旋律は繋がりて2
スパナはドライバーを始めとする工具を片手に、モスカに向かい合って奮闘していた。
おかしい。
先程から、何度嵌め直しても、部品が弾き飛ばされる。
それも小型ミサイルの如き勢いで、顔面目掛けて飛んで来るのだ。
「………」
凄まじい速さで飛んで来たネジをヒョイと避け、三度目の溜息を吐く。
遠い床上へと消えてしまった部品を探す気にもなれず、近くに転がっていた代用のネジへ手を伸ばした。
自分の親指と同じ大きさのそれを、慎重な手付きでゆっくりと締めて行く。
最後まできっちりと回し、奥の奥まで押し込んだネジは、しかし嵌ったと同時に自動的に逆回転を始めた。
そして、砲台から発射された弾丸の様に、一直線にスパナの元へと戻って来た。
下手をすれば弾丸と何ら変わりの無い、凶器ともなるネジを今度は避けずに、分厚い手袋で受け止める。
「何でだろ?」
不可解な現象に、スパナは首を捻る事しか出来ない。
原因がネジを嵌め込んだ場所にあるのかとも思い、一通りザッと調べてはみた。
しかし其処には通常の嵌め込み口があるのみで、どうやっても何の異常も見当たらないのだ。
「困ったな…。これが嵌らないと、激しい動きをした時に分解してしまう恐れがあるし」
指先でネジを摘み、それを目の上に翳してじっくりと検分する。
どう見ても普通のネジだ。
モスカ専用の特別仕様と、それ相応のコーティングが施されているとはいえ、今までにもう数百万本と使っているそれらと何の変わりも無い。
偶にイレギュラーな部品が混ざる事もあるが、こうも立て続けにそれらが紛れ込むとは考えにくいし、それこそどれだけ確率の低い事か。
となればやはり、原因は部品ではなく、モスカ本体にあるのだろう。
「さて、どうするか…」
全てを分解し、何もかも初期の状態に戻すべきか。
それとも実験の一環として、このまま稼動させるべきか。
前者なら多少手間は掛かるがより多くのモスカを生み出す事が出来、後者なら稼動中に何時もと違った面白い結果が出せるかもしれない。
どちらを選んだとしても、特別自分の損にはならない。
ならばと、取り合えず全体を見渡してから決めようと立ち上がった瞬間、目の前で静かに佇んでいたモスカが突然両手を伸ばしてきた。
「え…」
ポカンと間の抜けた顔でモスカを見遣ると、まるで魔法の様にモスカの全身から白い煙幕が立ち上り、スパナの視界を一瞬眩ませる。
煙は直ぐに消え去ったものの、晴れた視界が捉えたのは機械の腕ではなかった。
小さな子供の両手。
それがぐぐぐっと伸びてきて、スパナの足に抱きついて来る。
「モスカ?…いや、違う」
サラリと揺れる、肩までの黒髪。
此方を見上げて来る大きな目と、興味深そうな色合いを含んだ表情。
モスカが変身を遂げてしまった少女の姿に、スパナは何度か口を開けて子供の名前を呼ぼうと試みた。
自分はこの子供を良く知っている。
つい先日、正一から預かったばかりなのだから、それも当然だ。
しかし、肝心の名前がどうにも出て来ない。
何だっただろう。
どんな響きをしていただろう。
それ程複雑な名前ではなかった筈だ。
とても単純で、とても覚えやすい、そんな単語だった。
あぁ、どうして思い出せないのか。
「すぱー」
少女が嬉しそうに、ふにゃりと笑う。
その表情は、見る者の心を和ませる、まるで柔らかい陽射しの様で―――。
「…あ」
脳裏に名前が閃くと同時に、スパナは目を覚ました。
ぼんやりとした視界に、最初に映ったのは自室の天井。
次に見えたのは小さな指先、そしてふっくらとした足の裏。
…成る程、悪夢の原因はこれか。
「はる。…寝相悪過ぎだ」
自分の胸の上に片足を乗せて寝ている子供の姿に、横になったままで溜息を吐きながら呟く。
起こさない様にと一応の配慮はしつつ、子供の足をそっと掴んでシーツの上へと移動させた。
普段ならば全く重いとは感じない軽さではあるが、それでも長時間胸の上に置かれるとそれなりに辛いものだ。
やはり別々に寝るべきだったかと寝転げているはるを見遣り、次いでゆっくりと上半身を起こすと床の上へ跳ね飛ばされていた哀れな毛布を掛け直してやった。
