贅沢な日常よ永遠に
部屋に帰ると、キング・モスカが腕を振り回していた。
「………」
スパナはそれを黙して見つめ、次いで溜息を吐いた。
腕を何度も360度回転させているモスカへと近付き、外装に取り付けている手動操作パネルを簡単に押して行く。
スパナがパネルから指を離すと、奇妙な音を立てて暴れていたモスカは突如として動きを止め、その胸部をガバッと開き、操縦席に座っていた人物を床へと放り出した。
「は、はひー…」
幸いにも床にはカーペットが敷いて有り、彼女自身が持ち込んだ幾つものクッションが転がっていた為、床に額を打ち付けるという結果にはならずに済んだ。
見事にクッションの上へとダイブさせられた少女は、意識こそ失っていないもののこれまた見事に目を回しており、自分の身に何が起きているのか理解していない様に見える。
盛大に捲れたスカートを直してやりながら、スパナは少女の傍に腰を下ろした。
「ハル」
ボサボサに乱れている彼女の髪を撫で、出来るだけ静かに話しかける。
「…う、スパナ…さんですか?」
「うん」
覚束無い視線を彷徨わせ、ハルがのろりと顔を上げた。
ユラユラと宙を彷徨っていた視線がスパナの顔に当てられるまで、凡そ30秒。
どうやらハルは相当長い間、モスカの中に居た様だ。
「どうやってモスカの中に入った?」
「…え、と。……前、にスパナさんが入る時の操作方法見て…それで」
未だフラついている頭を支え、ハルはゆっくりと上半身を起こす。
「前って確か、一回しか見てないよね」
「はひ。…ぅ、まだグラグラしてます」
何度か瞬きを繰り返し、徐々に回復の兆しを見せる目元を押さえ、ハルが小さく呻く。
当然だ。
自分の様に慣れている者であればともかく、初めて搭乗した人間があの機内に耐えられる筈が無い。
閉塞感や圧迫感も然る事ながら、複数設置している、様々な情報を映し出すモニターを一度に見てしまえば、通常の目と思考では10秒と保たないだろう。
機械マニアの人間だからこそ、好んで居られる様な場所なのだから。
「どのぐらい中に居た?」
大分落ち着いたらしいハルの身体を優しく反転させ、クッションの上に仰向けにして横たわらせる。
その目元に手袋を外した片手を置き、目を休ませる様にと告げておく。
「30分…ぐらいでしょうか。あ、もっと長かったかな…時計が無いので、良く解りません」
「そんなに居たのか…」
感心した口調で呟くと、スパナはキング・モスカへと視線を移した。
自分の開発した、最新兵器。
今までに造ったどの機体よりも、頑丈且つ精巧に仕上げた一品だ。
それだけに、その操作方法も尋常では無く難しい。
恐らく、自分以外に動かせる者は居ないだろう。
それが例え、腕を振り回すという単純な動きであったとしても。
…そう、思っていたのだが。
「軽い自信喪失だな」
苦笑いが、自然と口に浮かぶ。
自分の腕がまだまだ未熟なのか、それともハルに備わっている能力が想像以上に凄いのか。
どちらにせよ、更なる技術向上が必要な事は確かだった。
「スパナさん、怒ってます…?」
恐る恐る、ハルの口が開く。
「いや、全然…。怒るより、感心してるよ。ハルの頑丈さに」
「はひ!それはどういう……っ」
スパナは身を屈めると、小さく上がった悲鳴を口ごと塞いだ。
モゴモゴと口の中で暴れていた舌が、甘噛みにのキスに堪え切れず大人しくなって行く。
「怒ってはいないけど、仕返しはさせて貰おうかな」
「し、仕返し…ですか?」
「うん」
笑いながら手と顔を離すと、ハルのやや引き攣った表情が目に入った。
「な、何の仕返しでしょう…」
「簡単に言えば、キング・モスカの恨みって所?」
チラリと向けた視線の先には、ショートし掛けたキング・モスカの右腕。
スパナの目を追い掛け、ハルは口を開けたまま固まった。
それを据え膳と受け取り、スパナはハルに再び顔を寄せて口付けた。
「頂きます」
そんな一言を添えて。