もゆる想ひを2









セカンドキスは、とてもではないが甘さを感じられるものではなかった。
否、それどころか雲雀の唇の感触すら全く記憶に残っていない。
雲雀の指先が一番上のボタンを外しに掛かっている、その僅かな重みだけがハルの感覚を鋭敏にさせていた。
「…ま、待って下さ…」
恐怖に震える手で雲雀の指先を止めようと試みるも、逆に手首を取られてソファに押し付けられてしまう。
「あぁ、別に脱がせなくても良いのか。大事なのはこっちだし、ね」
片手でハルの両手首を纏めてソファに縫い止めた雲雀は、空いている左手を下敷きになっているスカートの下へと差し入れた。
ゆっくりと太腿を撫で上げられる感触に、ハルの肩が一瞬跳ね上がる。
「……ゃ、っ」
恥ずかしさの余り顔を背けるハルを見下ろし、更に手を奥へと進めて行く。
滑らかな肌を楽しむ様に指先で徐々に辿って行き、漸く辿り着いたシルクの感触に人差し指を引っ掛ける。
「だ、駄目ですっ」
焦りを含んだ声音に、雲雀は薄っすらと目と細めた。
「何が駄目なの?君が言った事でしょ。こういう事、されたかったって」
「ち、が…」
「違わない」
弱々しい否定の言葉は、即座に冷たい声音で打ち消されてしまう。
雲雀の言う通りだ。
確かにこういう展開になる事を望んで、ハルはこの部屋へと来た。
けれど、夢見たのはこんな恐怖に塗れた行為では無い。
「……ぅ、う…」
三度合わさった唇から、ヌルリとした舌が侵入して来た。
体温以上の熱さを備えている筈のそれは、今のハルにとって恐怖を煽るものでしか無い。
冷ややかな表情の中に潜む、ギラついた生々しい光に、ハルはハッキリと怯えていた。
固く強張った身体をソファの上で捩じらせ、何とか雲雀の下から抜け出そうともがく。
けれど結果は、暴れれば暴れる程に、身体を押さえ付けられる力が増しただけだ。
「ん、ん…やぁっ」
ズルリと臀部を辿る、下着の擦れる音にハルの悲鳴が被さる。
けれどそれに構う事無く、雲雀の腕は徐々に下がって行く。
ヒヤリとした空気が、下肢へと直に掛かった。
「いや、やめて…下さっ……!」
唇が離れた瞬間に叫ぶハルを真上から覗き込み、雲雀は口角を上げるだけの笑みを刻んだ。
「怖い?」
嫌味な位の優しい声で雲雀は尋ねる。
反射的に首を上下する相手に小さく笑うと、下着に引っ掛けていた指先をスルリと抜き取った。
「それじゃ…」
ハルの身体を押さえつけていた手を離し、上半身をゆっくりと起こす。
急に圧迫感が消え失せた事に、涙に濡れた両目が瞬いた。
そんな表情を浮かべる少女の唇へ、雲雀は人差し指を軽く押し付ける。
「此処で最後までしてくれるなら、その先は止めておいてあげるよ」
「は、ひ…?」
混乱したままの頭では言われた事柄が理解出来なかったらしく、数秒間ハルの目は雲雀の顔を見つめ続けていた。
しかし、漸く彼の言わんとしている行為に気付いた瞬間、驚愕に瞳が大きく見開かれる。
「え…、口…ですか?」
「そう」
戸惑いを隠せないハルから僅かに離れると、雲雀は腰をソファの上へと落とす。
一見寛いだ様な体勢のまま、雲雀はチラリとハルに視線を向けた。
「嫌なら良いよ。その時は、さっきの続きをするだけだから」
「……っ」
途端、ハルの背筋を痺れが走り抜ける。
先程までの密着感、そして雲雀の吐息がフラッシュバックして、身体全体が微かに震えた。
未経験な肉体は、快楽すらも恐怖として認識するケースが多い。
ましてや半ば強引な交わりであれば尚更だ。
相手の真意が全く掴めない今の状態で、先程の続きをするのは、今のハルには到底耐えられなかった。
ソファに肘を沈ませ、震え続けている身体を何とか起こす。
雲雀の視線を意識しながらも、中途半端に下がってしまっている下着を慌てて直し、ソファから床へと下りる。
ハルはカーペットの敷かれている床上に座ると、丁度真正面に位置する雲雀の膝に視線を移した。
彼の足を覆う黒い布地は、電灯の光を弾いて鈍く光っている。
自分の膝上に置いた両手を強く握り締め、ハルは視線を膝の奥、太腿から足の付け根へと恐る恐る辿って行った。
緊張の余り、喉が小さく鳴る。
その音が聞こえたのだろう。
頭上から耳に届いた笑い声に、心臓が脈打つ速度を上げた。
ドクドク、ドクドク、と心音が大きく響く度に、血の流れが内側から身体を揺さぶる。
