今日をかぎりの命ともがな6








集まった面々の表情は依然として暗く、誰もが重く口を閉ざしたままだった。
綱吉を始めとする誰もが視線をテーブルに落としたままで、直ぐ傍にある茶器に手を付ける者は一人として居ない。
「山本、スクアーロから新しい情報は…?」
沈黙を破る様にして綱吉が顔を上げると、向かいの席に腰を下ろしていた山本は無言で首を左右に振る。
「そっか…」
「あいつも忙しい中、時間割いてくれてんだけどな。でも、どうしても掴めないらしい。ベルフェゴールの方が一枚上手なのか、それとも他に協力者がいるのか、其処まではちっと解んねーけど」
握り締めた拳を膝上に置いたまま、山本はつい先程受けた電話の内容を思い返していた。
何故スクアーロがこうも自分達に協力してくれるのかは知らないが、此方としては非常に有難い情報提供者だ。
仲間が起こした不祥事の尻拭いか、それともボンゴレ10代目に対する謀反の心は無いと証明する為か。
その何れにせよ、彼が居なければ未だ犯人すら解らなかっただろう。
尤も、あちらから接触を持って来たのは今回の件が初めてだっただけに、最初は酷く驚いたものだが。
「ベルフェゴールのヤローが犯人なのは、間違いねーのかよ?」
そんな山本の思考を遮る様に、獄寺が口を挟む。
「あぁ、十中八九あいつだ。というより、他に考えられない」
「ボンゴレに敵対してるファミリーの奴らかもしれねーだろ?どうして他に居ないって言えるんだよ」
「ハルが誘拐された頃と、時を同じくしてベルフェゴールが消えた。それも突然にな。これは今までに無かった事だし、ベルフェゴールがハルの様に簡単に攫われるとも考えられねぇ。あいつの事だ、必ず目撃者なり何なりの証拠を残す筈だ。例え殺されたとしても、黙ってやられる様な奴じゃねー事は、リングを賭けた試合をしたお前が一番解ってる事だろ?」
「…まぁな…」
「となれば、自分で行方を眩ませたと考えるのが一番近い」
「あぁ…そうだ、な」
口ではそう言いながらも、今一納得出来ていない表情の獄寺に、山本は目を細めて相手を眺め遣る。
普段の彼であれば、自分が少しでも疑問に思った事は必ず問い詰めて来る筈だ。
今回それをしないのは、対象が彼にとって特別な存在のハルだからだろうか。
「更に言うなら、現段階でボンゴレファミリーに刃向かえる組織は無い。これから先は頭角を現す所もあるかもしれねーが、少なくとも今現在では居ないんだ。だからオレはこの結論を出している。恐らくはスクアーロもな」
しつこく続ける山本を睨み付け、獄寺は吐き捨てる様に彼から視線を逸らす。
「解ったって言ってんだろ。てめー、中学の頃から可愛気無かったけど、更に無くなったんじゃねーのか?」
自分より大分遅れてボンゴレファミリーに属した山本は、何時の間にか獄寺よりも余程マフィアという世界へと深く入り込んで居た。
否、マフィアというよりは寧ろ剣の世界か。
二十歳には達していない若さながらも、彼は既にスクアーロに続く剣の使い手として名を馳せ始めている。
それも非常に気に食わなかったが、年を重ねる毎に冷静さも併せ持って行った事が更に腹立たしかった。
直ぐに熱くなってしまう自分とは、まるで正反対だ。
綱吉の右腕の座を譲る気は毛頭無いが、それでもやはり男として、人間として先を越された様で悔しくはある。
とはいえ今は、何も山本への反発だけで反論を述べている訳では無い。
「何時までも子供のままで居られねーんだから仕方ないだろ。で、お前はさっきから何をそんなに気に掛けてるんだ?ハルの身を案じてるだけじゃねーだろ、その顔は」
「ちげーよ。気に掛けてる訳じゃねぇ…ただ、思ったんだ」
「何を」
「あいつがハルを誘拐したのは納得した。この際、理由なんて考えても、オレらに解るとも思えねぇ。あんな狂人の考える事なんて、オレらに理解出来る筈もねーんだからな。…だけどな、これだけは聞きたい。ベルフェゴールは一体、何時何処でハルと会ったんだ?」
険しい顔を崩さず、獄寺は山本のみならずその場に集まった一同へと顔を向けた。
先程までとは違う意味で、全員が黙り込む。
