うしと見し世ぞ今は












雨が降る。
犯した罪を詰る様に、憤りの粒が頭から爪先までを覆い尽くして行く。
じわり、じわりと身体の感覚が無くなって行く恐怖。
これは我を失う恐れでは無く、目の前に転がる凄惨な死体を目の当たりにしたせいなのだろう。
火を噴いた銃身と共に、指先が徐々に凍えて動かなくなる。
人差し指は引き金に掛かったまま。
とても、とても軽い鉄の感触。
黒塗りの銃身はこんなにも重くて仕方が無いのに、人の命を奪った発射装置はまるで羽の様だ。
この自分に、躊躇う暇すら与えてくれなかった程に。
あぁ、何て呆気無い幕切れなのだろう。
こんなにも簡単に、彼は死んでしまった。
この世の誰よりも愛しい、私の上司。

「ツナさん…」

久しぶりの呼称を敢えて口にしてみる。
じんわりとした優しい気持ちが、頭の中を麻痺させて行く。
楽しい思い出だけが蘇り、辛い記憶は全て心の底へと沈殿してしまった。

「ツナさん…ハルは………」

それなのに。
それなのに、どうして、こんなにも目が熱くて仕方が無いのか。
楽しくて嬉しくて幸せなこの状況で、どうして涙が溢れ出してくるのか。

「ハルは…」

雨が降る。
この身を呪ってでもいるかの如く、足を地に張り付かせたまま動かない。
雨が降る。
熱に浮かされた様に天を仰ぐと、大量の雫が顔を打ち付けて行った。
雨が降る。
どんなに噎せても、冷たい罪業の弾丸は止む事が無い。
雨が降る。
どんなに泣いても、地に伏せた彼は生き返らない。

雨が降る。
雨が降る。
雨が降る。

何て冷たい世界。
何て重苦しい処。
何て閉鎖的空間。

自分はこんなにも寒い場所に、永遠に置き去りにされてしまったというのに。

「…それでも、ハルは後悔してないのですよ…」

貴方を殺した事を。
貴方を裏切った事を。
貴方を失ってしまった事を。

「さようなら」

別れの言葉を口にした瞬間、脳裏を横切った一つの影。
それは、この二週間の間全く話す事の無かった、今この瞬間まで思い出す事も無かった、煙草に火を点けている彼の姿だった。






「ん、くぅ…っ、ぅあ、あっ」
ギシギシとベッドが悲鳴を上げている。
まるで獣の様に背後から貫かれ、堪えきれない唾液がシーツへと染み込んで行く。
頭の奥がやけに重い。
摩擦で熱く火照っている下肢とは裏腹に、冷たい塊が押し込まれた様だ。
闇に、犯される――そんな感覚。
「今日はやけに元気ないね。何時もはもっと善がるのに」
パシンと軽く臀部を叩かれ、反射的に異物を締め上げてしまう。
きつくなった膣内に、背後から被さっている男の喉が小さく鳴った。
「ホラ、鳴いてよ。そんなんじゃ楽しめないでショ?」
クスクスと口元に笑みを佩いたまま、男が腰の律動を速める。
奥を穿ち突き上げる動きに、ハルの身体が激しく揺れた。
「ぁあっ!…っは、ひ…ん、ゃ…めっ」
爛れてしまいそうな熱源が、閉じた瞼の裏側に火花を散らせる。
今にも音が聞こえてきそうな程のそれに、必死で歯を食い縛って耐えようと試みる。
けれど相手がそれを許す筈も無く、長い指先が噛み締めた歯を無理矢理に抉じ開けて来た。
「相変わらず気が強いよね。今日は特に――かな?」
にち、と粘着力の強い音を立てて、男の動きが止まる。
その言葉に、ハルの目が薄っすらと開かれた。
「ちゃんと彼を殺せたご褒美をあげなくちゃね。ハルは何が欲しいのかな?」
背後から覗き込んで来る顔を、ハルはぼんやりと膜の掛かった目で見上げる。

