だからこそ2
「聞いたよ。ベル」
何処から現れたのか、気付けばベルフェゴールの座るベンチにマーモンがいた。
黒い外套を着た小さな赤ん坊は、器用にもベンチの背凭れ部分に立っている。
「何だよ」
「もうすぐ死ぬんだって?」
配慮も遠慮もなくマーモンは尋ねる。
「みたいだな」
「冷静だね」
「慌ててもしょーがないじゃん?」
蹴り上げる勢いで足を組み、ベルフェゴールはしししと笑った。
死を恐れている様子はない。
実際彼は死ぬことは怖くないのだろう。
けれど――。
「ハルはどうするんだい」
少女の名前に、ベルフェゴールの顔から笑みが消えた。
「まだ話してないんだろ?」
「………」
ベルフェゴールは無言でマーモンを見遣った。
「黙ってても、いずれはバレるよ。君が話せないなら、僕が話してあげようか」
「うっわー。らしくねー。何企んでんの?」
「別に。ハルには何時もお世話になってるからね」
マーモンは肩を竦め、ベンチの背から飛び降りる。
「話すのなら、早い内が良い。ハルも今後の身の振り方を決めなきゃなんないだろうしね」
「解ってる」
憮然とした表情を返すと、マーモンはそれ以上は話す事もないと言わんばかりに立ち去った。
現れた時同様、その姿は不意に掻き消えていた。
「解ってるさ」
ベンチに深く深く背を預け、ベルフェゴールは低く呟いた。
「別れよっか」
出来るだけ気をつけて、ベルフェゴールは発言した。
気付かれていないだろうか。
何時もの自分と同じ調子で喋っているだろうか。
普段気にも留めない自分の行動が、今は酷く難しくベルフェゴールには感じられた。
ハルは呆然とした状態で此方を見ている。
当然だ。
「ベルさん…?」
ハルは未だ、此方の言った言葉がよく呑み込めていない顔をしている。
「ごめんなー」
呑気を装う言葉が小さく震えたのが自分で解った。
思わず舌打ちしそうになる。
ハルの目を見れば、其処には笑っている自分が映っていた。
何だよ。
ちゃんと出来てるじゃんか。
これなら、きっと大丈夫だ。
「そーいう訳だから。オレ、出てくわ。ハルは元気で」
片手を振り、今まで座っていたソファを飛び越える。
そこで限界だった。
もうハルの顔を見る事は出来ない。
辛うじて涙は出なかったものの、歯を思い切り食いしばって玄関を潜った。
扉の向こうで、ハルの声が聞こえる。
切ないぐらいの声で自分を呼んでいる。
けれど、それに応えてはならないのだ。
もう決めた事だから。
「ハル…ごめん」
ベルフェゴールは扉の前で小さく呟くと、中から聞こえてくる声を振り切る様にコートを翻して歩き出した。
ハルが大学に来ていない。
綱吉達がその事に気付いたのは、ハルがベルフェゴールと別れて一週間が経ってからだった。
「京子ちゃん、それホント?」
「うん。何度か家にも行ってみたんだけど、誰も出て来なくて…。ハルちゃん、ベルフェゴールさんと暮らしてたでしょ?初めは旅行にでも出てるのかとも思ったんだけど、一週間音沙汰無しなんてハルちゃんらしくないから心配で」
「そうだね…」
京子とハルは中学の頃からの親友だ。
二人ともツナの事が大好きな恋敵だったが、とてもそうとは思えないぐらい仲が良かった。
気付けば黒川も交えて、三人で常に一緒にいる様な状態だった。
ハルがベルフェゴールと付き合う様になってからも、その友情は変わらずにあったのだが…。
「ツナ君のところにも、連絡は来てないの?」
「うん、全然…。最近はイタリアにも行って色々とやってたりしたから、ここ数週間ハルと話してないんだ」
「そっか…。ハルちゃん、どうしたんだろ」
京子は酷く心配そうな表情で俯いた。
それにつられて綱吉の顔も翳る。
「ちょっとオレ、獄寺君と山本にも聞いてみるよ!」
「あ、それじゃ私も他の人に聞いてみるね」
綱吉は携帯を取り出しながら構内を走り出した。
「10代目ー」
携帯を耳に当てた所で、前方から獄寺が山本と連れ立って歩いて来る。