「それは…街中で、とか」
漸く口を開いたのはやはり山本で、綱吉達は口を開かない。
ただ黙って二人の会話を聞いているだけだ。
恐らくは、その方が話が進むだろうと察した上での事だろう。
「今までイタリアに居た連中がか?当分の間、日本上陸は禁止されてた筈だろ。てめーもつい最近まで、スクアーロとは全く連絡取れて無かったって言ってたじゃねーか」
「そりゃそうだけど…リング戦の前なら可能だろ。あいつら、普通に出歩いてたんだし」
「それじゃ、その時にハルと会って一目惚れでもして、イタリアに戻っても忘れられず、結局仲間連中を裏切ってまで誘拐しに来たってか?」
「……なら、お前はどう考えるんだ」
如何にも馬鹿にした口調に、流石の山本も片眉を上げて聞き返す。
もしも色恋事が原因であれば、恋愛経験の少ない自分では大した答えも引き出せない。
獄寺もそっち方面の経験が豊富だとは思えないが、昔から一人の少女を想っている身の上では、彼の方に分がある。
「雲雀がな…」
「雲雀?」
「あぁ。ベルフェゴールの事を話した時、凄い殺気撒き散らしてただろ。あれがどーも気になってよ…」
険しいながらも微妙に揺らいだ視線に、山本は獄寺のそれを辿って右前方へと目を向けた。
其処は空席となっており、本来であれば座っている筈の人物は今この場には居ない。
ハルを探して奔走している彼は、山本の呼び掛けを時間の無駄だと切り捨てて去ってしまっていた。
駄目元での呼び掛けは見事失敗に終わり、しかし戻って来る限り無く低い可能性を考慮して、彼用の席だけは取っておいている。
「まるで、ベルフェゴールがハルの事を知っていると、雲雀も気付いていたみたいじゃなかったか?」
「…言われてみれば、確かに…。でも、誰の名前を出しても、雲雀はあんな反応したと思うぜ」
「反応は同じだろーな。だけど、あの目はやっぱ違うと、オレは思う。…勘だけどよ」
ボソリと呟いた最後の台詞は余りに小さく、一番近い席に座っていた山本にしか聞こえなかっただろう。
「とは言っても、ハルとベルフェゴールが何時会ったかなんて事が解ったからって、ハルの居場所が判明するとも思えねーけどな。…すんません、10代目。余計な時間使ってしまいました」
それまで雲雀の席を見詰めていた獄寺の顔が急に向けられ、綱吉は軽く瞬きを二、三度繰り返して鷹揚に頷いた。
「いや、大丈夫。今はどんな小さな事でも見つけ出さないと、何の手掛かりも掴めてない状態だから…」
漸くティーカップへと手を伸ばし、綱吉は苦笑を浮かべて首を緩く振って溜息を零す。
ボンゴレ10代目を継いでまだ数ヶ月。
それでもファミリーのトップには代わり無い。
そんな自分が、友人の一人すらも守れないなんて、本当にボスとしての責務が果たせるのだろうか。
こんな人間に、ファミリーを守るなんて大役が務まるのだろうか。
今の雲雀程ではないにせよ、深い苦悩が綱吉の面に影を落とす。
そんな彼の表情を見て取り、獄寺は悲痛な表情を浮かべて視線を逸らした。
もう30分も前に注がれた紅茶は、既に冷め切ってしまっている。
味の格段に落ちてしまった液体を、綱吉は一口だけ飲み下してカップを受け皿へと戻した。
「ベルフェゴールと言えばな…」
ポツリと言葉を続けたのは、この部屋に入って一度も口を開かなかったディーノだ。
一同の視線が、一斉に彼へと集中する。
「マーモンという赤ん坊が居ただろ。リボーンと同じ、例の呪いを受けたアルコバレーノの」
「はい。確か骸と同じく幻覚等を扱う術士でしたよね」
綱吉の返答に小さく頷き、ディーノは真っ直ぐに彼を見据えた。
「そうだ。確かそいつと仲が…いや、仲が良いというのもちょっと御幣があるかもしれねーな。それでも、一番良く話してた間柄だった筈だぜ」
「マーモンと?そういえば、良く仕事を一緒にさせられていると、9代目も言ってました…」
「あぁ。あいつらは何だかんだで相性は良いからな。ベルフェゴールの暴走も、マーモンの幻覚ならある程度止める事も出来るし」
「それじゃ、もしかしたら…」

ハルの誘拐に、マーモンも加担しているのかもしれない。