耳まで朱色に染めたハルが一向に手を上げないまま、時間は刻々と過ぎて行く。
このままでは永遠に先に進みそうにない。
室内の掛け時計は、そろそろ8時半を回ろうとしている。
「三浦。後30分もすれば、草壁が見回りから戻って来るけど」
雲雀が溜息と共に零した台詞に、ハルは思わず相手を見上げた。
「草壁、さん…が?」
「早くした方が良いんじゃない?」
「そ、そんな…」
どうやら雲雀に止める気は更々無い様で、ハルが困惑の表情で見上げても、薄い笑みを浮かべているだけだ。
「と、途中で戻って来たら…」
「そうならない様に、早く終わらせれば済む事だよ」
素っ気無く払われる問い掛けに、ハルは唇を噛み締めて両手を膝から上げた。
そろりと伸ばされた両手が、雲雀の制服へと掛かる。
再び泣き出しそうな表情になっているハルを見下ろしたまま、雲雀は身動ぎ一つする事無く、小刻みに震えながらも懸命に動く指先を見つめていた。
金属音と共に外されるベルトが、途中途中で何度も動きが止まってしまうジッパーが、それに何より俯きがちなハルの顔が、雲雀の中で燻る熱を徐々に煽って行く。
「………」
熱を持っている事がハッキリと解る、布越しの雲雀自身を視界に入れ、ハルはピタリと両手の動きを止めてしまう。
保険関連の教本や美術書の写真とは全く違う、生の質感漂う帳にそれ以上近付けず、助けを求める様に雲雀を見上げる。
しかし、彼の冷ややかな視線は、行為の中断を許さない。
もしも此処で止めるのなら、再びハルをソファの上に引きずり上げるだけだ。
口にせずとも伝わって来る雲雀のそんな意思に、カタカタと床上に付けたままの膝が大きく震えた。
「後20分」
追い討ちを掛ける言葉に、ハルは慌てて指先を伸ばした。
一瞬だけ触れた雲雀自身が、予想以上の熱を孕んでいる事に、ハルの顔が更に赤味を増す。
やがて顕れた肉色の欲望が、独特な香りを漂わせてハルの意識を揺さぶった。
グラグラする視界に、いっそこのまま気絶してしまいたいと願う。
そうなれば、このどうしようもない羞恥心と恐怖から逃げられるのにと。
しかしこういう時に限って、身体は言う事を聞いてくれそうにない。
グラつきながらも、しっかりと捉えてしまっている雲雀自身に、ハルはノロノロと顔を近付けた。
躊躇ったのは一瞬。
耳に届く時計の秒針音が、焦りという現象を伴ってハルを急かす。
雲雀自身を口に含んだ途端、自分の舌もまた異様な熱を発している事に、ハルは否応無く気付かされた。
「ん…ん、…」
一気に含んだ膨張が、口中でピクリと反応を返す。
意図せずして動いた舌先が、自然と刺激を与えたのだろう。
舌の突起が齎すザラついた感触に、雲雀の唇が僅かに開く。
其処から漏れる熱い呼気に、しかしハルが気付く筈も無い。
大きく開いた口にみっしりと詰まった異物が、不規則な呼吸を促して苦しくなる。
「…ぅ、ぐ……っ」
溜まった唾液を喉が勝手に動いて奥へと送り込み、雲雀自身もまたその動きに合わせて膨れてしまう。
繰り返される悪循環に、ボロボロとハルの目から涙が零れ落ちた。
「舌、動かして。このままだと、何時まで経っても終わらない」
息苦しさに喘ぐハルに構わず、非情な声が降り注ぐ。
「…ん、ん――っ」
声を出す事さえ侭なら無い状態だというのに、これで舌など動かせる筈もない。
ぎこちなく首を左右に振って訴えると、頭に雲雀の片手が優しく掛けられる。
「仕方ないね」
そしてそのまま、グイと力任せに押し込まれた。
「―――!」
喉奥まで深く咥え込ませられ、余りの苦しさに嘔吐感が一気に込み上げる。
吐き出そうとする気配を察したのか、雲雀はもう片方の手をハルの頬へと添え、今度は逆にハルの頭を引っ張り上げた。
ズルリと喉奥を塞いでいた感触が無くなり、ハルは激しく咳き込む。
「歯を立てたら承知しないよ」
咳きの収まらない相手に一向に構う事無く再び頭を押し込み、一定のリズムを刻むかの様に、雲雀はハルの頭を上下させた。
「ぐ…ん、む…っ……ぅ、ん…っ」
咳も嘔吐も何もかもを封じられ、ハルの脳裏をただ早く開放されたいという願いだけで一杯になる。
今自分がどんな顔をしているのか、それがどれだけ雲雀を興奮させているのかも解らない。
肉厚は更に重度を増してハルを苛み、そして時折歓喜する様に喉奥で震えた。
「…は、…」
雲雀の息が荒く吐き出された事で漸く、飛びかけていた意識が戻る。