「貴方の命」

とても冷ややかなハルの視線を、男は平然と受け止めた。
「残念、それは無理。僕まだ死ねないし」
「…ひ、ぁっ」
突如として腰を突き上げられ、ハルの両手がシーツを掴む。
「だから他のにして。ね?」
ヌチュヌチュと淫猥な音を立てて内壁を擦り上げながら、男はハルの背中に軽いキスを落とした。
「ぃ、あ…っ。ほ、…他、のなんて………っな、ぁあっ」
「ん。欲しいのは僕の首だけ?それはちょっと光栄」
「…白、蘭さん…っ。も、終わって……下さっ、………」
達しそうになる瞬間を見計らい動きを止める相手に、ハルの声が懇願の色を帯びる。
「あぁ、辛い?」
「……っ、ぅ」
白蘭と呼ばれた男は小さく笑うと、目の前でか細く震える腰の括れに両手を当て、一気にその身を反転させた。
挿したままの己自身が、妙な角度でハルを苛むのを承知で。
「―――ぁああっ!」
その刺激に堪え切れず、とうとうハルは噎び泣いた。
一気に押し寄せた快楽の渦が、ビクリ、ビクリと全身を痙攣させている。
「やっぱイイね、ハルのその顔」
舌なめずりをした白蘭が、今度は真正面に向き合った身体に深く圧し掛かる。
絶頂を迎えたばかりの内壁に、更に硬度を増した自身を緩く動かす。
白蘭は笑みを刻んだ表情のまま、ゆっくりとハルの顔を覗き込んだ。
「やっ、ゃあっ」
唇が触れ合う寸前で顔を逸らせて逃げ様とするハルに、しかし今の彼が拒絶を許してくれる筈も無い。
白蘭の指先がハルの顎を捉えると、呆気無く唇が塞がれてしまう。
生暖かな舌が歯列を辿り、奥へと引っ込んだハルの怯えをしっかりと絡め取る。
「…ん、ぅく。ぁ、…」
とろりとした甘い唾液がハルの口腔を満たして行く。

「それじゃ、欲の無いハルへ僕からのご褒美」

ぼそぼそと耳元で囁かれた言葉に、ハルは息を呑んだ。
「それは、本当…ですか?」
「勿論。君には先の見えない話かもしれないけど、ね」
クスクスと笑う相手の目は、少なくとも嘘を吐いて居ない事は見て取れた。
ならば、きっと本気なのだろう。
ハルは尚も言葉を続けようとしたが、白蘭の動きにそれは阻まれてしまう。
敏感な陰核を指先で捏ね繰り回され、だらしの無い嬌声が口をついて出る。
「んぁ、あっ。あ、ぅ…」
「ハル。僕は君を気に入っているんだよ」

だから、失望はさせないでね。

声無き言葉を汲み取り、ハルは視線を交える事でそれに応えた。





窓枠についた片手を、ひんやりとした風が撫でて行く。
もうじき夏を迎えるというのに、この地域ではカレンダーが無ければそれすらも解らない。
夜中ともなれば、まるで真冬の様に足先が凍えて紫色へと変色してしまう。
尤も、それは気温のせいだけとも限らないが…。
「獄寺さん。命という物には一体、どんな意味があるのでしょうか?」
小さな呟きがハルの口から漏れた。
そんな、まるで謎々の様な問い掛けを、彼にした事がある。
ハルは目を閉じて静かに笑う。
まだあれから二週間しか経って居ないというのに、もう何十年と昔の事の様に記憶が曖昧だ。
それは単に思い出せないだけなのか、それとも――。
「風邪ひくよ」
突如として思考に割り込んで来た声に、ハルはゆらりと視線を其方へと向けた。
「入江さん…」
気付けば、隣には眼鏡を掛けた青年が立っていた。
ハルと同じく、窓枠に片手を掛けて沈み行く夕日を眺めている。
「後悔、してる?」
視線は外に向けたまま、入江正一は小さく尋ねた。
それが何を指しているのかは、聞き返さなくても解る。
「いいえ」
「…何故?君は沢田綱吉の事を愛していたはずだ」
「違いますよ」
即座に返って来た言葉に、正一の目が見開かれる。
「違わないだろっ!?」
勢い良くハルを振り返り、正一は言葉を失った。
夕日に照らされ紅く染まったハルの顔は、まるで聖母の様に慈愛で溢れている。
とてもでは無いが、人一人を殺した後の人間の表情とは思えない。
「違いますよ」
同じ言葉を繰り返す姿に、正一は一瞬の眩暈を覚えた。

…彼女は、こんなにも綺麗だっただろうか。

夕日が見せる錯覚にしては、異様なまでの美しさだ。
以前までの、泣き喚いて自分に突っ掛かって来た、あの彼女と同一人物にはとても思えない。
「愛していた、ではありません。愛している、ですよ」
可笑しそうに笑って訂正するハルに、正一は軽く息を呑んだ。
「今も?」
「はい、ずっと。…ハルが無くなるその時まで、永遠にです」
どうして、と続けようとした言葉は、夕日と共に掻き消されてしまった。
無意味な事を尋ねる程、自分も愚かでは無い。
完全に辺りが闇に沈んでしまった中でも、ハルは神々しいまでの笑みを浮かべている。
その表情が悟りを開いた僧侶の物と酷似している事に、正一は其処で初めて気付いた。
「ハル。一つ聞いて良いかな?」
「はい、何ですか」
向き合った顔が、妙に強張るのを感じる。
それでも出掛かった疑問は、そのままスルリと舌の上を滑り抜けて空中へと躍り出て行く。
「君にとって、この世界は何?」
我ながら定義が曖昧過ぎる質問だと思う。
しかし、ハルの返事には一切の迷いが無かった。



「愛しい幻想です」









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