「確信はないがな」
誰もが考え付いた可能性に、ディーノは一言入れておく。
そう、確証は何も無い。
あくまで可能性の一つに過ぎないというだけの、単なる憶測だ。
それでも手掛かりの一端としては、結構な有力候補ではないだろうか。
「有難う御座います、ディーノさん!」
即座に席を立った綱吉に続き、獄寺と山本も連なって立ち上がる。
「お、オイオイ…。確信はないんだぞ?早まった行動だけはするなよ。あいつもヴァリアーの、ボンゴレの仲間の一員なんだからな。プライドもそれなりに高い。怒らせると後々が厄介だ」
「解ってます。でも、調べる位なら問題ないでしょう。…それに、今は少しは早まった行動をしないと、ハルは見つけ出せない気がするんです」
綱吉の言葉に、残り二名も深く頷いて同意する。
仲間を傷付けられているかもしれないという、彼等の心情はディーノにも痛い程良く解るだけに、それ以上の口を挟む事は出来そうにない。
何せ、自分もキャバッローネファミリーという組織を束ねている身の上だ。
今の状況は、全くの他人事で済ませられる筈も無かった。
「解った。オレも出来る限り協力するが……ただ」
「ただ?」
今にも部屋から出て行きそうだった綱吉達は、言い淀んだディーノの言葉に振り返る。
そして、恐ろしいまでに真剣な彼の表情を見るなり、全員が息を呑んだ。
「恭弥には、この先絶対に情報を渡すな」
既に、ベルフェゴールの関係者が何人も死の一歩手前まで追い落とされている。
それらは全て雲雀一人の仕業だと、ディーノは綱吉達へ伝えた。
「あいつは、ハルに危害を加えたと思える人間には一切容赦しない。元々が人の生死に頓着しない奴だったが、ハルの一件でそれが更にエスカレートしている。それどころか、全員を殺して回る勢いだ。俺としては、ボンゴレが内部から壊滅する事も避けたいし、何よりそれ以上に弟子であるあいつをボンゴレ裁判に掛ける事だけはしたくないんだ」
そう、このまま行けばベルフェゴールのみならず、雲雀までもがボンゴレの裁きを受ける事となってしまうだろう。
最終的に決定打を出すのは綱吉だが、その前に獄寺達以外の上層部とも話を付けねばならない。
ボンゴレファミリーは途方も無い位に巨大な組織だ。
私情でマフィア界の掟を簡単に破る訳には行かない。
その前に、何としても雲雀を止めなくては。
それにはベルフェゴールと、彼と一緒に居るであろうハルを見つける事が先決となる。
雲雀を窮地に立たせたくないのは、綱吉達も同じだ。
「解りました」
各々が賛同の意を示すのを確認し、ディーノは僅かに安堵の滲んだ笑みで礼を述べた。




己の皮膚の下を流れる物では無い、しかし酷く近しい者の血に、ベルフェゴールは酔っていた。
まだ幼かった当時、初めて人を殺したあの快感。
今でも忘れられない、何よりも自分を沸き立たせる興奮。
それにつられて自らの心臓に刃を突き立て様とした瞬間、自分と同じ位の小さな両手がそれを止めた。
「いたい、ですか?」
涙に濡れた目で問われたあの時の光景は、今でもハッキリと思い出せる。
全くの赤の他人を救おうと、恐怖を必死で押さえ付けて飛び出した、小さな小さな少女。
幼心にもナイフの怖さは解っていた筈だ。
何より全身を血で染め上げた当時の自分は、大人の目から見ても近付きたい存在では無かっただろう。
それでも震えながらベルフェゴールの腕にしがみ付いていた少女は、泣きながら彼の行動を阻止しようと懸命だった。
呆れと不愉快と、僅かばかりの憧憬が入り混じった奇妙な感覚に、ナイフを取り落としたのは単なる気まぐれだ。
或いはそれは、彼女の行動に対する賞賛だったのかもしれない。
「いたくねーっての。だから泣くな」
溜息を吐けば、少女は漸く泣き止んだ。
しかし、しがみ付いたままの腕は離す様子が無い。
手を離した瞬間、ベルフェゴールは再び死のうと試みてしまうのではないだろうか。
そんな心配が、彼女の瞳を通して伝わって来る。
もう疾うの昔にそんな気は無くなってしまったというのに。
「………」
ぐちゃぐちゃな、しかし何故か目が離せない顔で、少女はじっと此方を見つめている。
