もゆる想ひを









付き合って一年と少し。
相手は高2で自分は高1。
最近のカップルとしては、年齢的には余りおかしくはない頃だろう。
それでもまだ、手を握った事すらない。
キスなんて夢のまた夢の話だ。
その先なんて、とてもとても…。
これは同年代の恋人同士から見れば、一体どんな風に映るのだろうか。




「んー、やっぱりするよぉ。週に一回ぐらいの割合で」
仲の良いクラスメイトが放課後の教室に集まり、それぞれの経験談に花を咲かせていた。
彼氏との素敵な夜、大人への一歩、深まる知識。
男子生徒の居ない、寧ろ居たとしても居心地の悪いであろう、そんな話が教室内を飛び交う。
そんな中、何とハル一人が未経験だという事が発覚した。
他の恋人持ちの娘達は全員経験済みで、それはそれは幸せな時間だったと語っている。
「キスもしてないの?」
「はひ…。それどころか、最近は忙しいみたいで一緒に帰る時間も減りました…」
ハルは机に突っ伏し、がっくりと落ち込んでいた。
せっかく一緒の高校に通える様になったというのに、中学時代と同じく風紀委員長になった雲雀は、とてつもなく忙しい日々を送っている。
お陰で、ここ一週間はまともに話すらしていない有様だ。
「それはちょっとまずいかもー」
「そーそー。ちゃんと繋ぎ止めておかないと、雲雀さんって結構女子から人気あるから、とられちゃうかもだよ?」
「だよねー。普段怖いけど、顔は格好良いもん」
「は、はひー…。そんなに人気あるんですか?」
次々と雲雀を評していくクラスメイトを見つめ、ハルは驚いた様子で目を丸くしている。
「当ったり前じゃん。怖いけど、其処が良いって子も一杯いるんだよ?」
「ハルー。こりゃうかうかしてらんないね」
うりゃうりゃ、と肘で背中を突っつかれ、ハルはますます落ち込んだ。
「でも、どうすれば良いのか…」
「そんなの決まってるでしょー。自分から離れていかないぐらい、相手をメロメロにさせるの!ま、
手っ取り早いのはやっちゃう事なんだけどね」
「や、やっちゃ…」
「まぁ、それが一番だよね。どんなに潔癖そうに見えても、普通の男子はやりたいって思うもんだし」
「逆に思って貰えないと、こっちが不安になっちゃうぐらいだよね」
「え、えぇぇ!?そ、そんなものですか…?」
「うん。だって、私に興味ないのかなーって思っちゃうもん。……あ、あくまで自分はーって話だよ。雲雀さん、良く解んないとこあるし、もしかしたらハルの事大事に思って手を出してないだけなのかもしれないし」
話を聞いている内に徐々に青ざめ始めたハルに気付き、一人が慌てて弁解しようと言葉を継ぎ足して行く。
が、当の本人は殆ど聞いていない状態だった。
「………」
「は、ハルー?」
真剣に考え込んでいるハルを一人が覗き込むが、じっと自分の考えに没頭しているのか気付く様子がない。
「…た」
「え?」
「解りました、やってきます!」
「へ…」
だから突然ハルが立ち上がり叫んだ時には、その場にいた全員が絶句してしまった。
視線を一身に集め、握り拳をしたハルの顔には揺ぎ無い決意が浮かんでいる。
「ハル、そんなに焦らなくても…」
「いえ、思いついたら即実行です!タイムイズマネーです!!」
「ちょっ…ハル!?」
止め様とする手を振り切り、ハルは鞄を掴むと急いで教室から出て行こうと背を向けた。
一同が呆然と見送る中、しかし何かを思い出したかの如く、扉の所で一度振り返り頭を下げる。
「みんな、有難うです!」
それだけを言い残すと、すぐに踵を返してハルは今度こそ教室から出て行った。
その後姿に、ポツリと一人が零す。
「やってきますって…まさか、今から?」
その言葉に皆が笑う。
まさかー、と言い合いながらも、その笑いは何処か引きつっていた。
心から笑い飛ばせないぐらいには、その場にいる全員がハルの性格を良く知っていた。