「二人共!丁度良かった」
綱吉の表情に二人は怪訝そうな顔になる。
「どーしたんスか?」
「何か偉い慌ててんなー」
立ち止まった二人に駆け寄ると、綱吉は京子から聞いた話を伝える。
「マジっすか」
獄寺が小さく呻く。
山本は難しい顔つきで、何やら考え込んでいる。
「何か知ってる事があれば教えて欲しいんだ」
「いや、オレは何も――」
「知ってる…かも」
不意に山本が口を挟んだ。
「え!?」
「いや、三日前スクアーロから聞いたんだけどな。ベルフェゴールのヤツ……」
「ハル!いるのか!?」
綱吉は扉を力一杯叩いた。
ガンガンと激しい音が辺りに響くが、扉の前に集まっているメンバーは誰も気にしない。
寧ろ一向に応答のない事に焦れた獄寺が、ダイナマイトを片手に取り出して山本に押さえ付けられている。
「ハル!いるなら返事だけでもしてくれ!!」
「退いて下さい、10代目!オレがその扉ふっ飛ばしますから!」
「だーから、それはマズイだろっての。落ち着け獄寺」
「ハルちゃん!お願いだから返事して」
4人それぞれが必死に叫ぶも、中からは何の物音もしない。
「本当にいないのかな…」
京子が自身なさ気に呟くも、綱吉は首を振る。
「いや…微かにだけど、気配がある。ハルはきっと中にいるよ」
綱吉は目を閉じて神経を集中させた。
ハルと思しき気配はじっとしたまま、ピクリとも動かない。
呼吸もか細く、今にも途絶えてしまいそうだ。
綱吉はゾッと背筋を泡立たせた。
「マズイ」
扉を見つめる目には焦りと恐怖が浮かんでいる。
その意味を悟ったのか、一同は綱吉と同じ表情になって扉へと視線を遣った。
「やっぱりオレが破壊します!」
獄寺がダイナマイトを構え直すと、今度は山本も止めなかった。
今にも導火線に煙草の火が灯されようとした矢先、背後から扉を蹴り付ける足が乱入してきた。
「退きなよ」
同時に聞こえてきた静かな声に振り向くと、其処には右足を扉にめり込ませた雲雀恭弥の姿があった。
「ヒバリさん!」
「てめっ…何で此処に!」
気色ばむ獄寺を右手で制し、綱吉は雲雀を見つめた。
「聞こえなかったの」
トンファーを構えた雲雀の姿に、綱吉は皆を下がらせる。
獄寺も渋々と下がり、扉前に立つ青年の姿を見遣った。
一同の視線を受けながらも、雲雀は顔色一つ変えずに扉を破壊しにかかった。
何度かトンファーを叩きつける内、ノブが外れて地面に落ちた。
ギィィ、と軋んだ音を立てて扉が開いて行く。
室内は暗く、静まり返っていた。
「ハル…?」
綱吉が室内を覗き込む。
闇の中で目を凝らすと、壁を背に蹲っている黒い姿が辛うじて見えた。
「ハルちゃん!」
綱吉を押し退ける様にして、扉の隙間から京子が室内へと入って行く。
続いて綱吉、獄寺、山本と続く。
雲雀は部屋に入る事なく、ただ視線のみを奥へと向けた。
「山本、電気点けて」
「あぁ…」
山本が壁を探る音がして程なく室内に明かりが灯る。
「!」
現れた光景に、その場にいた全員が息を呑んだ。
其処にいたのは確かにハルだった。
膝を抱える様にして、虚ろな視線を床へと投げている。
瞬き一つない表情はまるで人形の様で、生気を全く感じさせないものだった。
「ハルちゃ…」
ハルの肩に両手を掛けていた京子が固まる。
「おいハル」
漸く我に返った獄寺が、蹲る少女を力任せに揺さぶる。
気圧された京子が後ろに下がり、綱吉の傍に立つ。
「ちょ、獄寺く…」
「こら、バカ女!返事しろ!!」
綱吉の静止も聞かず、獄寺の軽い平手打ちがハルの頬に決まった。
乾いた音が室内に響く。
しかしハルの反応は無い。
痛みを全く感じていないのか、打たれた頬を押さえもしない。
獄寺が両手を離すと、体勢の崩れたハルの身体はそのまま床に倒れ伏した。
ゴトンと死体の様に鈍い音を立てて転がる。
衝撃の余りに全員が立ち竦み、そしてその場から動ける者はいなかった。