そんな彼女を脅かしてやるつもりで、ベルフェゴールは少女の目元を軽く舐めてやった。
案の定、ビックリした顔で少女は目を瞬かせる。
それが面白くて、再び舌で涙の跡を辿る。
通常涙は塩辛いものだが、不思議と彼女のそれは甘く感じられた。
何度も口付け、吸い取りたくなる…麻薬の様な甘さ。
「――――――?」
不意に少女が口を開く。
それは先程まで彼女が話していた、たどたどしいイタリア語ではなく、何処か別の国の言葉の様だった。
少女はどう見てもこの国の人種では無いから、恐らくその言葉は彼女の母国語だったのだろう。
勿論、当時の自分が日本語を解している筈も無い。
「なに?わかんねーよ?」
「――――、―――?」
相変わらず訳の解らない言語で話す少女に軽く笑うと、今度は直に瞼へと口付ける。
甘い。
甘くて、温かい。
少女の涙は、今まで屋敷で食べたどの菓子よりも美味くて病み付きになる代物だった。
「なぁ、おまえ。名前は?」
「な、まえ?」
「そう、名前。オレはベルフェゴール。お前は?」
自分を指差して名乗り、次いでハルを示す。
まだ上手くイタリア語が喋れず、聞き取る事も余り出来ないのだろう。
しかしジェスチャーは万国共通とは良く言ったもので、彼女はそれで何とか質問の意味が解った様だ。
「ハル。ミウラ…ううん。ちがう、です。ハル・ミウラです」
ふるふると小さな頭を振りながら喋る様が楽しく、ベルフェゴールは血に濡れた両手を伸ばしてハルの頬を撫でる。
ベタリと付いた血糊は彼女の涙の跡までも覆い隠し、消し去ってしまう。
「ハルか。これさ、オレのお手つきなショーコだから、おぼえといて?ま、血はオレのじゃなくて、アニキのなんだけどさ」
太陽の下で輝くばかりの白い肌に赤い刻印を付けて、ベルフェゴールはしししっと肩を揺らせた。
「ショーコ?」
「そ。今はむりでも、いつかむかえにいくから。その時まで、だれのものにもなるなよ。おまえは今日から王子のものになったんだから」
「?」
早口で述べた言葉は聞き取れなかったらしく、ハルは困った様に眉を下げている。
けれど、それでも構わなかった。
至って一方的な宣言ではあったが、王子の命令は絶対だ。
今この瞬間から、この少女は自分のものとなったのだ。
気に入りの玩具以上の存在を見つけ、ベルフェゴールは上機嫌だった。
後に少女と別れ、そのままヴァリアーへと入隊してからもずっと、頭の中から彼女の存在が消える事は無かった。
あれからもう12年にもなる。
彼女を手に入れるまで、本当に長かった。
かなり以前から、成長したあの時の少女の存在は知っていたのだが、ボンゴレ10代目候補の傍に居て手が出せなかったのと、仕事が割りとあって忙しかったという理由もあって、今までは情報を定期的に仕入れるだけで済ませておいたのだ。
それが、気が付けば彼女は恋人を作って、その男の傍に居ると言う。
これはベルフェゴールにとって、許せる事では無かった。
「ハル。お前は王子のものになったって、あの日言ったじゃん?」
ベッドの中で深い眠りに付いているハルを見下ろして呟く。
あの日、自分が口にした事は子供の戯れ等では無い。
直ぐに忘れて良い様な、そんな生易しい宣告では無いのだ。
「改めて宜しくって意味、解ってねーんだろうな」
ハルの頬に触れると、あの日の少女と同じ感触が返って来る。
散々嬲った身体の何処よりも、自分が刻印を施したこの箇所がベルフェゴールの一番のお気に入りの部分だ。
雲雀を想って泣いたのだろうか。
白い肌に涙の跡が残っている。
自分を案じて泣いたあの時の涙と、全く同じ透明な筋。
しかしこの涙は自分の為に流されたものではない。
これから先、時間は充分にあると思って安心していたが、ハルの心にはまだ恋人が住み着いている。
ベルフェゴールは指先で涙の筋を乱暴に拭うと、驚いて飛び起きたハルに噛み付く様な口付けをし、彼女の言葉を無理矢理に塞いで奪った。






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