夢見る来訪者
部屋の中に、少女が一人寝ていた。
正確にはベッドの上で、子猫の様に丸くなって。
「………」
自然と閉まった扉を再び手動で開き、廊下に面している扉のプレート番号を確かめる。
蛍光灯に反射して輝く白いプレートには、間違い無く自分の部屋の番号が刻まれていた。
「おかしいな…」
部屋の中へと戻ったスパナは、一人呟くと壁に取り付けられたパネルを簡単に操作し、モニターを起動させた。
薄暗い室内に、明るい光が浮かび上がる。
眠っている少女の方まで光は届いている筈だが、彼女が目を覚ます様子は無い。
遠目だからハッキリとは見えないが、幼い顔立ちからして恐らくはまだ10代前半ではないだろうか。
一体何故、こんな子供が自分の部屋にいるのだろう?
この組織に入ってからというもの、毎日機械弄りに明け暮れていた為、知り合いは少ない。
当然、その数少ない知り合いの中に彼女は含まれて居ない。
恐らくは何度も寝返りを打ったのだろう、少女のポニーテールにされた黒髪は乱れに乱れ、シーツの上に散らばっている。
モニターの作動音にすら目覚めない所からして、どうやら相当深い眠りについているらしい。
規則正しい寝息が、静かに耳に届く。
軽く揺さぶりでもすれば流石に起きるだろうが、何となく此方からは近寄り難く、取り敢えずは上の指示を仰ごうとモニターへと向き直った。
「…これは、参った…」
部屋を間違えるにしても、こんな機械だらけの部屋が他にもあるとは思えない。
何処ぞの研究室、又は作業場だとすればまた話は違って来るのだが…。
此処数日の間、自室に戻って来なかったのが原因だとしたら、無人の部屋を狙ってこの少女は此処に入り込んだ事になる。
もしかすると、厄介な騒動に巻き込まれる恐れも出てくるかもしれない。
「――どうかしたのか?」
何度か呼び出し音が鳴った後に漸く出た相手は、焦りの色を前面に出したまま画面上に映し出された。
「何でか知らないけど、ウチに―――あれ、間違えた…。ブラックスペルの方に繋いだと思ったんだけどな」
「何だそれは。今は人探しで忙しいというのに…っ」
苛立たしげに応えた相手、入江正一の姿に頭をカシリと掻く。
その拍子に、厚手の手袋から、引っ掛かっていた小さな部品が剥がれ落ち、床に転がった。
コロコロとベッドの方へと転がっていくそれを目で追いかけると、漸く目が覚めたらしき少女と視線がかち合う。
「……っ」
ビクリ、と少女の肩が大きく揺れた。
彼女の視線は、真っ直ぐモニターへと向かっている。
画面に映っている唯一人の男、正一を怯えた様に見つめた後、少女は毛布を頭から被ってしまった。
「………」
やはり訳有りか。
すっかり蓑虫状態になってしまった少女を見ていると、背後からは怒鳴りながら指示を誰ぞへ飛ばしている正一の声が聞こえて来た。
「全く…まぁ良い。それよりスパナ、さっきまで整備中だったのか?」
「うん。5分前まで持ち場にいた」
蓑虫から視線を外すと、モニターへと向き直る。
どうやら正一の方は、少女に気付いていない様だ。
部屋が暗いせいもあるのだろう。
モニター越しでは更に視界が悪くなるので、見えなくても当然といえば当然である。
「それなら部屋に戻る途中、14歳ぐらいの子供を見なかったか?女性で、ポニーテールの髪型をしてるんだけど…」
「…ポニーテール…」
チラリ、と視線をベッドへと向ける。
この会話が聞こえているのか、蓑虫は先程からずっと震えていた。
「心当たりでも?…部屋に誰か居るのか」
スパナの様子に、正一が僅かに身を乗り出す。
目元に不穏な光を宿した男に小さく笑い、ゆるりと首を振って見せる。
「いや、残念ながらそんな子は見てない。…居るのは新しく作ったばかりのモスカだけど、見る?」
「…そうか。いや、新型というのは興味深いが、今は時間がなくてね。また今度見せて貰うとするよ」
本気で急いでいるらしく、正一は挨拶もそこそこに通信を遮断した。
何も映さなくなったモニターに溜息を一つ零し、両手に嵌めていた手袋をゆっくりと抜き取る。
「さて…」
咄嗟に嘘を吐いてしまったものの、これからどうしようか。
元々少女の事を報告するつもりで点けたモニターだったのだが、今更ブラックスペル司令部の方へと連絡する気も起きない。
