雲雀恭弥改造計画








ハルはじっとりと汗をかいていた。
こんなにも居心地の悪い状況は生まれて初めてかもしれない。
そのぐらいの違和感が、今現在、この場には満ち満ちていた。
視線の先には雲雀の姿がある。
それは別におかしくも何ともない。
ハルがこの応接室に入り浸る様になって早数ヶ月。
もう馴染んでしまった光景だった。
けれど、先程からひっきり無しに吹き出て来る冷や汗が、何時もの光景とは全く違うものだと訴えかけてくる。
それもそのはずだ。
この部屋に入って来て直ぐに気付いた。
ヒバリは机の上にある書類を片付けている。
風紀委員長である彼には、学生の身とはいえやる事が結構ある様だ。
最も、その殆どは群れている者達を咬み殺す作業に費やされている気がしないでもないが。
そんな彼は、今日は室内で何やら書類を読んでいる。
その表情は何時もの彼のもの。
既に見慣れてしまった彼のもの。
…全く同じはずだ。
それが正常であり、そうでなかったら異常だ。
そして、先程から襲い来る違和感は、正常のアラームではなく異常の警報を煩いぐらいにガンガン鳴らしていた。
「ヒバリ、さん…?」
おそるおそる呼びかけてみる。
それに気付いた雲雀は此方を向いた。
そしてにっこりと笑った。

「………」

その笑顔にハルは卒倒しそうになった。
ニヤリではない。
にっこりだ。
あろうことか、天上天下唯我独尊な雲雀恭弥様は、それはそれはとてつもなく爽やかな笑顔で笑って下さったのである。
目つきは悪いが顔立ちは良いので、初めて会う女子はその笑顔に見とれてしまうかもしれない。
けれど残念な事に、ハルは普段の雲雀を知っていた。
この数ヶ月で知り尽くしていた。
だからこそ、全身に鳥肌を立てて後ずさった。
「どうしたの、ハル」
雲雀は不思議そうな表情で此方を見ている。
ハルがどうしてこんな反応をしているのか、全く解っていない顔つきだ。
「どうしたも何も…どうかしちゃったのはヒバリさんでしょう!?一体どうしたんですか!」
思わず机に両手を勢い良く叩きつけて叫んでしまう。
「僕はどうもしてないよ」
心外と言わんばかりの顔で雲雀は立ち上がり、机越しに片手を伸ばすとハルの額へと添えた。
「熱は…ないみたいだね。もしかして疲れてるんじゃないかな。もう帰ろうか」
「……………」
本気で心配しているらしい相手に、ハルは言葉を失った。
これは誰だろう。
一体何が起きているのだろう。
いや、こんな事が現実にあるはずがない。
そうだ、これは夢だ。
夢に違いない。
ハルは自分の頬を思い切り抓り上げた。
当然の結果であるが、思い切りな分相当な痛みが返って来た。
「はひー…。夢じゃないですかー」
涙目で頬を押さえる恋人の姿に、雲雀は顔を寄せて覗き込む。
「大丈夫かい?」
そして頬を癒すかの様に触れるだけのキス。
「―――!」
待って下さい。
有り得ません。
こんなの雲雀さんじゃないです。
神様、一体この人に何したんですか。
雲雀は殆ど泣きそうになっているハルをそっと抱き寄せ、頭をポンポンと撫でる様に叩いた。
子供をあやす様な仕草に、しかしハルは逆に凍りついた。
「脳が…、オーバーヒートしそうです……」
余りにも小声で呟いた為、雲雀には聞こえてなかったらしい。
「さぁ、帰ろう」
片腕を腰に回され、半ば引きずられる様にしてハルは応接室を後にした。




「雲雀さんに一体何があったんでしょう、ツナさん知りませんか!?」
用事があるからと帰宅途中で雲雀と分かれたハルは、そのまま綱吉の家に直行した。
「何でオレが知ってると思うんだよ…」
事態が全く飲み込めていない綱吉は、部屋に来るなり迫ってきたハルに困惑の表情を浮かべた。
「だって、ツナさんは色々な経験してますから!」
キッパリと返したハルに綱吉はげんなりと項垂れる。
そりゃまぁ確かに色々な経験はしてるけどさ…。
正確にはさせられている、が正しい。
リボーンが来てからというもの、日常とは掛け離れた生活ばかりしていると思う。
それは恐らく間違ってはいないだろう。
血筋もあるが運命でもあるのではないかと、綱吉は最近考えていた。
「で、一体ヒバリさんがどうしたんだ?」
「それが、物凄く…とてつもなく…?そう、スーパー変なんです」
「スーパー…」
綱吉は微妙な顔つきで言葉を反芻している。
それに構わずハルはズイと身を乗り出す。
「とにかくおかしいんです!ツナさんも一回見てみれば解ります!!」
「そういえば、ここのとこ誰かを引きずってるとこ見てないなぁ…」
以前の雲雀ならば、学内にいる時であっても7〜8割の確率で誰かしらをシメていた気がする。
それが最近は余りそういう場面を見ていない。
ちなみに残り2〜3割は、屋上で寝ているか応接室にいるかのどちらかだ。
「ツナさんお願いします!雲雀さんを元に戻して下さい!このままじゃハルは…ハルは……」
「あぁぁ、解った!解ったから泣――」
「鳥肌女になってしまいます!」
泣くかと思われたハルは、雲雀の行動を思い出したのか全身に鳥肌を立てていた。
言葉を詰まらせた綱吉は、我が身を掻き抱いている少女を眺めた。