だかだかと廊下を走って来る足音に、雲雀は書類から顔を上げた。
この足音には非常に聞き覚えがある。
上等な材質で設えられている扉に視線を向け、果たして暫くしない内にそれは大きく開かれた。
「ヒバリさん!」
扉を開けた格好のまま其処にいたのは、予想通りの人物だった。
「何?」
再び書類に視線を落とせば、ハルは扉を閉めて室内へとズカズカと入って来る。
その表情は何処か怒っている様にも見えたが、恐らくは違うのだろう。
ハルがこういう顔をする時は、大抵がろくでもない決意を固めている時だ。
「ヒバリさん、お話があります!」
執務机の向こう側で立ち止まり両手を勢い良く机につくと、彼女は案の定そう切り出してきた。
何を言い出すつもりなのかは知らないが、今はとてつもなく忙しい。
視線を再び書類に落としたまま、雲雀は話を続ける様に促した。
その態度が気に食わなかったのか、ハルは更に声のトーンを上げる。
部屋には自分と目の前の少女しかいない為、その声は室内に良く響く。
当然、雲雀の脳内にも嫌という程響いている。
「大事なお話なんです!ちゃんとこっち見て下さいよ!!」
「今の僕には、この仕事も大事なんだけど」
「…う…。そ、それじゃお仕事終わるまで待ってますから、終わったら聞いてくれますか?」
うんざりした口調を隠さず返事をすると、ハルは不満そうに、だが口をへの字に曲げて引き下がった。
雲雀の顔に、濃い疲労の色を認めたせいだろう。
「遅くなってもいいならね」
「待ってます」
「そう。それじゃ、其処に座ってたら」
「はひ」
素直に示された高級な皮ばりのソファへとハルは腰を下ろす。
硬そうに見えて意外に柔らかいそれは、雲雀が良く使用している物だった。
最初の凄みは何処へやら、ハルはフカフカのソファの上で軽く跳ねて遊び出した。
漸く静かになった相手に溜息を吐くと、今度こそ雲雀は仕事を片付け始めた。
黙々と、しかし確実に仕事をこなす雲雀を見つめ、ハルは僅かに動悸の高まっていた心臓を押える。
勢いだけで此処まで来てしまったものの、実際本人を目の前にすると勢いを失った今、どう切り出して良いのか解らなくなってしまった。
まさかいきなり『抱いてくれ』なんて言える訳もなく…。
けれど、クラスメイト達の体験談や忠告が耳について離れず、このまま帰るのも嫌だった。
鞄を太腿の上に置き両手で抱きしめ、じっと雲雀の顔を眺める。
恋人同士になったとはいえ、付き合う前と然程変わらない関係。
その事を彼は一体どう思っているのだろう。
もしかすると、クラスメイトが言っていた様に、自分に興味がないのだろうか。
そう考えると不安が募り、鞄を抱きしめる腕に自然と力が篭る。
壁に掛かったシンプルな時計の針が、静かな室内にカチカチと時を刻む音を染み込ませた。