面倒事は、成るべくなら遠慮したいのだが…。
手袋をその辺に放り投げ、ベッドへと近付く。
「入江正一が探してるのは、あんた?」
毛布の上から蓑虫を叩くと、それは一際大きく震えた。
その反応の良さに目を見開くと、思わず出した手を引っ込める。
機械とは全く違う感触が手の平に残り、想像以上の柔らかさに思わず自分の手を凝視してしまう。
自分以外の人間に触れたのは、凡そ1年ぶりぐらいだ。
「………、……」
まじまじと手の平を見詰めていたその時、蓑虫が初めて喋った。
ぼそぼそと小さな声が、毛布の隙間から聞こえて来る。
「聞こえない。何て言った?」
僅かに覗き込むと、蓑虫は人間の顔を毛布の隙間からそっと覗かせ、震える唇を開いた。
「ハル…。あんた、じゃなく…ハルです」
「それは、名前?」
「はひ」
此方に害意が無いのを見て取ったのか、ハルと名乗った少女はもそもそと蓑虫の殻を抜け出す。
「それじゃハル。何でうちの部屋にいる?」
僅かに警戒心の残っている顔を見遣ると、ハルは困った様に視線を逸らした。
「それは…此処は空き部屋だと思ったので…」
「こんな機械だらけなのに?」
「人が居ませんでしたから。それに、鍵も掛かっていなかったので…すみません」
「いや、別に責めている訳じゃないけど…」
困った様な表情でスパナは作業着のポケットを探り、中から二本の飴を取り出した。
最早癖になっている飴の封を切り、口に銜えて頭を落ち着かせようと試みる。
「食べる?」
もう一本をハルへと差し出すと、キョトンとした幼い表情が返って来た。
「はひ。…良いんですか?」
「良くなかったら、最初からあげたりしない」
ハルの手に飴を押し付けると床の上に直に座り込み、近くに放り出していたノートパソコンを引き寄せる。
「それで…何で入江正一は、あんた――ハルを追っているんだ?」
使い古されたパソコンへと今日までの作業工程を打ち込み、最終チェックまでの段取りを簡単にプログラム上に組み込んで行く。
カタカタとキーボードを叩く手を止めないまま、スパナはハルに視線を向ける。
受け取った飴を不思議そうに眺めていたハルが、その言葉に気まずそうに包装紙を破って首を振った。
「それはハルが聞きたいです。そもそもハルは、無理矢理此処に連れて来られたんですし…」
「誘拐?うちはそんな事する組織じゃなかったと思ってたけど…」
「でもハルはされました!…それで、逃げようとグルグル回ってる内に、この部屋に辿り着いて…」
後は、疲れて眠ってしまったという訳だ。
美味しそうに飴を舐めているハルからパソコンへと視線を移し、打ち込み作業の続きに取り掛かる。
本来ならば、こんな事をしている場合では無い。
正一の探し人がこのハルという少女であるのならば、直ぐにでも連絡して引き渡すべきだった。
ホワイトスペルの上層部と揉めるのは正直御免被りたい事だ。
しかし、どうにもその気が起きてくれない。
厄介ごとを背負うと承知の上で、スパナの身体はモニターの方へは近付こうとしなかった。
視線すら、其方へ向こうとしないのだ。
意識して向けようとしても、目はパソコンのディスプレイから動こうとしない。
「本当に、参ったな…」
明日からも、新型モスカの調整をしなければならない。
これからが肝心な時だというのに…。
口に含んだ飴を、カシリと二つに噛み砕く。
綺麗に飴が剥がれ落ちた細い棒が、自然と床の上へと落ちて行く。
特別それを拾う事もせず、打ち込みの終わったパソコンを床上に戻すと、ベッドの上で眠るハルを見上げた。
一体どれだけ逃げ回っていたのか、飴を舐め終わった途端に再び眠りの世界へ落ちてしまったハルに、ゆっくりと立ち上がり、そっと片手を伸ばして毛布を掛け直す。
この十数分の間に警戒心が完全に解けたのか、それとも疲労がピークに達していたのか、今度はハルも目覚める事はなかった。
完全に占領されてしまったベッドを見遣ると、シーツの上に転がっている幾つもの部品を払い除けておく。
「もう少し綺麗な場所を選べば良かったのに…」
ボソリと呟くと、念の為に床上にある危険物もベッドから遠ざけて置いた。
軽く手を払い、ぐっすりと眠る少女を見て、次に床の上に視線を落とす。