「ちゃおっス」
その時突然部屋に片手を上げた赤ん坊が入って来た。
「リボーンちゃん!こんにちはー」
「リボーン、お前何処に行ってたんだよ」
二人に見つめられたリボーンは、片手に持った白い紙包みを目の前に掲げて見せる。
「これを取りに行ってたんだぞ」
その紙包みには小さな字で「処方箋」と書かれていた。
「それは…?」
ハルは身を屈めて覗き込む。
「ヒバリの処方箋だ」
「!」
手渡された処方箋を受け取ると、中身を覗き込む。
普通に病院で出される、カプセル状の薬と全く変わらない物が袋の底に転がっていた。
「ヒバリさん、やっぱり病気だったんですか?」
「いいや、シャマルのミスだ。トライデント・モスキートの一匹が逃げてヒバリを刺したらしい」
「んなー!あのオッサンが原因だったのか」
綱吉は頭を抱えた。
桜クラ病といい今回の病といい、雲雀はシャマルのターゲットにでもなっているのだろうか。
以前花見をしていた時に、雲雀がシャマルを殴り飛ばしたのを根に持たれているのかもしれない。
「とにかくこれをヒバリのところへ持っていけば大丈夫だ。ただ、蚊自体は貸せないから薬にしたと言ってたからな。治るまで少し時間がかかるかもしれねー」
「良かった!これでヒバリさんは元通りになるんですね。…ん?でも、ヒバリさんの状態知ってるって事は、リボーンちゃんもヒバリさんに会ったんですか?」
「あぁ、ちょっとツナを鍛えて貰おうと思ってな」
アッサリととんでもない事を言うリボーンに綱吉は仰天した。
「やめろよ!あの人にかかったら、鍛えられるどころか殺されるよ!!」
何度もヒバリのトンファーを食らった身としては、本気で遠慮したくなるのも当然の事である。
こんな事なら、今のままの雲雀の方が綱吉としては有難い。
けれどハルの嬉しそうな顔に薬を奪う訳にもいかず、ただリボーンの説得にかかった綱吉だった。




処方箋を貰ったハルは、リボーンと綱吉に礼を言って沢田家を後にした。
そのままスキップしそうな浮かれっぷりで帰路に着く。
「明日早速ヒバリさんに飲ませましょう」
綱吉の家から50メートル近く離れた頃。
鼻歌交じりに道の角を曲がった瞬間、其処に立っていた人物にぶつかった。
「はひっ、すみません!」
ぶつけた鼻を押さえて相手を見上げると、其処にいたのは雲雀だった。
「ヒバリさん!」
「うん」
腕を組んで塀に凭れ掛かっていた雲雀は身を起こし、ハルに視線を落とす。
何処となく落ち込んでいる気がする。
「どうしたんですか…?」
「……」
ハルは今まで見た事のない、雲雀の悲し気な目元に更に驚く。
「ハル」
「はい」
「ハルは…沢田が好きなの?」
「へ?」
突然の質問にハルは返事が出来なかった。
意味が全く飲み込めなかったのだ。
「君の様子が変だったから、思わず後をつけてしまったけど…」
「あ」
其処で初めて相手が誤解をしているらしい事に気付いた。
「ちちち違いますよ!ハルはヒバリさんが心配で、それでツナさんに相談に行ってたんです!」
慌てて弁解するも、雲雀の表情は変わらない。
それどころか、雲雀の両腕はハルを抱きしめていた。
「沢田の所へなんて行かないで。ずっと、僕の傍にいてよ」
低い声で雲雀はハルの耳元で囁く。
その時ハルは確かに、心臓が跳ねる音を聞いた。
こんな風に抱きしめられた事も、こんな風に言われた事もない。
あの雲雀に懇願されているという衝撃に、ハルは片手に持っていた処方箋を握り締めた。






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