よぶもの2
「夢…?」
目が覚めると、ハルはベッドの中にいた。
何時も通りのパジャマを着て、何時も通りの朝を迎えていた。
窓の外からは、雀の鳴き声が引っ切り無しに聞こえてくる。
「変な夢…」
寝癖のついた髪の毛を手櫛で梳かし、ふわぁと欠伸を一つ。
ぼんやりとした頭で、夢の内容を思い返してみる。
瞬間、ハルの顔は火を噴いた。
「あああああ、ありえませんっ!ハルがツナさんではなく、あんなのとキスするだなんて!」
「あんなのって誰の事?」
頭を抱えて叫んだ瞬間、自分のものではない声が聞こえ、ハルは凍った。
この声は、何処かで聞いた事がある。
「………」
恐る恐る声のする方、即ち勉強机へと視線を向ける。
そして其処には、黒い翼を生やした少年がいた。
机の上へと腰を掛け、此方を不機嫌そうに見ている。
「ぎゃー!!」
ハルは思わず、手元にあった枕を少年目掛けてぶん投げていた。
本来なら拳が出ているところだが、距離があった為、身近にあった枕で代用した。
物凄い勢いで飛んで来た枕を、しかし彼は片手で受け止めてしまう。
「この僕に物を投げるとか、良い度胸してるね」
「ななななんでいるんですかー!」
ガバッと布団を被り、顔だけを外へと出して対峙する。
「何でって…呼び出したのは君の方だよ」
枕を床へと投げ出した少年は、偉そうに腕組みをしてハルを見据えた。
「はひ。呼び出したって…何の事ですか」
まるで睨まれてでもいるかの様な視線に、ハルは亀の様な格好で布団を被ったまま、じりじりとベッドの上を後ずさる。
「………」
「………」
二人は黙したまま、じっと睨み合った。
「まさかとは思うけど…。知らずにこの僕を、こんな所まで呼び出したんじゃないだろうね?」
「だから、呼び出したって何の事ですか。訳が解りません」
キッパリと答えたハルに、少年は深い深い溜息を吐いた。
「本当に、何だってこんなのが僕の主人なんだ…」
非常に嫌そうな口調で呟くと、彼は視線を再びハルへと戻す。
「昨日の事は覚えてるかい?」
「はひ」
「はひ、じゃなくて。覚えてるかどうか聞いてるんだけど」
「あ、えーっと…まぁ一応は」
ハルは視線を宙に彷徨わせながら、記憶をゆっくりと辿り始める。
「ツナさんとラブラブー!になる為の本を見つけて、それ読んで…、貴方が現れて……。それから……………」
ハルは口を噤んだ。
…嫌な事まで思い出してしまった。
今目の前に立つ少年が夢でないというのであれば、昨日気を失う寸前のアレも夢ではないという事になる。
再び顔を赤くしたハルを見遣り、今まで不機嫌だった少年は、いきなり意地の悪い笑みを浮かべて机から降り立つ。
そのまま、ベッドの上で芋虫状態になったハルの目の前まで近付いてくると、顔を間近まで寄せて囁く様な声音で言葉を紡いだ。
「それじゃ、契約を交わした事もちゃんと覚えてるんだね」
異様に甘く響いてきた声に、ハルは「ひー!」と叫ぶや否や、顔をシーツに突っ伏し隠した。
「契約って、あのキキキ…スの事ですか?」
耳まで真っ赤にしながら問いかける。
伏せているせいで相手の顔は見えないが、今の状況ではとても視線を交わす勇気はない。
「まさか。あれは力を使う報酬だよ。契約は、名を交し合う事」
「…名前…ですか?それに、力って…?」
「そう、名前。僕がこの部屋に出た時、お互い名乗りあったよね。あれで契約が成立した事になる。力はそのままの意味で、僕らの種族が使う力の事。この力を人間の為に発揮する度に、報酬を貰う事になるけど」
少年は右手を宙に翳すと、淡い光を指先に灯した。