怖い。
怖い、怖い、怖い。

この行為よりも、息が止まる様な苦しさよりも、雲雀の心が何時も以上に見えない事に、ハルは何よりもの恐怖を感じていた。
「ん、ん…っ」
これ以上はもう耐えられないと、雲雀の太腿に思い切り爪を立てた瞬間、口中に一気に何かが弾け飛んだ。
生暖かく粘着いた何かが、喉奥に連続的に吐き出される。
「ぅ、ぅ……」
散々嬲られた喉ではそれを拒む事は出来ず、喉を無理矢理上下させて呑み下す。
それでも全ては呑み切れず、開き切った口端からポタリと粘度の高い液体が滴り落ちた。
味なんて判断する余裕も無く、漸く口が自由になった途端、ハルは両手で口元を覆って蹲り、ゲホゲホと全身で咽る。
喉がヒュウヒュウと風音を鳴らすまで、ハルは顔を上げられなかった。
「…ぅ、う…」
涙と涎と精液でグシャグシャになった顔を袖で拭い取るものの、後から後から溢れ出るしゃくり声は止まらない。

どうしてこうなってしまったのだろう。

そんな疑問ばかりが頭に浮かんで消えて行く。
この場にこれ以上居る事が耐えられず、ハルはその身一つで応接室から逃げ出した。




突然扉から飛び出してきた少女に、草壁は慌てて脇へと避けて道を明け渡す。
顔は伏せられていたので見えなかったが、後姿から察するに、恐らくはハルで間違い無いだろう。
もうかなり遅い時間ではあるが、今の応接室には雲雀が居る筈だ。
もしかしたら二人は喧嘩でもしたのだろうか。
ハルが泣いていた様にも見え、草壁は首を傾げると既に開いている扉をノックした。
「恭さん、先程―……」
許可を得て室内へ足を踏み入れると、普段の雲雀とは微妙に異なる雰囲気に眉を潜める。
何処か荒んだ雰囲気と、僅かに乱れた着衣が、妙に目につく。
「……気にしなくて良い」
学ランを肩へ羽織り、ソファから立ち上がる雲雀に無言で問い掛けるも、即座に切り捨てられる。
床に残された雲雀の物ではない鞄に、草壁は更に眉根を寄せた。
「恭さん、まさか…」
どう見ても、これは只の喧嘩では無い。
嫌な予感が頭を過ぎるが、それ以上は敢えて言わずに口を噤む。
自分が改めて詰問するまでも無く、雲雀が後悔しているのが解ったからだ。
表情には全く出さない雲雀ではあるが、短い付き合いでは無い。
そのぐらいは流石に解る。
今まで一切手を出す事も無く、本当に大切にしていた少女だ。
それだけに、どれだけ雲雀が本気でハルの事を愛しているのか、一番の側近である草壁は知っていた。
「帰るよ」
「へい」
ハルの鞄を持ち上げ、草壁は雲雀の後を追って応接室を後にする。
部屋を出る直前に押した電灯のスイッチが、パチリと微かな音を立てて室内を暗闇へと変えた。






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