夢見る来訪者2







ハルが攫われた。
その報告は、一同を唖然とさせるのに充分な代物だった。
「オイ、待て…。何であいつが浚われてんだよ?ミルフィオーレの連中、こっちに来た人間を正確に把握してる訳じゃねーんだろ!?」
初めはポカンとしていた獄寺は、しかし喋っている最中に段々と激昂し始め、終いには片手を振り上げるまでに至った。
それが机に叩き付けられる寸前で何とか制止を掛けた山本は、普段よりも鋭くなった眼光を周囲へと走らせる。
「人質って奴か…?」
チラリと向けられた山本の視線を受け、ジャンニーニは気まずそうに目を逸らした。
「は、いえ…恐らくは、違う…かと」
「違うって、それじゃ一体何で――」
顔を真っ青にした綱吉にまで詰め寄られると、ふっくらとした巨体を二、三歩後ずらせ、彼は助けを求める様に一人の赤ん坊へ視線を移す。
「…リボーン?」
彼が理由を知っているというのだろうか。
ジャンニーニが助けを求めた相手に、綱吉は怪訝そうな表情でその名を呼ぶ。
「流石はミルフィオーレだな。もう情報を掴んでいるのか。いや、或いは疾うの昔から知っていて、この時期が来るのを待っていたか…そっちの方が、どうやら有力そうだな」
「おい、リボーン。どういう事だよ!?」
明らかに何らかを掴んでいるらしい赤ん坊の様子に、綱吉の顔色がサッと変わる。
獄寺の様に何かに当たりはしないものの、握り締められた拳はブルブルと震えており、指先が白く染まって行く。
「ツナ、よせ」
獄寺を押さえたまま、山本が小さく注意を飛ばす。
綱吉に限って暴れ出す事はないだろうが、冷静さを欠いたままでは何も得る事は出来ない。
平常心とまではいかなくとも、もう少し落ち着いて貰わねば。
そんな山本の願いが通じたのか、綱吉は一瞬苦々しい表情を浮かべたものの、深い深い息を吐いて目を閉じる。
時間にして2〜3秒程度だったか、再び彼が瞼を上げた時には握られた拳は開かれており、その目にも理性が戻っていた。
これ程までに早く自分の感情を抑えられる様になったのも、恐らくは修行の成果の一つだろう。
「こうなったら仕方ねぇ。…ジャンニーニ、あの映像はあるか?」
弟子の成長に目を細めたリボーンは、しかし笑みを浮かべる事はせずに、首を背後へと巡らせる。
「は、御座います。今此処で映しますか?それとも、映写室で…」
「此処で良い。やってくれ」
「解りました。では、スクリーンを出しますので、少々お待ちを」
慌しく何やら準備を始めたジャンニーニを全員が見守る中、リボーンだけが帽子を目深に被り直して視線を床へと落としていた。
本当なら、一生黙っておこうと思っていた事だ。
余計な争いの火種にしかならず、またハル本人にとっては人生がそっくり入れ替わりかねない、これはそんな事実なのだから。
「準備出来ました」
ジャンニーニの声に視線を上げれば、会議室の正面に真っ白なシートが垂れ下がり、後方では古風な映写機が置かれているのが見て取れた。
リボーンが小さく頷くと、室内の照明が一斉にその電源を落として辺りを暗闇へと変える。
それに合わせて映写機がカラカラと、小さな回転音をさせながらスクリーンに一人の人物を映し出した。
後頭部でその髪の毛を一つに括って垂らした、スラッとした背の高いスーツ姿の女性。
その顔には不思議な紋様が描かれており、毅然とした姿勢で何かを話している。
撮影した機器に音声機能は付いていなかったのか、残念ながら声までは聞こえない。
「誰だ、これ?」
「ハル…じゃ、ないよな。良く似てるけど」
山本と獄寺は、しきりに首を捻ってスクリーンを見ている。
けれど、綱吉だけは目を見開いて凝視していた。
「これは…この人、は…」