「すぱ…。がんも、やく…?ファイヤー…むにゃ」
もそもそと寝返りを打った小さな身体と、再び床の上へと落とされてしまった毛布に自然と苦笑が浮かぶ。
「一体どんな夢を見ているんだか。全く、手の掛かる…」
小さく文句を言いながら毛布へ手を伸ばせば、無造作に転がされていた小さな置き時計が目に入った。
暗闇の中でも蛍光塗料が塗られている数字盤は淡く発光しており、午前4時丁度を示している事が見て取れる。
奇妙な夢のせいですっかり目も冴えてしまい、いっそこのまま起きてモスカの調整でもしようかと悩んだが、肝心のはるが寝ている中では電気も灯せない。
しかもスパナがベッドから降りようとした瞬間、はるの手がしっかりと服の裾を掴んでしまっている。
「まだ寝ろって事?」
問いかけてみるが、肝心の子供は一向に起きる気配が無い。
小さな寝息が返って来るばかりだ。
布を取り込んだまましっかりと握り締められた指先に、スパナは視線を落としてはるの頭を撫でた。
普段から一人で寝ている事が多いと、そういえば寝る前にぼやいていたのを思い出す。
正一は忙しい日が多く、余りはるを構ってやれていない様だ。
当然、共に寝る事等殆ど無いと言っても良いだろう。
だからこそ情に絆されたとでも言うべきか、期待に満ちた眼差しで自分を見つめて来る子供を突き放す事は出来なかった。
「しょー…」
小さな呟きが、スパナの耳へ飛び込んで来る。
正一と離れてから、まだ二日しか経過していない。
しかし本来の保護者が居ない今、口にこそ出さないものの、はるの胸中は不安と寂しさで一杯なのだろう。
それは、昼間に何度も扉を横目で見ては、そわそわしているはるの態度からも良く解る。
どれだけ正一の帰りを待ち焦がれているのか、その目を見れば嫌でも感じ取れた。
「早く帰って来ると良いんだけどね」
寝ている子供へと優しく語り掛けてはみたが、チクリと胸を刺す微かな痛みを覚え、スパナは撫でていた手を止める。
「………」
そうだ。
正一が帰って来れば、この子守の任務は直ぐにでも解かれるだろう。
そうなれば、後はもう思う存分モスカの改良に時間を費やせるのだ。
はるに本を読んでやったり、遊び相手を務める心配も無くなり、自分の生き甲斐に好きなだけ打ち込める。
それは何より喜ばしい事の筈だと言うのに、一体何故、こんなにも気持ちが沈んでしまうのだろうか。
「すぱ。…ブリも、やくー…ファイヤーボム…」
「ガンモとブリ…どちらも黒焦げな料理になってそうなんだけど」
はるの奇妙な寝言に小さく吹き出すと、その頭をやや乱暴な手付きで混ぜ返した。
髪の毛を盛大に乱されても、当の本人は眠りに落ちたまま。
夢の中で幸せな食事をしている様で、掴んでいたスパナの服の裾を離すと、口をもごもごと動かしてにんまりと笑っている。
間違いなく不味いであろう料理が容易に想像出来るだけに、一体どれだけ味オンチなんだと突っ込みたくもなる。
スパナは小さな棘が刺さったままの胸を押さえ、頭を左右に軽く振って無理矢理に思考を逸らせた。
期間限定だという事は、最初から決まっていたのだ。
それはどう足掻いても変え様が無い事であるし、今からあれやこれやと考えを巡らせても、どうせなるようにしかならない。
今の自分の役割は、正一が居ない間だけの、単なる間繋ぎでしかないのだから。
「…すぱもたべよ、ぶりとがんも」
「嫌だ」
はるの寝言に反射的にそう返すと、スパナは小さな身体の傍に身を横たえた。
「がんもきらい?…じゃー、はるがたべる。すぱは、ぶり」
寝てはいても、どうやら返事はきちんと届いたらしい。
恐らくは夢の中でブリを差し出そうとしたのだろう。
はるはゴロンと身体を半回転させて、そのままスパナの脇腹へと頭突きを食らわせた。
「ぐっ…」
近距離での急な攻撃に避ける暇もなく、見事にクリーンヒットした頭を両手で掴む。
勿論、力は然程込めていない。
「ぶり。じゅーしー…?」
「だから食べてないって」
スパナはカクリと枕の上へ頭を沈み込ませると、はるを押さえていた両手をそっと離す。
「ぶり……またたべようね…すぱ」
