うしと見し世ぞ今は5











雨が止まない。
此処数日もの間、天の嘆きは延々と降り続いている。
パタパタと雨粒を弾く音があちらこちらで鳴っていた。
傘を片手にした人々が見守る中、沢田綱吉の葬儀は淡々と行われていく。
沢山の花に囲まれ、棺の中で静かに横たわる姿に、すすり泣く者の姿もある。
マフィアとしては優し過ぎるぐらいに優しかった綱吉は、多くのファミリーに好かれていた。
それがボンゴレの面々だけで無い事は、葬列に参加している者の数からしても解る。
黒一色で埋め尽くされた墓地は、傍から見ればとても幻想的だ。
まるでこれは全て誰かの見ている夢で、自分はその世界の住人の一人に過ぎないのではないか、そんな馬鹿げた考えが頭に浮かぶ。
棺の中に居る綱吉が、本当に安らかな表情をしているのだから尚更だ。
只単に眠っているかの様な、綺麗でいて幸せそうな寝顔。

―――ほら、今にも起き上がってきそうじゃないか。

決して有り得ない幻覚が、引っ切り無しに脳内の中へと映し出されて行く。
閉じているその目が開いて、何事も無かったかの様に綱吉が笑う、…そんな情景が。
「風邪引くぞ…」
顔を顰めた瞬間、横から傘が差し出された。
視線を向けずとも声で解る。
「山本…か。ンなもん、今更だろ」
笑って己の着ている服を見下ろす。
傘を差さなかったせいで、衣服は既にズブ濡れだ。
じっとりと水分を含んで重くなったそれが、以前ハルが用意してくれたスーツだと遅れて気付く。
「………」
自然と、片手が襟元を掴んで震えた。
「ツナの顔、最後に見ておかなくて良いのか?」
「…あぁ」
遠く離れた位置にある葬列を眺め、獄寺はしっかりとした声で呟いた。
その目に宿る光を横目で見ると、自分の傘と獄寺に掲げている傘を両手にした山本は、視線を前方へと戻す。
「そうか」
短い言葉の遣り取りが、雨に溶け込む。
人々の嘆きの声の届かぬこの場所こそが、今の自分に相応しい場所だと、獄寺はそう感じていた。
「―――あのな」
そんな彼に話しかける山本が、少々言い難そうな口調で再び口を開く。
「こんな時に何だけどな。…お前、木蓮という男を知っているか?」
「あぁ…。ハルが二ヶ月ぐらい前に殺したとかいう男だろ」
そう、綱吉殺害の後に発表された事実によると、ハルはそれ以前にも殺人を犯していたらしい。
マフィアに居る以上、それは特別珍しい行為という訳ではなかった。
組織の一員として、全く犯罪に手を染めないなんて事はまず無い。
だが、ハルはそういった行為を余り快くは思っていなかった。
だからこそ綱吉も、ハルを血生臭い場所から遠ざける為に、秘書として傍に置いていたのだから。
何時までも奇麗事を口にするハルに腹立たしかった事もあるが、それでも昔と変わらぬ彼女へ感心していたのも事実だ。
それが、この二ヶ月で覆された。
犯罪の一等級にも値する殺人。
あのハルが、それを犯した。
全く変わらぬ人等居ないのだと、獄寺は今回の件で思い知らされた気分だった。
「それがどうかしたのか?」
突然何を言い出すんだといった表情を向けると、思いもかけず真剣な顔とぶつかる。
「あぁ、やっぱり知らないか…。いや、俺もまだ確証を得ている訳じゃないんだが…」
眉を寄せてブツブツと呟く山本に、獄寺の表情が険しくなる。
「何なんだ?ハッキリ言いやがれ」
苛々とした声を向けると、山本は何度か躊躇う様に口を開閉した後、静かに話を切り出した。
「ミルフィオーレが此方を敵対視する理由が解らなくてな…。最初はボンゴレリング略奪の為だけかとも思っていたんだが…少し事情が違うらしい」
「何で其処でミルフィオーレが出てくるんだ。…まさか、木蓮って男はあの組織の関係者なのか?」
「そうだ。それも下っ端クラスじゃない。今まで知られてはいなかったが、ミルフィオーレのボスの名は白蘭。…木蓮は、奴の弟だ」
「………っ!」
獄寺の目が限界まで見開かれる。
「俺もつい最近までは知らなかったんだ。スクアーロが話してくれなかったら、今も知らないままだったろうな」
小さく息を吐く山本の横顔に、獄寺は呆然と零す。
「マジかよ…。だからミルフィオーレはボンゴレを……」
「それだけならまだ話は簡単だったんだ。問題は、木蓮を殺したと思われるハルを、ミルフィオーレの連中が匿っている事だ」
「な…」
余りにも意外な台詞に、獄寺の頭が一瞬真っ白に染まる。
山本の動く唇を眺めているというのに、其処から紡ぎ出される言葉が上手く理解出来ない。
「………に言ってんだ。馬鹿じゃねーのか、てめー」
辛うじて出た文句は、しかし纏まらない思考のせいで威力は皆無だ。
「これはヴァリアーの情報部から来た確かな情報だ。実際、ミルフィオーレの内側に入っていた奴がハルの姿を見ている」
山本は何処までも冷静に話を続けた。
その姿に、漸く立ち直った獄寺が掴み掛かる。
「いい加減にしろ!木蓮とかいうヤローが本当にミルフィオーレの重要人物なら、それを殺したハルを奴らが生かしておくはずねーだろうが!!」
山本の襟首を締め上げると、その反動で傘が地面へと転がって行った。
大粒の雨が再び顔を打ち付ける。
しかし獄寺の腕は少しも揺るがない。
そんな彼を山本が黙したまま見下ろしている。
何かが、おかしい…。
妙な不安感が一気に押し寄せて来る。
一体何がおかしいのか、咄嗟には解らなかった。
山本は、ただ此方を見ているだけだ。
もう答えはとっくの昔に用意してあるとでも言いたげに。
そして事実、彼は既に口にしていた。
この不安の正体である、正確な答えを。
「…殺したと、思われる…?」
引っ掛かったのは、先程山本が発した言葉。
その中の一部。
「…ハルがやったんじゃ、ないって言うのか…?」
声が震える。
それは雨に打たれて冷えた、身体のせいだけではないだろう。
これ以上は聴いてはいけない。
何故か、そんな警告が頭を掠めた