見た事がある。

綱吉が口には出さなかった言葉を、けれどリボーンだけは正確に聞き取っていた。
「彼女の名前は、ダニエラ。ボンゴレボス初の女性で、8代目に当たります」
ジャンニーニの説明に合わせる様にして、スクリーンの中の女性が様々な角度で次々と映し出される。
女性にしては鋭い眼差しで何かを見つめているその横顔に、綱吉は記憶に残っていた姿を思い出して息を呑む。
そうだ、あの人だ。
雲雀との闘いの最中、あの暗闇の中で見掛けた、ボンゴレ歴代ボスの一人。
ボンゴレ8世。
「何分昔の物ですので、映像資料はこれだけしか残ってませんでした」
全てを回し終え、映写機を停止させたジャンニーニが部屋の明かりを点ける。
「いや、これだけありゃ充分だ」
片手を振ってジャンニーニを簡単に労うリボーンに、再び綱吉達の視線が集まった。
「リボーンさん。さっきの…その、8代目とハルと、一体何の関係が…」
困惑気味の獄寺の声に、綱吉の表情が何かに気付いた様に色を変える。
「まさか」
「あぁ。…ツナにしては、なかなか勘が良くなったじゃねぇか」
リボーンは口元を軽く歪め、人差し指で帽子の先端を弾いた。
微かに翳ったその目が、その場にいる一同へと向けられる。
「ハルは、ダニエラ…ボンゴレ8世の血族だ」




目を開くと、少女の顔が視界一杯を埋め尽くしていた。
「………はひ、生きてました」
ホッと胸を撫で下ろしてはヒョイと身を離す彼女に、スパナはぼんやりとした視線を向けて身を起こす。
固く冷たい床の上で寝るのは日常茶飯事だったが、妙に身体が強張っている気がする。
誰かと一緒の部屋で寝るのは、幼い頃以来だったせいだろうか。
特別意識した訳ではないが、もしかしたら柄にも無く緊張してしまったのかもしれない。
ぼやけた頭で、コキコキと肩を解しながら欠伸を漏らすと、ポケットから飴を1本取り出して口に銜えた。
口に馴染んだ広がる甘さに、頭が鮮明さを取り戻して回転を始める。
「ウチ、そんなに死体みたいに転がってた?」
今更ながらに返って来た言葉に、ハルがぱちくりと目を瞬かせる。
「あ、はい。凄く静かな寝息だったので、もしかしたら死んでるんじゃないかと、少し心配してしまいました」
「ふぅん」
無邪気なその笑顔を横目で眺めると、スパナは白いプレートに片手を置き、廊下に面した扉を開いた。
見渡すまでもなく、廊下に出て直ぐの所に置かれたワゴンを見つけると、片手でそれを引っ張り部屋に戻る。
瞬間、グルルルと何かの唸り声にも似た音が部屋中に響き渡った。
「はひっ」
離れていても漂ってくる美味しそうな料理の匂いに、ハルは両手で腹部を押さえて顔を赤くしている。
「食べなよ。多分、今ならまだ冷めてないと思うし」
スパナの言葉にますます顔を赤く染め、けれどハルの視線はワゴンの上に並んでいる料理に釘付けにされていた。
「で、でも…それスパナさんの朝食なんじゃ…」
「ウチはこれで充分。元々、朝は殆ど食べない方だから、気にしなくて良いよ」
口に銜えた飴を示すと、スパナは再び床に座り込んでノートパソコンを膝上に抱えた。
ワゴンにはもう目もくれない相手に、ハルは困った様にその背中を見ていたが、空腹の誘惑には勝てなかったらしく、ワゴンにそろりと近付いて料理を覗き込んだ。
見た目にもアッサリとしたスープとスライスされたパン、こんがり焼けたベーコンエッグ、新鮮味溢れる野菜サラダといった、ホテルの朝食メニューに出てきそうな品々に、喉がゴクリと自然に鳴る。
「そ、それじゃ…頂きます!」
パン、と合掌する少女の姿に、スパナはキーボードを忙しなく叩きながら視線を向ける。
「………ウチ、名前教えたっけ?」
「はふひ」
もこもこと野菜を頬張るハルの顔が妙に可笑しく、一瞬、スパナを笑いの衝動が襲った。
辛うじて堪えたものの、一体どれだけ口に詰め込んだのか、飲み込むのに苦労しているその様子が、小波となって連続的に攻撃を仕掛けて来る。
「…食べてからで良いから」
微かに震えた声は、少女には気付かれなかっただろうか。
誤魔化しも兼ねて良く噛む様に指示しようとした矢先、けれど少女はフルーツミックスジュースの助けを借りて野菜を胃の中へと流し込んでしまう。
「名前、間違ってましたか?」
「ううん、合ってる。ただ、名乗った覚えは無かったから…」
トントンと自分の胸を叩いているハルに、スパナは口元を押さえて再び背を向けた。
こんなにも笑いの発作が起きるとは、我ながら相当に珍しい現象だと思う。
妙に気恥ずかしいという感情が何とか笑いを押さえ込んでいるが、このまま少女を見ていると何時かは決壊してしまいそうだ。
敢えて興味の無い素振りでキーボードを打ち続けていると、背後からハルの声が届く。
「えっと、昨夜あの人が呼びかけてたじゃないですか。白い服を着て、眼鏡を掛けた……ホラあの、ハルと同じ日本人の人で」
「入江正一の事?」
「あ、そうです。彼がスパナさんの事、そう呼んでたので」
「あぁ…そういえば、そうだったっけ」
ホワイトスペルの幹部と寝る前に交わした遣り取りを思い出し、スパナは指先を止めてふと宙を見つめた。
報告。
その二文字が、途端に指先を凍らせる。
「………」
背後からはカチャカチャと食器の鳴る音が聞こえ、ハルが再び食事に夢中になっている事が振り返らずとも解った。

