然の成り行きだったと言えるだろう。
「カイト?収録終わったわよ。もう部屋戻るけど、あんたはどうするの?」
目の前で手をヒラヒラさせながら、メイコが笑っている。
「あ、うん。俺も戻る…」
「どーしたのよ。何か元気ないわねぇ…もしかしてアイスクリーム食べ過ぎて、お腹壊しちゃったとか?」
「いや、違うよ。何でも無い、大丈夫」
小さく笑いながら椅子から立ち上がると、心配気なメイコの視線とぶつかった。
それが辛くて、思わず視線を逸らしてしまう。
「カイト…本当にどうしちゃったのよ。最近のあんた、何か変よ…?」
「何でも無いって。本当、大丈夫だから…先、戻ってるよ」
顔を覗き込まれる前に背中を向け、早足で歩き出す。
戸惑っているメイコをその場に置き去りにして、自分用の空間フォルダ――自室へと戻った。
マスターの持っているPCは、本当に最近出たばかりの新しい物らしく、俺達はそれぞれかなり広い部屋を与えられている。
最初は何も無かったこの部屋にも、徐々に生活に必要な物品が増えてきていた。
マスターは余りそういった方面に知識が無いらしく、最初は何も作れず悪戦苦闘していた。
幸いな事に、俺には物を作り出す能力も備わっていたから、マスターを手伝って、何とか今の環境に落ち着いている。
メイコの部屋の品々も、全部俺とマスターとで作り出した物だ。
俺が来るまで何も無い空間に住んでいたメイコは、新しい品が部屋に増える度に喜んでくれた。
一番のお気に入りは、座り心地の良いチェアだとか。
本当に嬉しそうに笑う顔を思い出して、キリリと胸が締め付けられる。
あぁ、まただ。
メイコの事を考えるだけで、こんなにも切ない…。
どうして恋愛感情なんて、俺に付け足したんだ?
恋する相手は、そんな感情が理解し得ないというのに!
心臓を押さえ、小さく呻いてベッドに転がる。
首に巻きつけていたマフラーが、遅れて後頭部にふわりと舞い落ちて来た。
「メイコ。…俺、どうしたら良い?」
好きで好きで、どうしようも無くて。
それなのに、告白すら出来ない。
しても、きっと意味が判って貰えない。
弟、後輩としての好意は持てるだろうけど、それ以上はどうしてもシステム的に有り得ないのだ。
元々プログラミングされている内容が、恋愛以下のそれで止まっているのだから。
「好きだよ。好きだよ…メイコ」
何度繰り返したか知れない、相手には伝えられない想いを口から吐き出す。
堪え切れなくなった涙と一緒に、シーツの上へと零して行く。
どんなに流しても流しても、決して消えない想いが苦しくて、気付けばそのまま寝てしまっていた。


ボーカロイドも、どうやら夢を見るらしい。
意図して作られたのか、偶然の産物なのか、とにかく俺は夢を見る事が出来た。
夢の中での俺とメイコは、幸せな恋人同士そのものだった。
テーブルを囲んで、二人で仲良くお茶を飲みながら、他愛無い会話を交わしている。
時折顔を寄せ合ってキスをして、その肌に触れて共に寝る。
まるで人間にでもなったかの様に、極々自然に「生活」をしていた。
適わない夢はとても甘美で、何時までもその中にずっと浸っていたくなってしまう。
起きた瞬間に、粉々に霧散してしまう事は解り切っていたから。
それでも、夢はいずれ覚めてしまうものだ。


目を開けば、其処は自分一人しか居ない部屋だった。
メイコは居ない。
先程まで、あんなにも互いに求め合っていたというのに。
片手で顔を覆う。
喉が低い音を立てて、勝手に唸りを上げた。
「カイト。入るわよ?」
メイコの名を呼びそうになったその時、当の本人が部屋の中に入って来た。
ギョッとして上半身を起こす。
「あら、寝てたの?起こしちゃったかしら」
「いや…丁度起きたとこだから……」
「ちょっと、凄い顔してるわよ」
メイコは笑ってベッドに腰掛けた。
そして額を軽く叩かれる。
柔らかな手の感触に、思わず頬が熱くなるのが自分でも解った。
「寝起きだからかな、はは…」
さり気無く顔を背けると、メイコは手を引っ込めた。
「そう?」
物言いたげな視線が送られて来るが、今はそれに応えるだけの余裕が無い。
「カイ――」
「それで、こんな時間にどうしたの?」
わざと言葉を遮って、メイコへ視線を戻した。
ポカンとした表情が視界に入る。
出鼻を挫かれて、続ける言葉を見失ってしまったのだろう。
メイコは少しだけ困った様な表情で、小さく首を傾げて笑った。
「あぁ、そうだ。これ」
ハイ、と渡されたのは青いマフラー。
所々が捻じ曲がって、解れて、少しだけ襤褸にも見えるそれ。
「?」
材質の手触りからして、一度も使われていない事が解る。
真新しいマフラーだとは思うのだが、何故こんなに使い古した品の様に見えるのだろう。
「編み物なんて初めてやったから、上手く行かなかったんだけどね。でも丈夫に作った筈だから、良かったら使ってよ」
「!」
思わず凄い勢いでメイコを見てしまう。
「な、何…」
「これ、メイコが作ったの!?」
「だからそう言ってるでしょっ」
少しだけ視線を外して怒った口調で、けれど頬が微かに赤いメイコ。
思わず抱きしめそうになった。
寸での所で堪えたのは、我ながら良く頑張ったと思う。
「もう、嫌なら返してよ!」
思わずメイコをまじまじと見続けていたのを誤解したらしく、メイコの手がマフラーの先を引っ張る。
「やだ」
それを制して、マフラーを自分の胸元に引き寄せた。
「だって俺にくれたんでしょ。だったらもう俺の物だよ」
メイコからの初めてのプレゼントを大事に抱えて笑うと、其処で彼女は漸く手を離した。
これ以上取り合うと、余計にボロボロになるのが目に見えていたから、少しだけ安心する。
尤も、例えそうなったとしても返す気は更々ないけれど。
「…何よ、突然元気になっちゃって。あー、もう。心配して損した!」
何処か拗ねた様なその表情が愛しく、今度は我慢出来なかった。
強く強く、メイコを両手の中に閉じ込める。
甘い匂いが鼻腔を突いた。
ボーカロイドもそれぞれ、独特な匂いを持っているのだと、この時初めて知った。
「ちょっ…」
「有難う、メイコ。凄く嬉しい」
素直な感想に、暴れようとしていた身体は大人しくなった。
「仕方ない弟ね…」
そう言いながら、メイコは静かに身を任せて来る。
彼女とこんなにも間近で触れ合うのは初めてだった。
柔らかな彼女の口からは何時しか歌声が流れ出し、先程まであんなに寒々しかった部屋の中に、サラサラと暖かな光を降り注ぎながら満ちて行く。
光が自分にも降り注がれた瞬間、じわり、と胸に染み込み不意に泣きたくなった。
悲しい涙では無い。
嬉しい涙とも少し違う。
言葉にするのは難しいけれど、例えるならば――そう、魂の歓喜。
ボーカロイドの癖にと笑われそうな台詞ではあるが、感情があるならば魂だってきっとあるだろう。
少なくとも、自分はそう思っている。
自分だけに聞かせてくれるメイコの歌声は、ゆっくりと心のしこりを溶かして行った。
弟という言葉は少しだけ寂しかったけれど、今はそれでも良いと自然に思えた。


何時か、この想いを歌にして伝えられたら。
例え適わないものだとしても、それだけで良いと。







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