「その可能性がある」

雷が落ちた―――そんな衝撃。
実際には葬儀は恙無く執り行われており、空模様は変わらねど雷鳴すら聞こえていない。
けれど、獄寺の中には、確かに雷が落ちていた。
嵐という名の、途轍もなく巨大な稲光が。
「そ、れじゃ…誰が…」
掠れる声で続ける。
しかし、この先は聞かずとも解っていた。
限りなく確信に近い予感と言っても良い。
ミルフィオーレのボンゴレに対する明確な殺意、此処暫く姿を見せなかった綱吉、そしてハルの言動。
「………」
悲痛な色を浮かべた山本の目が、静かに伏せられる。
獄寺の両手は力無く垂れ下がった。




「どうあっても、奴らは納得しねーだろうな…」
リボーンの宣告にも等しい言葉に、ハルとディーノの顔が暗く翳る。
「だろうな…。ミルフィオーレは前々からボンゴレを潰す機会を狙っていた。…これを見逃す筈が無い」
「ですが、ミルフィオーレの方々はまだ気付いていません」
青褪めてはいるものの、しっかりとした口調のハルに2対の視線が集まる。
「だが…何れは露見する事だ。相手が奴らでは、隠し立てするにも3日が限度だろう」
ディーノの反論に、ハルは首をゆるりと振った。
「…3日もあれば、十分です」
「何をする気だ?馬鹿な事は考えるなよ」
ハルの肩へ、ディーノの片手が乗せられる。
その表情からしても、彼女が良くない事を考えているのは明らかだった。
「2日…いえ、1日と半、時間を下さい」
ディーノの制止を振り切る様に、ハルがリボーンへと一歩近付く。
自然とディーノの手は宙へと残された。
「解った」
室内でも滅多に脱がない黒い帽子が、僅かに縦に揺れる。
「ハルに任せる。但し、2日だけだ」
「リボーン!」
ディーノが声を荒げるも、ハルはリボーンへと深く一礼をして部屋を退出した。
「…どういうつもりなんだ、リボーン」
残されたディーノは、リボーンと自分を隔てている机に両手を付く。
「聞いての通りだ。2日だけ、ハルに任せる」
「今のハルが何を考えているのか何て、この俺でも解るぞ!?ハルは間違い無く、自分が罪を被る。そうなればどうなるか、お前解って――」
「俺が解らないとでも思うのか?」
帽子の陰から見えた眼光が、ディーノを一直線に射抜く。
「…っ、………なら、何故止めないんだ…?」
久しぶりに見たその視線の鋭さに、ディーノの息が一瞬止まる。
けれど此処で引き下がる訳にはいかなかった。
これはハルだけの問題では無いからだ。
「止めようが無いと思うからだ」
「…ハルに、全てを擦り付けるのか」
「仮にそうだとしても、そう長くは保たないだろうな」
余りにも冷たい言葉に、ディーノの視線が机の上へと落ちる。
その言葉の裏に隠された、リボーンの迷いが見えてしまったせいだ。
リボーンは何より、綱吉と、このボンゴレファミリーを守らねばならない。
そんな立場上、ハルを切り捨てるのは彼にしてみれば当然の事だ。
けれど、アッサリと割り切れる程、彼も非情ではなかった。
加えてハルは、昔からの知り合いでもある。
そう簡単に、敵方へハルを差し出せる筈が無い。
他に方法があれば、こんな手段は絶対に取らなかった。
そう断言出来る。
そして、綱吉の状態を見る限り、他の方法が見つからないのもまた確かだった。
「…俺は一度、キャバッローネに戻る」
「あぁ。…近い内に、戦争が起きるだろうからな。準備はしておいた方が良い」
リボーンの低い声に、ディーノは振り返らずに扉を開く。
背後で閉まった扉の向こう、一人机についているリボーンがまだ10代の子供なのだという事を思い出し、ディーノは小さく息を吐いた。
「本来なら、俺がしっかりしないといけないのにな…。全てをリボーンに押し付けているのは、俺も同じか…」
自嘲気味な笑いが、小さな声と共に漏れ出て消えた。







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