緑色に光るそれは、ぼんやりと丸い円を描きながら渦を巻き、グルグルと回りながら指先を離れて行く。
緑の光はそのまま暫く宙に浮いていたが、1分も経たない内に不意にパチンと弾けて消えてしまった。
まるで手品でも見ているかの様な光景に、ハルはポカンと口を開けて今はもう何もない空間を見つめる。
「凄いです…」
「で、何で君は僕を呼び出したの」
説明は済んだとばかりに指先を振り、少年は宙に浮かぶと足を組んで見下ろして来る。
背中から生えている見事に黒い羽根は動いていないから、恐らく彼の言う所の力を使っているのだろう。
「何でと言われましても…。元々ハルは、貴方…えっと、ヒバリさんでしたっけ。ヒバリさんを呼び出すつもりなんか無かったんですよ」
雲雀と呼ばれた少年は、先を続ける様に無言で促す。
「ただ、ツナさんと両想いになりたくて、ラブマジックブックっていうのを探してたんです。お父さんが外国で適当に購入してきた本の中にあったって聞いたから、それを探してたんですけど。大好きな人と両想いになれる本だって聞いてたのに…」
「まぁ、間違いではないね。恋の願い事も請け負えるし」
「本当ですか!?」
少年こと雲雀の返事を聞いた途端、ハルは伏せていた顔を上げ、被っていた布団を放り出した。
先程まで赤くなっていたのが嘘の様に目を輝かせ、期待に満ちた眼差しで雲雀を見つめる。
「勿論、それが契約内容になるならね。報酬と引き換えに、君の願いを叶えてあげるよ」
「…あの」
「何」
報酬と聞いた途端、ハルの顔が僅かに曇る。
「ハルとツナさんが両想いになったら…、その、命とられたりするんでしょうか?」
「何それ…」
「だって悪魔さんって言ったら、願い事を叶える代わりに命を持っていくって有名じゃないですか」
「………」
雲雀は馬鹿にした様な顔つきでハルを見遣った。
様な、ではなく実際馬鹿にしているのだろう。
視線が非常に冷ややかな物へと変質している。
「さっきも言ったけど、報酬っていうのは力を使う度に貰い受けるものだよ。最終的に君の恋愛というものが叶うまで、延々とね」
「えーっと…、ちょっと待って下さい」
ハルは片手を上げて、雲雀の説明にストップをかける。
「両想いって、すぐなれるものじゃないんですか?こう、魔法とか呪術か何かでチョチョイっと」
「それは無理だね。そもそも、僕は君の好きなツナとかいう人物を知らない。それで一体どうやって魔術をかけろと?」
「う、それは正論です…」
「第一、人の心を操るのはそう簡単なものじゃない。本来あるはずのない感情を呼び覚ますものであれば、尚更にね」
「うぅ…」
「何か反論は?」
「……ありません……」
ガクリと項垂れるハルを見下ろしたまま、雲雀は満足そうに頷いた。
「それじゃ、早速そのツナという人物を探るとしようか。彼がどれだけ君の事を想っているのか次第で、僕の仕事の進み具合も解るし」
雲雀はひょいと床の上に降り立つと、項垂れたままのハルの顎を片手で捉える。
「はひ?」
指先の力に促されるままに顔を上げたハルは、そのまま目を見開いた。
絶叫したくても、唇を塞がれているから出来ない。
昨日も経験したものと同じ軽いキスではあるが、頭の芯が痺れる感覚が再びハルを襲い、ベッドについている両腕がガクガクと震えた。
「…ん、ぅ」
余りの快感に背筋までが痺れ始める。
短い様な長い様な、時間を忘れさせる口付けが終わっても、ハルはとろんとした表情で目を閉じていた。
「ご馳走様」
何処か楽し気な口調で、雲雀がそう言うまでは。
「!!」
音がしそうな勢いでハルは目を見開くと、思わず口元を押さえて相手を見上げる。