静かな時間が二時間ばかり過ぎ、漸く片付いた書類から雲雀が顔を上げると、ハルはソファに埋もれたまま眠っていた。
「……三浦」
雲雀は執務机から離れソファの横に立つと、そっと身をかがめてハルの寝顔を覗き込む。
閉じられた瞼は雲雀の気配に開く事もなく、その口元は小さな寝息を立てている。
ハルの両手はしっかりと鞄を抱きしめたまま、身体を深くソファに沈ませて心地良さそうな表情を浮かべていた。
「あれだけ騒いでいたのに、よく眠れるよね。話はどうしたのさ」
ボソリと呟くと、雲雀はそっと片手を伸ばした。
そのままハルの前髪に触れ、小さく目元を和ませる。
かと思いきや、その指先はそのままハルの額にデコピンを食らわせていた。
「痛!!」
急に襲い来た刺激に、ハルは小さく叫ぶと目を覚ました。
「あ、ヒバリさん…」
「何呑気に寝てるの。話があるんじゃなかったのかい?」
呆れた表情で見下ろしてくる相手に気付くと、僅かに寝ぼけていたハルの頭は完全に覚醒した。
「はひ…。もうお仕事は終わったんですか?」
「見ての通りだよ。で、話って何?」
寝る前に見た、山と積まれていた書類は既に一枚もなく、そして時計もまた既に8時を過ぎていた。
「あの、えぇとですね…」
何時の間にか寝てしまっていたという事実が、只でさえ言いにくい言葉を更に口にし辛くさせた。
ハルがもごもごと口篭っていると、雲雀の顔に不機嫌そうな表情が浮かぶ。
「話がないなら帰るよ」
「え、あっ。ま、待って下さいー!」
本当に部屋を出て行こうとする雲雀の羽織っている学ランの袖を掴み、ハルは必死の形相で引き止めた。
思い切り引っ張ったせいで、雲雀の肩から学ランが滑り落ちハルの手に残る。
軽くなった肩に嫌そうに振り返る雲雀の前に立ち、殆ど睨む様な形でハルは真剣な視線で相手を見つめる。
「ヒバリさん、キスしませんか?」
「………」
唐突な言葉に、雲雀は怪訝そうに片眉をあげた。
けれどじっと返事を待つハルの顔に、本気の色を見て小さく息を吐く。
「随分と突然だね」
「い、いけませんか?」
「…別に良いけど」
何時もと全く変わらぬ表情で応えると、雲雀は片手をハルの頬に添えた。
あっさりと了承を貰い、逆に驚いてしまったハルに構わず、そのまま顔を近づける。
ギリギリで我に返ったハルが目を閉じた瞬間、二人の唇が重なった。
そっと口付けるだけの軽いキスではあるが、初めての感触にハルの身体は震えた。
柔らかな電流が走った様なそんな甘い感触に、手から鞄が滑り落ちた。
辛うじて学ランだけは捕まえたものの、全身に走った感覚が手を震わせている。
長いようで短いファーストキスの時間は、雲雀が顔を離した瞬間に終わった。
「それじゃ帰るよ」
ぼうっとした表情のハルは、しかし雲雀のそんな言葉に一気に冷めた。
幸せだと感じたのは自分だけだった様で、雲雀の態度は普段と同じで変わった箇所は見られない。
キスの余韻を味わう事もなく、まるで何事も無かったかの様に学ランをハルの手から取り、無言で羽織り直している。
「ヒバリさんは…」
「?」
ショックの余り、ハルの声は震えた。
何も感じていない様子の雲雀の態度が酷く悲しくて、今にも泣き出しそうだった。
握った拳が、意思に反してブルブルと小刻みに震える。
「ヒバリさんは、そんなにハルに興味がないんですか?」
搾り出す様にして口にした言葉は、弱々しかったが雲雀の表情を変えるのには十分なものだった。
「何それ…」
「だって、ヒバリさん全然何もしてくれないですしっ。今だって、…キスしても、何も……っ」
ハルは俯いたまま、言葉を次々と吐き出した。
気を抜けば溢れそうになる涙を堪えるのに精一杯で、だからこそ気付かなかった。
ハルの言葉を聞いている最中、雲雀の表情が段々と不穏で冷たい容貌へと変わっていた事に。
「解った」
酷く低い声にハルが顔を上げた時には、雲雀は羽織ったばかりの学ランを床に放り出していた。
バサリと乾いた音が、酷く無機質に耳に届く。
「ヒバ…」
「煽ったのは君だ。手加減する必要ないよね」
ぐいとネクタイに指を引っ掛け緩めながら、雲雀が一歩踏み出す。
床を鳴らす冷たい靴音に、ハルは後悔した。
知らず、足が雲雀から逃れようと動く。
けれどそれより早く雲雀の手がハルの肩を掴んでいた。
「あ、の…」
雲雀の冷たい視線を受け、ハルの中に恐怖が芽生える。
こんな表情は今までに一度も見た事がない。
ハルの知らない、男の表情だった。
掴まれた肩を強く押され、自然とハルの身体はソファの上に逆戻りする。
浮遊感と背中に当たる柔らかい感触。
「ヒバリさん…っ」
圧し掛かってくる身体に、ハルの身体が硬直する。
恐怖をハッキリと顕した表情を見下ろし、雲雀は嘲笑する様に口端を上げた。
「君から言い出した事だよ」
先程とは違う意思を持って、雲雀の指先はハルの頬を辿る。
ハルの怯えた表情に雲雀は薄く笑ったまま、片手で器用にリボンを解いた。
布が擦れ合う音にすら反応して、ハルはビクリと肩を揺らした。
「ごめ、なさ…」
「謝る必要なんてない。…大丈夫。途中でやめたりしないから、安心して」
君の望み通りに。
雲雀はハルの耳元で小さく囁くと、怯えた表情に口付けを落とした。







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