揺るぐもの










漫画や小説なんかでは良く見かける光景が、ハルを主役に展開されていた。
目の前には見知らぬ少年。
制服から判断するに、綱吉達の通う並盛中の学生だ。
いや寧ろ、今まさに並盛中の敷地内にいるのだから、それ以外である可能性は限りなく低い。
その限りなく低い可能性の一人であるハルと、校舎内へ入って行こうとする彼女を呼び止めた少年は、人気の無い校舎裏にいた。
「君がダメツナを追っかけてるのは知ってるんだけどさ…」
少年はそう前置きして、率直にハルに好きだと告げた。
彼の真剣なその言葉に「ツナさんをそんな風に呼ばないで下さい!」という言葉は、口から出て来てくれなかった。
「はひ…」
「前々から気になってたんだ。君、よくウチの学校に来てるし…」
何処となく照れくさそうな表情で、少年は頭を掻いて笑う。
一方のハルはというと、生まれて初めてされた告白に戸惑っていた。
自分には既に付き合っている人がいて、断らなければいけない事は解っている。
しかし、どう断れば良いのだろうか。
出来れば、成るべく相手を傷つけたくはない。
相手につられてハルも真剣な表情になり、上手い断り方はないかと探している最中、少年の背後にあった視線と目がかち合った。
とてつもなく、冷ややかなそれと。
「ひっ」
見知った顔に気付き、思わずハルの口から小さな悲鳴が上がる。
「?」
完全に固まってしまったハルに、少年は首を傾げつつも背後を振り返る。
其処には、壁に背を預けたまま腕組みをして、此方を無言で眺めている一人の姿があった。
「――ひば…!?」
その姿を認めた瞬間、少年の声が裏返った。
並盛中学全生徒、誰一人として知らない者はないと言われるぐらいの、超有名人が少年の視界に映っている。
風紀委員長であり、この辺り一帯の不良達を従えている並盛中最強の実力者、雲雀恭弥が。
姿勢を正して此方を凝視する少年に、雲雀は小さく笑みを作った。
「何してるのかな?」
「いえ、そのっ…。俺は、あの……」
途端にしどろもどろになる少年を一瞥し、雲雀は僅かに眉を上げる。
「君は耳が悪いのかい?それとも答えたくないのかな」
「すすすすみません!俺…っ」
「もう良いから行きなよ。どうせ、僕が用事あるのはそっちの子だしね」
「え、三浦さんに…?」
少年は不安そうな表情で、雲雀とハルを交互に見遣る。
「何か問題でも?」
「いえ、ありません!それじゃ失礼します!!」
ハルをこの場に残して行くという躊躇は、雲雀の言葉によってあっさり霧散してしまったらしい。
勢い良く頭を下げると、彼は脱兎の如くその場から居なくなってしまった。
「さて…と」
先程からずっと固まったままだったハルは、雲雀が壁から身を起こした段階で漸く我に返った。
「はひ、返事する前に行っちゃいました…」
「………」
少年が去った方向を向きポツリと呟くハルに、雲雀の視線が更に冷ややかなものへと変わる。
氷点下に近い視線の温度に流石のハルも気付き、慌てて顔の向きを戻した。
「約束した時間は10分前だったよね」
「はひ、すみません…」
雲雀の口調は何時もと同じ通りだったが、微妙に発するオーラが怒っている様に感じられる。
「それで?」
「?」
「どうして返事をしなかったの」
「ヒバリさ…っ、何時から見てたんですか?」
「君が告白された辺りから」
「そ、そんなに前から…」
「君達は全く気付いていなかったみたいだけどね」
「う…」
ハルは気まずそうな表情になると、視線を雲雀から僅かに逸らした。
しかし雲雀はじっと此方を見てくる。
返事をしないでいると、雲雀の視線がどんどん凍って行くので、仕方なくハルは口を開いた。
「どうやって断ろうか、ちょっと考えてて…」
「考える?」
「はひ。だってハル、初めて告白されたんですよ?出来れば、あの人を傷つけたくなくて」
「君、馬鹿じゃないの」
「はひ!?」
雲雀はハルの言葉をザクリと切り捨てる。
「酷いです、何処が馬鹿なんですか!」
「そういう考えが」
「な…」
「どうやって言葉を尽くそうとしても、断るのに変わりないのなら、どのみち彼は傷つくよ」
阿呆らしそうに、面倒くさそうに、雲雀は言葉を紡いで行く。
何だって僕がこんな事を言わなければならないんだ、とでも言いたげに。
「それは、でも…」
「彼を傷つけたくないのであれば方法は一つ、君が彼の好意を受け入れるだけだ」
「!」
ハルは目を見開いて雲雀を見つめる。
今現在付き合っている、雲雀本人にそんな言葉を言われるとは思ってもみなかった。
けれど、雲雀の言っている事は正論だ。
少年と付き合いでもしない限り、全く傷つけずに済む方法はない。
「中途半端な優しさは、逆に相手を傷つける場合もあるしね」
「はひ…」
ハルは項垂れ、地面を見つめる。
雲雀にこんな事を言わせてしまった自分が恥ずかしい。
本当ならば、即座に断りの返事を入れるべきだったのだ。
ハルが好きなのは、この目の前にいる雲雀以外にいないのだから。
「すみません、すぐに断ってきます」
ハルが顔を上げると、思ったより近くに雲雀は立っていた。
見下ろして来る視線は、既に氷点下から通常の温度へと戻っている。
「一つ聞きたいんだけど」
「…?何でしょう?」
「告白された事ない、と言っていたけど…僕が君と付き合った時に言った言葉は、一体何だったのかな?」
「え、だって…あれは…」
「………」

『そんなに僕の事が好きなら、付き合ってみるかい?』

当時のハルは、雲雀を一方的に追いかけていた。
綱吉にも毎日の様に会いに行ってはいたけれど、それはあくまで友人としてだ。
挨拶だけ交わし、ハルは何時も応接室へと向かっていた。
雲雀は殆ど返事をしてくれなかったが、ハルはそれでも通い続けた。
それが三ヶ月も続いた頃、突然雲雀が書類から顔を上げて、そう言ったのだ。
あの日から、ハルは雲雀と付き合い始めたのだが――。


「あれ、告白だったんですか…?」
「それ以外に何に聞こえるの」
「…気付きませんでした…」
ずーんと落ち込むハルに、雲雀の溜息が降りかかる。
「その様子じゃ、どうして僕が毎日応接室にいたのかも解ってないんだろうね」
「はひ…?」
言葉の意味が飲み込めず、ハルは首を傾げる。
その様子に、雲雀はふいっと顔を逸らした。
「良い、もう考えないで」
言葉にしても理解して貰えない事に、雲雀は諦めの表情を浮かべる。
「返事、してくるんでしょ。早く行かないと彼、見失うんじゃない?」
「あ、そうでした!」
顎で少年が去った方向を示すと、ハルは慌てて其方へと視線を向けた。
そのまま走り出そうとして、しかし立ち止まると雲雀を振り返る。
「…えと、雲雀さんもう少し待っててくれますか?」
「嫌だね」
「はひっ!」
「後5分もすれば帰るよ」
「そ、それじゃ5分で戻ってきます!」
言うなり、ハルはダッシュで少年の後を追いかけて行った。
その後姿を見送り、雲雀は時計へと視線を落とす。
時計の針は30分ジャストを示している。
ふ、と息を吐くと、雲雀は再び校舎の壁に背を預けた。
行った時と同様、ダッシュで戻って来るであろう、鈍感娘を待つ為に。







戻る