「ま、良いか」
無造作に投げ出していた予備の毛布を引っ張ると、スパナはそのまま床上にゴロリと横になった。
「起きてから、また考えるとしよう…」
正一に連絡するか、それとも…。
ろくに眠っていなかったツケが回ってきたらしく、其処まで考えた所で意識が波に浚われる。
「まだ見つからないのか!」
正一の怒鳴り声が室内に響く。
「はっ、総出で探してはいるのですが…如何せん、廊下のモニターにも映っておらず…」
白い制服を着た一人が所在無げに返すと、正一は歯をギシリと鳴らして椅子に腰を落とした。
「…くそ、何処にいるんだ?」
片手で頭を抱えると、卓上に据え付けられているモニターに指先を伸ばす。
手荒く操作を施すと、一日前の監視モニターの一角が映し出された。
真っ白な部屋で、何やら喚いている一人の少女。
必死なその様子からして、音声を出さずとも「此処から出して下さい!」と言っているであろう事は、容易に汲み取れる。
ソファやクッション、居心地の良い寝椅子等は用意されてはいたが、窓すら無いその部屋には、出入り用の扉一つしか無く、明らかに生活には不向きの場所だった。
それもその筈、此処は一時的に彼女を閉じ込めておく場所だったのだから。
彼の元へと連れて行く為の、臨時スペース。
小型テーブルの上に置かれているティーセットには手もつけず、ただただ監視カメラに向かって叫んでいる。
が、それも効果が無いと悟ったのか、突如として叫ぶのを止めると、テーブルへと目を向けて何やら考え始めた。
その顔つきからして、早々に諦めたとは考えにくい。
何としてでも此処から脱出する、少女にはそんな意気込みがありありと表れていた。
そしてその後の行動に、正一は思わず額を押さえて溜息を吐く。
少女は茶器を落とさない様にテーブルクロスを引き抜くと、それを監視カメラに向かって投げつけたのだ。
監視しているのを解らせる為、わざと目に見える壁に取り付けるタイプのカメラを使っていたのだが、それが仇となってしまったらしい。
クロスは見事にカメラに引っ掛かり、映像は瞬時にして白く塗り潰されてしまった。
彼女のその後の行動は、監視員の報告を受けて部屋に出向いた2名の警備員が物語っている。
彼等は監禁しているのがまだ子供だと言う事も有り、完全に油断していたという。
よって、扉を開けた瞬間に振り下ろされたトレイが避けきれなかった。
それだけならまだしも、顎の斜め下からアッパーまで食らわされ、顔面にトレイ殴打を食らった直後のこのコンボ攻撃に、警備員は一瞬目の前が見えなくなってしまった。
もう一人の警備員は、連続攻撃によろめいた相棒に押されて身動きが取れず、その合間に少女は部屋から脱走してしまった様だ。
直ぐ様警報を鳴らしたものの、時既に遅く、彼女の行方はそれから掴めない。
廊下にも幾つか監視モニターを設置してはいるが、そのどれにも映っていないのだ。
何処をどうやって逃げているのか、それすらも解らない。
苦渋に満ちた表情で、監視員と警備員の両名の報告を思い返していると、不意にモニターが自動的に切り替わった。
「凄い顔してるねー、正チャン」
その声にギョッとしてモニターを見遣ると、組織のトップがにこやかに笑っている姿があった。
「びゃ、白蘭サン…」
「聞いたよー。彼女に逃げられちゃったんだって?正チャンでもそんな失態するんだね、ちょっと意外だったかな」
クスクスと声を立てて笑う上機嫌な顔に、しかし安堵する事は出来ない。
「…すみません。直ぐに見つけますので」
「うん、宜しく。でもまぁ急ぐ事でもないから、のんびりで良いよ。外に逃がさなければ、何時でも捕まえられるだろうし」
その言葉に含まれた、「決して外には出すな」との命令に、正一は顔を強張らせる。
そうだ。
この地下建物に居る限りは、何れ必ず見つかるだろう。
けれど万一、外に逃げられれでもしたら、捕獲は一気に難しくなる。
外にはボンゴレの手も広がっているのだから。
「…はい」
重々しく頷くと、白蘭はヒラヒラと手を振ってモニターから消えた。
元の画面に戻ったモニターに、正一はじっと視線を注ぐ。
「早く見つけないとな…」
低く呟いた声が、妙に大きく響いた。