どうやら食事は終了した様で、漸く大人しくなったはるは、スパナの腕に頭を摺り寄せてスヤスヤと寝息を立て出した。
腕を擽られる様なそんな感触にスパナは視線を向け、身体を丸めて眠る小さな姿に目を細める。
もう少しだけこの時間を享受していたいと思ってしまう自分に、自然と呆れ交じりの溜息が零れた。
「只今、はる」
正一が帰って来たのは、それから更に3日後の事だった。
ノック3回の後に開けられた扉に、スパナとはるの視線が同時に向けられる。
「しょー!」
それまで白い紙へ落書きをしていたはるは、扉の前に立つ姿を見るなり読んで字の如く飛び上がって駆け寄ると、勢いそのままに正一の足へ抱きついた。
「おそい、しょー!」
「御免、御免。本当はもっと早く終わる予定だったんだけど、途中で白蘭サンに引き止められちゃって。
…はる、言葉が随分と滑らかになったな」
笑顔全開の顔とは裏腹に、口では文句を言う子供の頭を撫で、正一は驚いた様に目を瞬かせて自分を見上げている顔を覗き込む。
「すぱがおしえてくれたー。はる、いっぱいおぼえたよ」
「スパナが?」
「うん。すぱ、ものしり」
にこにこと後ろを指差すはるから視線を移せば、スパナは此方に背を向けてモスカの頭部を解体していた。
「助かったよ、スパナ。5日間、はるの面倒を見てくれて有難う」
抜き取ったネジらしき部品を眺めているスパナに声を掛けると、チラリと一瞬だけ視線が向けられる。
「別に。大した手間でもなかったし」
素っ気無い返事と共に、スパナは作業へと戻ってしまう。
「すぱ?」
今までと全く違う態度に、きょとんとはるが不思議そうに名前を呼ぶ。
しかし、今度はスパナからの返事は無い。
「すぱ、どうしたの?」
続けて投げ掛けられる言葉に、けれどスパナは振り返ろうとしなかった。
「すぱ…」
徐々に弱まっていく語調が、スパナの指先の動きを鈍らせて行く。
思い通りに動かない身体に、スパナは小さく舌打ちを漏らした。
大人気無い行動をしているのは百も承知。
けれど、だからといってそう簡単に割り切れる物でも無いのだ。
ならば、今から壁を作っておいた方が賢明というものだろう。
後々に、独りの状態が寂しいと感じる、そんな事態に陥らない為にも。
「…はる。スパナの邪魔になるから、そろそろ戻ろう」
スパナの葛藤を知ってか否か、正一がはるを促し手を差し出した。
それをじっと見て、はるもまた手を伸ばそうとする。
けれど指先が触れ合う寸前、はるは何故か手を引っ込めると、身を翻してスパナの元へ走り寄った。
慌しく近付いて来る音を聞き、床に座り込んでいたスパナが怪訝そうに振り返る。
「すぱ」
思い掛けず間近にあった顔に目を見開くと、はるはにっこりと可愛らしい表情で笑った。
次いで頬に触れる、柔らかな感触。
「……へ?」
間の抜けた声がスパナの口から漏れる。
正一は目の前で起こった光景に、絶句して口を開いた。
「またあそびにくるね、すぱ」
漸く自分を見てくれたスパナに満足したのか、悪戯が成功して嬉しかったのか、はるは満面の笑みでもう一度スパナの頬にキスをした。
「は、はははる!?」
引っくり返った声で正一が叫ぶ。
「はひ?」
完全に固まってしまったスパナとは逆に、顔を赤く染めた正一はズカズカとはるへ近付き、その身体を片手で抱えてスパナの傍から素早く引き剥がした。
「はひじゃないっ。何やってるんだ!」
「おわかれのあいさつと、つぎにあうやくそく。しょーも、する?」
「しない!!」
怒鳴る正一に、しかしはるは一体何がいけなかったのだろうと、不思議そうな表情を向けている。
「しょー、なにおこってるの?」
「何って…、……っ、良いから帰るぞ!」
「?」
荒々しく扉の開閉パネルに手を置く正一と、その片腕にぶら下げられたはるの姿が、あっと言う間にスパナの視界から消えて行った。
後に残ったのは、頬に手を添えた部屋の主のみ。
「……また来る、か」
すっかり静まり返ってしまった室内に、スパナの呟きだけが落ちる。
自分の中で一方的に作り掛けていた壁は、頬に残る甘い温もりが跡形も無く消し去ってしまっていた。