そうだ。
彼女はあの入江正一が直に捜す程の存在だったのだ。
それも、彼があんなにも余裕を失くす程に。
つまりはそれだけ、彼女が重要人物なのだという事。

「はひー。このスープ、ダシは何を使っているのでしょう?凄く美味しいです」
呑気な声を発するこの少女が、それ程までに大層な人物にも思えないが、人は見かけによらないものである。
そもそも自分は追われている身なのだと、果たして彼女はきちんと記憶しているのだろうか。
昨日までの怯えが全くの嘘の様に、ハルは呑気にスプーンを見つめている。
台詞に反応して思わず振り返ってしまった自分に後悔し、スパナはノートパソコンを静かに閉じた。
「連絡…しないと」
ボソリと呟いた声は、完全に乗り気とは無縁の響きを伴っていた。
しかし、ミルフィオーレの一員である以上、報告の義務は果たさねばならない。
ブラックスペルとホワイトスペルは対立の多い関係ではあるが、仮にも相手は自分より階級が上だ。
直ぐにでも彼に連絡を取り、ハルを引き渡さねばならない筈なのだが…。
「スパナさんも、食べませんか?このベーコン、凄くジューシーなんですよ!目玉焼きも、こんなにプリプリしてて…はひー。ハルはハッピーです」
誘拐されておいて、ハッピーも何もないだろう。
余りの能天気さに、スパナは小さく肩を落とした。
「あんた…何でそんなにのほほんとしてられるんだ?」
「?」
フォークをベーコンに突き刺したまま、ハルが此方をキョトンと見つめる。
「あ、食べますか?」
「ううん、いらない。…そうじゃなくて。ハルは誘拐されたんだろ?ウチが入江正一にあんたを差し出したらとか、そういうのは考えないの?」
ベーコンごと向けられたフォークに頭を振ると、彼女は数秒間何やら考える表情になり、その後に出たのであろう結論に笑顔になる。
「そんな心配はしてませんよ。だって、もし突き出すのであれば、昨日の内にされてるでしょうし」
「…気が変わったとか、そういうパターンもあるよ?」
「うーん、それはそうなのですが…」
上手く説明出来ないと、ハルはフォークを口に運んで眉を八の字に下げる。
「どうしてかは解らないんですけど、スパナさんはそういう事をしそうにないと、ハルの勘が告げているのです!」
ビシッと決め台詞宜しく発された言葉に、スパナは妙な脱力感を覚えて軽く息を吐いた。

入江正一が捜しているのは、本当にこの少女で合っているのだろうか。
実は人違い、若しくは勘違いなのでは…?

能天気なんて生易しい言葉では片付けられないこの存在に、スパナは口に銜えっ放しだった棒を放り出す。
何だか悩むのが馬鹿馬鹿しくなって来た。
スパナは立ち上がり、ベッドに座って食事をしているハルの横へと無造作に腰を下ろした。
「はひ?」
「少しだけ、貰う」
驚くハルの手からフォークを受け取り、半分にされていた目玉焼きを更に2つに分け、その片割れを口へと運ぶ。
一人で食事をしていた時、今まで何の味気も無かった筈のそれが妙に美味しく感じられて、スパナはただ無言で咀嚼を繰り返していた。







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