しるもの2
バイクを飛ばして一時間弱。
その間一度も止まらなかったにも関わらず、雲雀は疲れを見せる事なく平然と地に立っている。
「わ…大きなお屋敷です」
ハルは目の前に聳え立つ屋敷に素直な感想を漏らした。
此処が雲雀恭弥の家らしい。
これまた巨大な玄関の近くにバイクを止め、ハルを省みる事なく雲雀は一人中へと入って行こうとしている。
「ひ、ヒバリさん!」
慌てて呼び止めると、面倒くさそうな表情で此方を振り返る。
「何」
「あの、ハルはどうすれば」
「知らない。好きにしたら?」
それだけ言い放つと、雲雀はアッサリと玄関へと消えて行ってしまった。
「そんな」
時刻は日本風に言えば丑三つ時。
星一つない曇天の下で、ハルは立ち尽くした。
敷地内のあちらこちらに外灯が点在しているので、完全な暗闇ではなけれどもそれでも薄暗い。
ガードマンも一応はいるのだろうが、群れるのが嫌いな雲雀の事だ。
恐らくそう数多くはないだろう。
「はひー」
こんな事ならツナの屋敷に放置して貰えば良かった。
あの時はまさかこんな所に連れて来られるとは思わなかったから、思わず雲雀のバイクを選んでしまったけれども。
途方に暮れて敷地内を見渡すと、中央に庭園がある。
背丈の高い草木が植えられ、所々に花が咲いていたりもする。
雲雀の趣味なのだろうか。
花々を愛でる様な人にはとても見えないが、日本にいた頃には一人で花見をしていたらしいと綱吉から聞いた事があるから、案外そうなのかもしれない。
その庭園の箇所だけやけに明るく、ハルは光に吸い寄せられる様に其方へと歩き出した。
程なくして着いた庭園は、ハッキリ言って迷路だった。
電灯のおかげで視界は明るいが、とてつもなく広い上に複雑怪奇な道筋で客人を惑わせる。
そんな庭園に入って30分弱。
「……出口が解らなくなっちゃいました」
一人呟くも、返事をしてくれる者はいない。
走ったり歩き回ったりしていたせいで、かなり足の裏が痛くなってきた。
それどころか、靴擦れしている様な気もする。
「痛たた」
仕方なくハイヒールを脱いで、素足を地面へと下ろす。
サラリとした砂の撒かれた地面は、意外にひんやりとしていて心地良い。
ペタペタと軽い足音を立てながら、ハルは再び出口を目指して歩き出した。
何処かでガードマンと出会えれば助けを求められるのだが…。
「誰かいませんかー」
もしかしたら近くに誰かがいるかもしれないと呼びかけてみるが、辺りはシンと静まり返ったままだ。
「誰かー」
少し声のトーンを大きくしてみるも、結果は同じ。
「どうしましょう」
ハイヒールを片手に提げ、頭上を見上げる。
星のひとつでも見えればそれを頼りに歩く事も出来るのだが、残念ながら分厚い雲は全く薄れそうにない。
「携帯電話ぐらい持ってくれば良かった…」
パーティ会場に入る前に、財布その他諸々の所持品は全て執事に預けてしまっていた。
綱吉の屋敷を出る時には何時も忘れず所持しているが、今回は余りに慌てていた為にそのまま預けっぱなしで出て来てしまったのだ。
深い溜息を吐いて項垂れた時、前方で草が揺れてカサリと音を立てた。
「あ」
それに気付いたハルは顔を輝かせて其方へと近付いて行く。
「誰かいますか?」
今も尚ユラユラと揺れている草の手前まで来ると、突然腕を思い切り引っ張られた。
「…わっ!」
そのまま草の中へと連れ込まれ、伸びてきた大きな手が口元を塞ぐ。
「―――っ」
背後から片腕で羽交い絞めにされた状態で身動きも取れず、相手の顔を見る事も出来ない。
けれど、これは明らかに雲雀の雇っている者ではないだろう。
殺意にも近い敵意がひしひしと伝わって来る。
ハイヒールが手から離れ、足元へと落ちて行った。
「静かにしろ」
やや訛りのある声だった。
「捕まえたか」
「あぁ」
ハルを押さえている人物とは別の声も聞こえてくる。
どうやら草陰に二人潜んでいたらしく、どちらも男の声だ。
「雲雀恭弥の女か」
「解らん。だが、此処にいるという事は何らかの関係はあるだろう」
「此処で始末するか?」
「…いや、もしかしたら抑制力になるかもしれん。いざという時の保険に連れて行く方が良いだろう」
男達はハルの頭上で声を潜めたまま会話を続けている。
それも相当不穏な内容だ。
男達は話に夢中で、ハルの表情に気付いていなかった。
会話を聞いて行く内に、ハルの顔は段々と冷静さを取り戻したそれへと変わって行く。
ハルはぐっと腹に力を込めると、唯一自由だった片足を振り上げ、男の向こう脛を踵で打ち付けた。
相手が女だと油断していたのか男の腕が緩んだ瞬間を逃さず、続いて肘鉄を相手の腹部へと叩き込み、前方に転がる様にして男達から離れる。
そのまま本日二回目の全力疾走で、庭園迷路の中を一目散に駆け出す。
背後から、既に声を潜める事を放棄した男達の怒声が聞こえてきた。
ハルは足の速さには自信があった。
元々運動神経は良い方だが、綱吉の秘書となってからは更に上達した。
マフィアのボスの秘書ともなれば、敵対するファミリーの格好の餌食になる。
それを見越したリボーンが、ハルを徹底的に教育してくれたのだった。
だからこそ、こういう襲撃にも慣れている。
…が、生憎と携帯と共に武器は綱吉の屋敷に置いたままだ。
しかもドレスが、走る速度を邪魔するかの様に足に纏わりついて来る。
敵も相当に訓練された者であるらしく、ハルとの距離は徐々に狭まってきていた。
「…っきゃ」
焦りが募り始めた頃、とうとうドレスに足をとられ、ハルは走っていた勢いそのままに地面へと転倒した。
咄嗟に片腕を軸に身体を支えたものの、立ち上がろうとした時にはもう目の前に先程の男達が立っていた。
ゴリ、という音と共に額に銃口の感触が伝わって来る。
「………」
無言で男達を睨み付ける。
「手間をかけさせるな」
僅かに息を乱しながらも、その銃口はピタリとハルの額につけられたまま揺らぐ事はない。
「貴方達、何者ですか」
怯えを悟らせない様に、しっかりとした口調でハルは問いかけた。
銃口を押し付けている男の口端が上がる。
「お前が知る必要はない」
優位を確信した笑みだった。
その時、ハルは男達の背後に立つ人物に気付いた。
何時から其処にいたのか、実際に目を向けるまで解らなかった。
気配もなく佇む姿に、ハルの表情が驚きに変わる。
それに気付いた二人の男は、同時に振り返った。
ハルに向けていた銃口も額から外れる。
「人の家で何やってるのか知らないけど」
漸く自分の方を向いた男達に、トンファーを両手に提げたこの家の主は笑った。
「ようこそ我が家へ。歓迎するよ」