そして絶句する。
「今度は気を失わないでよね。そろそろ学校に行く時間なんだから」
そう言った雲雀は、既に黒い羽根を生やしてはいなかった。
それどころか、良く見知った学生服まで着ている。
「ヒバリさん、それは…」
二度目のキスの事もあり、ハルの頭は完全に混乱を極めていた。
何が何だかもう解らない。
「へぇ、これが並中の制服か。気に入ったよ」
学ランを肩に羽織らせた格好で、部屋に設置してあった等身大ミラーに映る己の姿を確認し、雲雀は不敵な笑みを浮かべている。
「もしかして、学校行くつもりですか…?」
「もしかしなくてもそのつもりだけど。まずは相手を知らないと何も出来ないからね。学生なら、生徒のフリをして観察するのが一番だから。…何か問題でもあるのかい?」
「大有りだと思いますけど。転入手続きとか色々…。って、そうじゃなくて!そもそも、ヒバリさん人間じゃないから戸籍とかないでしょう?」
「もう済んでるよ。昨日、君から報酬を貰った直後に、この世界に人間としての自分の情報を植え付けておいた。後、君の着替えもね」
「いっ……!!」
ハルは反射的にクッションを掴んだ。
それを雲雀に投げつけようと構えたまま、しかし辛うじて堪えている状態で身体をブルブルと震わせている。
「スケベ!変態!!レディーの服に手をかけるなんて最低です!」
「煩い女子だな…。別に君の身体に興味はないから安心しなよ」
「そういう問題じゃありません!!」
「黙らないと、もう一度口を塞ぐよ」
「はひーっ」
片手にしていたクッションを両手で抱え持ち、今度は雲雀へのガードに使う。
全身で警戒を露にしているハルに、クスリと笑うと雲雀は時計を示した。
「後5分」
「!」
攣られて時計を見れば、既に時計は7時を過ぎている。
今すぐにでも支度を始めないと、遅刻は決定的だ。
「でで出て行って下さいー!」
慌ててベッドから飛び降り、クローゼットに向かいながらハルは叫ぶ。
雲雀は肩を竦めて大人しく扉を開けた。
「あ、ヒバリさん」
そのまま廊下へと出て行こうとする後姿を、ハルは制服を取り出しながら呼び止める。
「度々貰うって言ってた報酬って、やっぱりキス…なんですか?」
「正確には違うね。僕達が貰っているのは、君達のエネルギーの一部。生命の欠片とでも言えば良いのかな。それらを取り込む度、僕達は力が増して強くなれる。だからこそ、人間と契約を結んでは代わりに願いを叶えている」
「だったら何もあんな方法じゃなくても良いんじゃないですか?ヒバリさんの力を使えば…」
「面倒くさいから嫌だね。ちなみに後3分だよ」
雲雀はアッサリと言い放つと、ハルが怒り出す前に早々に部屋を出た。
そのまま、一階に居るであろうハルの父親の元へと向かう。
これから先事を有利に進める為にも、彼に術をかけておいた方が良い。
そう判断すると、雲雀は素早く階段を下りて行った。
一方、部屋に残されたハルはというと、てきぱきと着替えながら落ち込んでいた。
まさかこんな事になるなんて、予想だにしなかった展開だ。
本当ならば今頃は、両想いの呪文でツナとラブラブカップルになっているはずだったのに…。
「どうしてこんな事に…」
実際は得体の知れない悪魔にファーストキスを奪われ、セカンドキスまで奪われ、あろうことかこれから先も唇を捧げ続けねばならないという。
愛しい人にだけ許すはずのものが、こうもアッサリと奪われてしまうというショックは、今のハルにとって相当に大きい。
「あぁぁ、どうしましょうー」
ハルは部屋で一人、頭を抱えるしかなかった。